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2021年9月19日 (日)

コロナに思う

ワクチンを打ってるとか、予約入れたと言う話が凄く身近になってきた。ファイザーのがイイとか、子供にも打たせるとか、体調に関しても、2回目のあともほとんど影響無かったって人から、一回目からキツかった、死にそうだったとか。注射のあとが痛いのが1週間経ってもまだ続いてるなんて人も居て、

 なかなか怖い。

僕はまだ一回目も打ってないし、予約も入れてない。昨日パートのひとりが打ちに行くと言うので、もしかしたら今日仕事を休むかも知れないと言っていたけど、

 まんまと休まれた。

その分の負担はそのまま僕に来るわけで、まぁ店長だし当然ともしょうがないとも思うけど、

 「店長も早く打って下さい」

と言うのはどうなんだろうと思う。

 僕が打って調子が悪くなっても、あなたが僕の代わりを埋め合わせてくれるわけじゃないだろう?

もちろん当人には言わない。と言うかお客様にもやんわりとしか言わないけど、ワクチンを打つってことは、それに伴う影響も考慮しなければならない。体調が一時的であっても仕事に差し支える程度の悪化を及ぼすのなら、代わりを頼むとか、店そのものの営業を休むとか、全て把握承知した上でなければ、立場的に決断出来ない。

お客様も、店主がワクチンを打っているのは「当然」と思ってるかも知れないし、たぶん打っていて欲しいと思うだろう。でも相手にも都合はあるし、
※体質の問題とかもあるかもね
全てが思い通りにならないのは当たり前の話だ。

てかひとつ思ったのは、みんなが、例えて言うなら、「僕以外の全ての人が」ワクチンを接種し、ウイルスが僕の周囲に入ってこないのなら、僕が打つ必要は無いように思える。もちろん僕が県外の仕入れとかから持ち込み、デルタ株をまき散らす可能性を示唆しつつ「打て」と言う気持ちもわかるけど、どこまで言っても責任と権利の話に絶対はない。

・・・

なかなかワクチン摂取の予約が取れないと言う話も、摂取済みの割合が増えていけばその限りではなくなっていく。もちろん若年層や3回目の摂取、ともすれば4回目の摂取とかも視野に入れていけば、まだ一回も打ってない51歳におはちが回ってくるのは永遠にないのかも知れないけど、それとて周囲の「摂取済み包囲網」がより強固になれば、僕自身の安全性も高まっていくはず。

 まぁ他人頼みになるのもどうかと思うけど。

しかしテレビで見るとその「注射針の長さ」にグヘってなる。メチャ長い針は、お世辞にも痛くなさそうとは言えないし、打った後、そこの痛みが消えないなんて話を聞くと、「自分もそうなんじゃないか」と不安になる。

一方で、自分の実の妹が「一回目も二回目も大した後遺症はなかった」と聞くと、血縁的に一番近い人の言葉ゆえに心強く思える。

 まぁ全て自分で打ってみないことにはわからないのだけど。

インスタでも1回目2回目とも感想を書いてる人が少なくない。どんどん身近になってくる。同時に、

 特効薬が早く発明されないかな、と思う。

僕の認識が間違っていなければ、今みんなが躍起になってるワクチンというのは「予防接種」だ。映画とかで発明されるワクチンは特効薬で「掛かった人を直す」モノ。

 僕はインフルエンザの予防接種も(学生時代以外)打ったことがない。

それによって罹ることもあるし、死にそうに苦しむこともあるけど、当然罹らないことも多いし、何をもって正解なのかはわからない。

インフルで苦しむのが嫌なら「保険金」を払って予防接種を毎年打つ。

 コロナで死ぬのが嫌なら、当然ワクチンを打つ。

その「死ぬか生きるか」で冷静に考えれば、「打たない理由はない」。仕事を休もうが店を閉めようが、「死ぬか生きるか」と比較出来るもんじゃないだろう。

 なのに打たないのはなぜか。自分はコロナに罹らないとでも思っているのか。もしくは罹っても大したことにならないとでも?

罹りたくないとは当然思ってるし、大事に至らないとも思ってない。警戒は人並みにしているけど、過剰にしてるわけじゃない。

 打たないのは、結局の所「めんどう」なのだと思う。

店を休むとか、打った後が何週間も痛むとか、熱が出て苦しいとか、周りがみんな打ってれば安全じゃないかとか、

 そんなのは全て言い訳だ。

 本当の本心は、ただただ面倒だからだ。

 全てが「今考えなければならないこと」に上乗せされる。

公私ともに密度が高まっているのは、寝オチする頻度や頭痛で薬を飲む頻度が上がってることからも感じる。夢もあまり見てないのに睡眠時間が長いのは、抜けきらない疲労から眠りが深くなるからだと思うし、睡眠時間そのものが長くなっていることも、もろもろひっくるめて面倒だと思う。

 ワクチンを打つことでさらにその疲労や睡眠が伸び、起きてる時間の密度がイマイチ望まない方向に上がっていく気がするから。

・・・

自分は何歳まで生きられるんだろうか。絶対的に確かなのは、

 永遠には生きられないと言う事だ。

でも、唐突に終わりが来るのはさすがに怖い。交通事故とか、地震とかの天災とかで、不慮の死を遂げてしまう人、もちろんコロナで死んでしまう人、重症化する人もいっぱい居るわけで、自分だけが特別じゃない。自分だけが老衰出来るわけじゃない。

願わくば、このまま穏やかに時を重ねていきたいと思う。願わくば小さな幸せを噛みしめて毎日を過ごせたらいいなと思う。よく、「失って初めて気付く」と言うけど、

 僕は失う前から気付いている。今この瞬間が奇跡的な平穏であることを。

だからこそ大切に丁寧に生きて行きたいと心がける。ブログやインスタを欠かさないのもそのためだし、なるべく腐らずに仕事して、ささやかな楽しいを大きく捉える。

てか、

一気に話は下世話になるけど、ドラゴンボールの最終回とか、ドラクエやFFの続編にそこまで大きな期待をしなくなることとか、将来に対する未練とかって案外そこまで大きくも多くも無くなってる。まぁ孫の顔が見たくないわけじゃないけど、別に子供も出来て楽しく育ったし、人並みに卒業式とか同窓会とかもやった。

 人に寄って楽しいとか幸せとかは捉え方次第だとは思うけど、全部ひっくるめて、生まれてから死ぬまでに得られる幸せの総量を比較したとしたら、

 僕は現時点で既にアベレージを超えてるだろうな、と思う。

そうありたかったし、そうなるように生きてきたとも思うけど、何より重要なのは自分でそう感じられる人生だったってことだ。どこぞの大金持ちやイケメンからしたら、なんてちっぽけなって思われるかも知れないけど、大事なのは自分でそう感じてるってことだろう?

まぁそう言う意味では既に「勝ち組」なわけだけど、あとはそのプラスをさらに伸ばし、マイナスを極力被らないようにすることだ。

 ま、ここまで言って置いてなおワクチンを予約しに行く気にならないのは、僕が根っからの面倒臭がりだからなんだろうな。

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