もしもコロナを直せるとしたら
これは100%僕の妄想なのであしからず。
手段は、「魔法」「超能力」「発明」何でもいい。でも例えば今この時点で、
※5年先とかではなく
コロナを直すことが出来る力を自分が持っていたとしたら、
どうする?
例えばそれは凄く準備が必要なわけでも、お金が必要なわけでもなく、「指をパチンと鳴らす程度」の手間で、目の前及び自分自身のコロナを治癒することが出来る能力だとしたら。
この話は、何にも根拠も担保もなく、僕がひとりで勝手に想像してる話。
僕に何かのスキルが以前からあり、その過程でコロナを治癒する力を手に入れた、
のではなく、
いきなりコロナを治癒する力を「手に入れていた」場合、たぶん100%近い確率でそのことに気付くことはない。目の前にコロナ感染者が居ることもないし、それが直せる可能性を考えることもない。
ただ、もし家族がコロナに感染したとして、例えば「直りますように」と祈りを捧げた瞬間、スッとその人のコロナが直ったりした場合。例えばそれは遠く離れた息子や娘でもいいし、ネット越しの友達でもいい。
「自分が祈ることでコロナを治したりした場合」。
誰彼構わず治す?
下世話な僕は、そこにお金のニオイを感じてしまう。僕自身がお金儲けする可能性もあるけど、「誰かがそれを利用して金儲けしようとする」ことを考えてしまう。
みんなに知られる危険性を考えてしまう。
「強い力には強い責任が伴う」。誰かのパパが言ったセリフ。
でも、僕に何の副作用も無いかどうかもわからない。例えばたばこを一本吸っただけで人の寿命は「平均的に何分か短くなっている」とする。一方で、それを本人が正確に把握するスベはない。僕がひとりコロナから救うたびに、僕の寿命が「10日」短くなっていたとしたら、、、
何人救ったら僕は死んでしまうのか
魔法に根拠や理由付けをするのは愚かだと思いつつ、ひとつひとつ「テキトーに」ごまかしていく。
仮に体感として全く自分に負担がない場合。
全世界のコロナ感染者を治そうと思うか。
そもそも感染しているウイルス。感染症を「治す」とはどういうことなのか。「ウイルスを取り除く」のか「ウイルスの影響を受けているパーツが元通りになる」ということなのか。
最近コロナの飲み薬が開発されただのされるだの情報番組でやってたけど、例えば頭痛薬が、「頭の中の悪者」を退治する、みたいなイメージは、あまりにも子供っぽい気がする。「働く細胞」の方が具体的かも?そう変わらない?
当たり前だけど、指を鳴らして消せるようなもんじゃない。
それでも、「魔法」を使って治すと言う話。フィクションである。
前述の通り、目の前の人だけ治せる場合は、自分が罹らない限りそれに気付くことはまず無理だろう。自分がコロナに罹ったとして、凄く苦しくなったとして、
治れ!と祈ったらスッと体が楽になって、「治った」りしたら、、、
何とか自分の能力に気付くかも知れない。いやでもそれでも「次の人」をどう見つけてどう向き合って治すのか。自分が仮に治ったからと言って、他の人も治せるとは限らない。
とりあえず接触頻度の高い人に試そうにも、周囲はみんなワクチン接種済み。
・・・治す力があっても、それを活かすのは凄く難しそうだ。仮に自分が治ったとしても、「感染者に自ら進んで会いに行く勇気」などない。
では、目の前の人でなく、例えば「祈るだけでテレビの中だろうと、ネットの向こう側だろうと治すことが出来たとしたら」。
これも最初に能力に気付くまでが大変そう。てか、
「世界中から消えろ!」
と祈っただけで世界中から消えたとしたら、、、
自分の力だとは到底思うまいよ。
それこそ車を運転中に「青になれ!」と思ったタイミングで信号が変わったときのように、「たまたまそうなった」に過ぎないと思うだろう。
そもそも「ホントに世界中から消え去ったとして、それが果たしてどれほどの人間にどう影響がある」のか。
コロナの為にマスクを作り、コロナの為に体温を測り、コロナの為に仕事のスタイルが変わったこの世界から、いきなりコロナが消失したとして、
それをみんなが受け入れられるものなのか。
果たして本当にみんなは「コロナが無くなればいいと心から願っているのか」。
もちろん自分に関わる人たちが感染して、あまつさえ死んでしまった人にとっては憎むべき悪以外の何者でもない。でも、実際そうじゃない人も凄く多いだろうし、
今から急にコロナ消えましたって言われても、、、
と言う人の方が絶対的に多い気がする。
むしろ別の何かが始まる「悪い予兆」と考える人すら出てきかねない。
外来種によって固有種がほぼほぼ全滅させられた湖があったとする。そこである日その外来種全てが水面に死骸として浮かんでいたら、、、まぁこれは例えが適切じゃないか。
でも、「治癒を望んでる人」は間違いなく居る。その力が永遠に続くとは限らないし、もしその力がほどなく途絶えてしまったとき、「治せることに気付いてから治せるだけの人を治さなかったことによる後悔」も、
死ぬまで苦悩するレベルに大きそう。
たとえばイギリスが凄くヒドイ状況だとして、「じゃ、今からイギリス行って治してくるわ」と飛行機に乗ったとする。
着いた頃にはその力が無くなってる可能性だってある。
なんつか、こういうことを考えるとシミジミ気付かされるのは、
フィクションってのは相当都合良くできてるんだな、ということ。
目ざとければ目ざといほど、違和感とか「隙」が浮かび上がってくる。ひとつの枷を見なかったことにしても、すぐさま次の枷が思い浮かぶ。
力が永遠で、どこに居る人でも簡単に治せるなら、、、
治す?治さない?
そう言えば昔「もし超能力が本当にあったら」って話でも似たことを書いてたな~なんてことを思い出したけど、その時はどんな結論になったんだっけ?
スゲェ正直な話、
1000円で治してあげたい。
どんな人でも一律1000円くれたら「ほい」と治してあげたい。誰も信じないかも知れないし、誰も依頼しないかも知れない。でも、本当にその力があって、次から次へ治せたとしたら、、、
なんかどっかで聞いたことあると思ったら「天気の子」だわ。
まぁ強力な薬は強力な副作用を警戒するのが普通だから、もし「僕以外の誰かがそう言う力がある」と言われても、自分は頼まないかも知れないな。自分が頼まないからと言って他の全ての人が頼まないとは限らないけど。死線をさまよってる人とか「藁にもすがりたい」って感じかも知れないし。
結局のトコロ、重要なのは「説得力」なんだな。「治せるからいい」と言うのは、例えば、
たばこの吸い殻とグレープフルーツの皮、ゴキブリの死骸を混ぜたコヤシで育てると、糖度30のイチゴが出来ます
と言われても、誰も信じないし、もしそれが事実であっても、「その甘さの理由」がそれでは、誰も欲しがらない気がする。まぁ秘密にしておくのも手ではあるけど。
どこぞの偉い先生たちが何ヶ月何年も掛かって開発したからこそ、ワクチンには説得力がある。あ、
今ちょっと怖いことを思ってしまった、、、
もしコロナのワクチンの副作用が「20年後」に発症するものだとしたら、そして発症したらあっという間に死んでしまうとしたら、、、
全世界で何億人の人が短時間で死んでしまうのか。
その理由の関連付けも難しいだろうけど、「100%摂取してる」と言う数字が、そこに集約され、、、
まぁ人類の叡智は、そんな未曾有の大災害ですら「新たなワクチン」で乗り越えるんだろうな。
でも「ジャスト20年で死ぬ」なんてことになったら、「自分の打った日から自分の余命、命日がわかってしまう」ってことになる。
・・・いかにもSF作家が好みそうな設定ではある。
てかだから今ワクチンを打たないなんてことは、愚の骨頂であるし、そもそも仮にそれが事実になったとしても、
ワクチンを打ってないわずかな人だけが生き残ったとしても、たぶん生活は回っていかない。
むしろ一緒に死んだ方が幸せだった、と思う可能性の方が高い気がする。
さらに妄想を進めるなら、
あの時クリスに指パッチンで治して貰った人だけが20年後に死んでいる、、、
なんてことになった日にゃ、目も当てられない。大量虐殺の犯人として世紀の殺人鬼というレッテルを貼られるかも知れない。怖ろしや。
てか、ここまで読んできた人がどれほど居るのかとも思うけども、、、
とりあえず多くの日本人は、「右へならえ」の生き方を好む。みんながワクチンを打つなら打つ。みんなが魔法で治して貰うなら僕も治して貰う。
自分が「治す側」になることは、きっと全く想像もしないだろうな。
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