格言的なヤーツ~インスタより~
主に写真。たまにイラストがインスタに投稿されるネタのメインなのだけど、たまに文字だけのものもある。偉い人や芸能人が言った言葉とか、ただその人が勝手に思ってる言葉などが数ページに渡って投稿されるのが通例なのだけど、
当然全てが心に響くワケじゃない。
ただ、中には「ふむ」と思うものもある。てかそれって、
たまたま自分のことを言ってくれてるだけ
な可能性も高いのだけど、それでも、それがその時だけの詭弁だったとしても、
自分が褒められてる気になれるのは悪くない。
いくつか紹介する。
●どうせ死ぬならこう生きたい
夢中で駆け抜ける10代
真剣に将来を考え始める20代
人生の分かれ道を迎える30代
迷いながら信じた道を突き進む40代
残り時間を意識して選択する50代
自分を確立しはじめる60代 どの時代もあっという間に過ぎる。
行きたいところがあるなら行く。
会いたい人がいるなら会う。
やりたいことがあるなら全てやる。
人生は自分が思うよりも短く
いつ終わるか分からないから。
・・・
ふむ。一応誰の言葉か書かれてないから、この人本人の言葉だと思うのだけど、この人は60代なのかな、とちょっと思った。「自分を確立する」とは、今51歳の僕にはイマイチピンとこない。ブレないと言う意味なら僕は小学生くらいからブレてないと思うし。
「残り時間を意識して選択する」のはまさに50代の僕に科せられた大命題だ。カウントダウンは生まれたときから始まっているが、
50代は、そのフォントがそれまでよりグッと大きくなっている気がする。
「毎年があっという間」。何時の時代も一瞬で過ぎる。おもむろに自問自答する。
行きたいところはあるか
会いたい人はいるか
やりたいことはあるか
行きたいところは別にない。モンサンミシェルとかウユニ塩湖を見て綺麗だなぁとは思うけど、その土地の食事には全く興味がないどころか「食べたくない」。行きたいほどじゃない。
会いたい人、別に芸能人も友人も特に「もう一度会いたい」わけじゃない。同窓会で久しぶりに会えた人とかも居たけど、時としてその変化は残酷だったりするし。想い出の中で美化されていた方が良い場合もある。
やり残しも、20年前の僕なら、「ドラクエの最新作が遊べなくなるのは嫌だなぁ」と思っていたけど、今は別に。適度に褒められて、適度に充実した毎日。やりたいこと≒楽しいことだとするなら、日々それを追い求めるのは今日に始まった事じゃない。
つまり、
今さら言われなくてもやっていた。
でもだからこそ改めて別の誰かに言葉にしてもらうのが嬉しかったりもするのだ。
●いつか終わる
いつでも会える人はいつか会えなくなる
いつでも見れる景色はいつか見えなくなる
いつでも出来ることはいつか出来なくなる
でも
いつか会えなくなる人はいまは会える
いつか見れなくなる景色はいまは見れる
いつか出来なくなることはいまは出来る
だから
いま当たり前のようにある毎日の幸せに気づこう
そして
いまある幸せを噛みしめよう
いまを精一杯生きよう
いまを精一杯楽しもう
いまがなくなるその時まで
・・・
これもまぁ同じような話。「いつか出来なくなること」は、「以前は出来たけど今できなくなってること」の話かも知れない。今もう出来なくなっているのかも。
でも、例えばプラモを作ろうとして、老眼とか指先が上手く動かないからプラモが作れなくなったわけじゃない。「まだ間に合ってた」。
それに、
それが全てじゃない。
今会いたい人だけが生涯会いたい人じゃない。やりたいことも増えるし生まれる。今は存在すら知らない場所でも、いつか行きたくなる日が来るかも知れない。
今に縛られすぎるのはどうかと思った。
それに、
もう見た映画、作ったことのあるプラモ、遊んだことのあるゲームであっても、新作より強く大きな楽しさを提供してくれるとは限らない。
たかが睡眠。されど睡眠だ。
美味しい物を食べたい。が、その為の苦労がその美味しさに見合うのか。美味しい物を食べることが僕の人生の中でどれほどの意味を持つのか。高級車、海外旅行、大金持ちには出来て僕には出来ないことはたくさんある。でも、それを羨んだり悔やんだりはしない。
オレの正義はオレのものだからな。
●マジで人生楽しんでる人の特徴
とにかくポジティブ志向
物事を重く捉えすぎない
やりたい事に夢中
出会いを大切に
健康な生活
小さな事で喜びを感じる
他人の幸せを喜べる
最高に人生を楽しんでいる人は、物事を重く捉えすぎず、人との出会いを大切にし
小さな事や他人事でも素直に喜べる!
・・・
思わず「ほぼ僕のことでした」とコメントを残してしまったが、本当にそう思う。該当しないかな、と思ったのは、「健康な生活」だけ。まぁ気を付けてないわけじゃないけど、決して規則的でもないし、食生活がそれに準じてるわけでもない。あとは概ねクリア。てか、
インスタで僕と知り合いになったredさんなんかは、まさに僕に対してそう言った印象を抱いているのではないか。
強いてつつくとすれば、
「他人の幸せを喜べる」が、「それは自分の幸せに優先されない」
ってことくらいか。自分勝手であるのかも知れないが、自分を犠牲にしてまで周囲のことを考えない。それは自分の楽しいや幸せを削ることになるから。
まぁ言われたからって簡単に変わることじゃないのだけどな。健康とかも。
●マジで人生楽しめない人の特徴
他人の意見を尊重する
深く考えすぎる
自分を追い詰める
人生に目標がない
誰からも嫌われたくないと思っている
他人を羨ましがる
自分を大切に出来ない
人生を楽しめない人は、
他人の事ばっかりに目がいって
自分を見失っている場合が多い
自分の人生なのだから
「他人」じゃなくて
「自分」に目を向けるべき
他人に執着しても幸せにはなれないよ
・・・
「べき」を使っているところが気に入らないけど、こちらも上の「楽しんでる人」と同じ人の投稿。てか「深く考えすぎる」のと「追い詰める」は同じことなんじゃないの?と思わなくもないけど、まぁそれはともかく。
別に人生に目標はない。でも手近なゴールは無くもない。「フォロワーが1000人で、いいねを1000貰いたい」。その為にはまだインスタを続けなきゃだけど。
嫌われてもいいと思ってるし、羨ましいと表面では言っていても、それは相手を喜ばせるための社交辞令である場合が多い。別にゲームのガシャとか、そんなに羨ましくないのだ。
「真剣にならない方がうまくいく」とは、寺沢武一先生のコブラのセリフ。
※ちょっと違うかも
てか、「他人に執着してもダメ」だけど「他人を蔑ろにするのもダメ」だから、勘違いしない方が良い。それに、「尊重した方が良い意見」だって絶対あるし、独りよがりの自己中を推奨しているわけではないのだろうけど、字面からはそう読み取れてしまいかねない。
言ってもひとりの人間の言葉が世界中にフィットするわけもない。
自分に耳触りのいいものだけを聞くのはリスキーだと思いつつ、鵜呑みにしない冷静さを無くさないように。
気楽でテキトーでポジティブであっても、楽観的とは違うし、僕は疑り深いのだ。
「言葉の裏にある見えない部分」もキッチリ見抜いて、その上で自分にフィッティングさせていく。
オレはオレにとって、「コブラのようなかっこいい人間」でありたいからな。
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