夏休みの友
今日お店に来たお客さんが、小1、小3、小5の三姉妹。さすが「かしましい」と言われるだけのことはあるなぁと思いつつ、
全然宿題がやってない
とお母さんがこぼしていた。
ふと、「今でも夏休みの友はあるんですか?」と訊くと、「日誌?ありますよぉ」と。続けざまに、「読書感想文か生活作文は、私が書いて清書させましたけど!」と。
夏休みの宿題って、どんなだったかなぁと振り返る。
毎日1ページやる日誌と、漢字の書き取り、計算ドリル、自由研究、書道は日誌の1ページだった気がする。あと毎日朝顔のチェックと、新聞の月齢を切り貼り。プールも、たぶん20回以上あった気がする。あとは、、、工作とかもあったかなぁ。
夏休みの宿題は、小中学校と、高校で大きな差が出た。
小中学校の宿題は、かなり早い段階で終わらせたけど、高校のはほとんど最後までやらず、担任の先生に「1が付くぞ!※つまり落第するぞ」と脅されつつも、「そこを何とか勘弁してよ」と、のらりくらり交わしてやらずに済ませてた。
特に数学の宿題とか、デキネーから「ヤレネー」よ、って感じ。
最終学歴が高卒の僕が何を言ってもどうしようもないのだけど、小学校の頃の宿題は、
今もっかいやりたいくらいな気持ちになっている。
と言うか、「休みがある前提」で宿題をやりたいわけだけど、、、
夏休みの宿題とは、言ってみれば「出来高制」「能力給」だ。
有能な人間は手早く終わらせ、より長い自分の時間を確保出来る。無能とは言わないが、先送りにすればするほど、
「宿題のことを考える時間」が絶対的に加算されていくので、「実際に宿題をやる時間」だけじゃなく、生産性が低下する。
僕はその「生産性が上がる感じ」「自分のペースで消化出来る環境」が好きだったんだと思う。まぁ経験値稼ぎでメタルスライムを倒すのが楽しいのと、本質的には変わらない。
また、僕は遺伝的なことなのか環境的なことなのか、美術系の宿題も好んでやれる人間だった。夏休みに写生の宿題はあまり記憶にないが、工作とか書道とかも、
面倒だからこそさっさと終わらせるタイプ
であり、読書感想文は、あらすじとあとがきと、あとは途中をパラパラ読んで、、、
自分の思ったことをガンガン書きまくる人だった。
実際に劇中の登場人物や作者が何を考え何を口にし、何をしたかは全くどうでもよく、とにかく自分の感想、感じたことを凄い勢いでまくし立てるのが僕の感想文だったと思う。
てか、量だけはベラボーに書く人だったので、あまり細かなことをとやかく言われなかった気もする。
「あらすじとあとがきだけで作文用紙13枚」となると、それはもう「全部読んで書きなさい」と言わせる隙がないのだ。まぁそれしか読んでないことは、
当然先生に言ってたりもするのだけど。
月齢の切り抜きは、一ヶ月前の新聞を遡ってそこだけ切り抜いたり、朝顔の観察もかなり適当に図鑑を調べつつ、「1日で8末まで書き終えたり」する人だったし、
夏休みの友の勉強系のページは、貰ったその日に終わらせて「当然」だと思ってた。
※事実担任の先生に「そりゃそうだろ、じゃなきゃいつ遊ぶんだよ」と言われたくらいだし
自由研究が手強かったけど、これも写真や切り抜きを貼ったり、色をキレイに塗ったり、表紙の紙を豪華にするとか、レイアウトをかっこつけた感じにするとか、
本来の研究とは別の部分でクオリティを上げるのが楽しかった。
てか問題の9割は「テーマ決め」で、それさえ決まればあとは一直線。大体3日くらいで仕上げてた気がする。つまり、
手抜きではない。
今は普通に毎日仕事で、別に40日間の休みが欲しいわけでもないけど、もし夏休みがあって、そう言う宿題も一緒に付いてくるとなったら、
それはむしろちょっとワクワクする自分が居るな、と。
当時の理解度、知識、向学心をそのままスライドして活かせるなら、たぶん僕は「誰よりも早く宿題を終わらせることに心血注いだはず」。
それを楽しんだと思うのだよな。
・・・
おもむろにメルカリを覗くと、1971年の小六用の夏休みの友が499円で出品されており、中身も紹介して下さっていたので、全部しっかり見てしまった。
「おしでつんぼ」と言う女の子の話が課題図書になっていて、時代を強く感じたり。
「おし」とはしゃべれないと言う意味。「つんぼ」は聞こえないと言う意味の差別語で、今はたぶん使用禁止になっていると思う。
例題の「結晶」という漢字が「結唱」になってるのは誤字なのか、はたまた旧字なのかと思ったり、
僕が生まれた翌年は、こんな問題だったんだなぁとなかなか愉快な気持ちになった。
てか、まさか子供の頃「目の前の宿題が売り物になる」なんて思いも寄らなかっただろうし、今の子もきっとそうだと思うけど、
存外そう言うのが楽しめる大人は少なく無いかもだぜ?
なんてことを、マジメに思ったりしたのだよ。
・・・
でも昔は、同じ計算ドリルを何ページもやってたり、同じ漢字ばかり書き取りして楽しようとしてたヤツとか居たな~。なんだろ、今でもあまりそう言うことをしたいと思わないのは、「埋めること」が目的じゃなく「こなすこと」が目的だという意識があるからかも知れない。単純作業で何も生み出さないことより、規定のルーティーンを素早く終える事の方が「かっこいい」と思うし、思ったんだろうな。
まぁ単純にバレたらやり直しになってさらに生産性が下がるのを嫌ったのかも知れないけど。
繰り返しになるけど、別に長い休みが欲しいわけじゃない。健康に毎日暮らして行ければ、その中で楽しさは自分で見つけられる人だと思うから。
でも、「生産性が上がる快感」というのは、存外のんべんだらりと日々を浪費する中からは得難いものだと思う。
それこそ、良質なRPGとかじゃないと。
つまり僕はそれに飢えてるってことなのかも知れないな。ダークソウルとか、ディアブロみたいな。
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