見合う
今朝起きてすぐチャージが完了していた「4000年ぶりに帰還した大魔道士」を読む。既に課金していて残り2000円分ほど
※1話61円
残っていたが、節目で読むのを止めていた。
面白い。非常に面白い。
波があるのも事実で、過去には評価を下げていたこともあったかも知れないが、
現時点での評価は★★★★☆!
読みながら「面白いわ~」とか、「唸るなぁ」とか。声に出して笑うこともあるし、
「見合うわ~!見合う!!」
と言っていた自分に気付いた。
「見合う」とは、あまり馴染みのない形容詞かも知れないが、ふと気付けばこれほど評価を表す指標として適切な単語は無いかも知れない。
お金や時間を費やすのに「見合う」
僕は自分がケチだとは思ってない。「ケチ≒倹約家」としたときも、「ケチ≒セコい」としたときも、どちらも自分には当てはまらないと思っている。僕はセコいわけでも倹約家なわけでもないし、同時に当然浪費家でも太っ腹なわけでもない。
僕は「正当な評価」が好きなのだ。
良い物を良いとし、良い物にお金を払う。それは必要性によって決まるのではなく、
自らに提供される楽しさによって決まる。
僕にとって「良い=楽しい」であると明言出来る。
楽しさのためなら、例えば同窓会の準備をみんなとやったり、自分ひとりで手紙を数時間折り続けたりも出来る。かき氷だって作るし、インスタだって毎日更新する。
そこで出て来るのが「見合う」という指標だ。
子供の頃は今よりも「余生が長い」。死ぬまでの時間が長い。つまり、「余裕を感じやすい」。しかし、折り返しを過ぎ、日々はさらに加速し続けている。加速するだろうと予想していた以上に加速していると言ってよい。
だから、必ずしも金銭的なことだけが「見合う」に該当する項目とはならない。単位時間辺りの満足度の善し悪しもとても重要なのだ。
先日購入したエロゲー「クロガネ回姫譚」は、確かにクライマックスでの盛り上がりに特筆するところがあった。しかし、そこまでの時間があまりにも長く、
割に合わない。見合わないと思ったのだ。
FFBE、エクスヴィアスに関しても、日々そこまで長時間拘束されるわけではない。しかしトータルすれば1時間以上は毎日費やしている気がする。もっともそれは「テレビを見ながら」だったり、「飯を食いながら」だったりして、純粋にそれのみに費やしているわけではない場合も多いのだが。
その1時間が、最近「見合わないな」と感じる。
プラモを作るのを止めたのは、当初虫がウザいからだった。気温が高まり、窓を開け放ってプラモを塗装することがままならなくなったから距離を置いたのだが、最近デジラマ作りによって得られる快感、楽しさと時間のバランスを鑑みると、
プラモのパフォーマンスはそこまで高くないのではないかと思えてきた。
もっともそれは作り方や作る物そのもののポテンシャルにも大きく依存する。ブツが1/60であっても、それによって発生する多数の成果(デジラマ)でバランスが取れることもあるし、ほんの1日2日で出来上がることもある。
全てのジャッジは、見合うかどうかだ。
楽しい、面白い、幸せ、気持ちいい、ハラハラドキドキワクワク、、、
映画は比較的そのクリアが容易な気がする。だからよく見てきた。ただ問題は「達成しやすい作品」を見つけるのがそこまで容易ではない点か。
何でもかんでも楽しめるわけじゃない。
まぁ家で見てる分には途中で飛ばしたり止めたりしちゃえばいいわけだが。
マンガも同じことが言えるが、マンガの場合はより簡単短時間でジャッジが下せる。絵が気に入らない、展開が澱む、嫌なヤツが出て来る、、、そんなのはすぐに止められる。未練もない。
だからこそ、そのハードルを大きく越える作品の価値が高い。
人に寄って「3000円」の価値は全然違う。大金持ちと貧乏な小学生では金額的な尺度では測れないくらいの価値の違いがあるだろう。
それは、「食べ物でも同じ」だ。
秋元康だったかが、一生の間の食事の回数は限られているから、それを有効に使いたい的なことをどこぞで言ってた気がする。
※違うかも
確かに美味しく無いご飯を毎回食べるのと、美味しいご飯を食べるのとでは、限られたリソースの使い方として後者の方が有効利用と言えるだろう。
しかし、例えば100円のカップラーメンに感じる美味しさと、10000円の寿司に感じる美味しさは、必ずしも100倍の差があるわけではない。日々乾パンやレーションのような携帯食だけを食べる暮らしをしていれば、カップ麺は1万円の価値にもなり得るし、毎日毎日宝石のように贅沢な食事に慣れていれば、たとえコストが1万円だったとしてもその分の満足が得られているとは言えまい。
平凡な毎日だからこそ、非日常の食事に感動出来るかも知れないし、逆もある。
「見合う」とは、その人によって全く尺度が違う指標でもある。
あくまで僕にとっての見合うが重要なのであって、世間がどうとかは全く関係無い。アイドルが好きで何万何十万と注ぐ人にとってはそれが「見合う」のだろうし、誰に売るでもなく、そのままお蔵に眠ったままになる骨董品に何百万注ぐのも、その人の尺度で決め、その人の尺度で楽しいを提供してきたからだ。
3000円÷61円=49話。今合計99話だから、全部課金すれば6000円ほどになる。ゲーム一本分。ヨーグリーナで言えば約70本分。映画で5本分。ネットフリックス4ヶ月分、、、
だがしかし、「9点」の満足感なのだ。
直近で9点を付けたものが何だったのか、全く思い出せない。去年のクリスアワードで9点以上を付けたのは、
・逃げ恥
・まんねんさんのビグザム
・川柳少女
・アンリーシュドガンダム
この4つだけ。今年はデジラマに付けたかどうか、、。
「見合う」な、と。コストに見合う楽しさだな、と。
人生を費やすのに見合う。ブログを書くのに見合う。他のことを犠牲にするのに見合う、、。
全てはその尺度によってジャッジしていくし、これまでもそうしてきたことに気付いた。
てか、一歩踏み込んで言えば、見合うだけじゃなくさらにその上の満足感が得られていたかどうか、とも言えるけどね。
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