つれづれに
ホントにつれづれなるままに書く。
●リモコン
テレビのリモコンの調子が悪くなってきて、何度も押さないと反応しないボタンがいくつかある。具体的には、、、
電源ボタン
と、あとは録画リスト表示やら、テレビガイドの翌日切替やら。
※チャンネルボタンは効くので、完全にセンサーが悪いわけじゃ無さそう
当然電池も交換したばかり。
で、「そろそろ買い換えかなぁ。確か5000円くらいしたような気がするなぁ。やだなぁ」と思っていたのだけど、たまたま何かの拍子で、
長押ししたら、それが見事な正解だった。
ボタンによって効く効かないがあるということは、その中の物理的なメカに問題がある可能性が高い。運が悪かったのは、僕がゲームを嗜んでいて、ゲームコントローラのボタンが悪くなるケース≒ジュースや汗などでボタン内部が「貼り付く」感じになるトラブル「しか」経験がなかったこと。
何度か押せば効く、以外の発想が出来なかった。
しかしこの「攻略法」の有効さたるや筆舌に尽くしがたい。人生を無駄にする時間がこれによって大幅に短縮されたと言って良い。ボタン一発で反応してくれた方がもちろん嬉しいし早いが、連打しても強く押しても反応しなかったイライラからの解放は、
存外経験したことがないほどの幸福感があった!
ともあれ、リモコンの寿命説もまだ捨てきれなかったりはするのだけどな。
●店のスピーカーが壊れた
スピーカーが壊れる瞬間というのを生まれて初めて経験した。以前からボリュームが小さくなってきた気はしていたのだが、もしかしたらソースが悪いのかもとも思っていたし、そこまで気にならなかったりもしてたけど、、、
急に音が小さくなったり大きくなったり。
他のソース、過去普通に聞いていたものでもその症状が出て、
これが「断末魔の叫び」か。
2580円送料税込を楽天で注文した。性能とかはよくわからないが、今よりは元気だろう。
●かみさんのクリスマスプレゼント思案
候補はANKERのQi充電パッドと充電変換器。でもかみさんのスマホが対応しているかどうかがわからない、、、調べたらどうやら対応していそう。
他の候補はキンドルファイヤー8。8インチのタブレット。キンドルを契約しなくても、Youtubeビューワとかブラウザとかで使えそう。解像度が低い(1280*800)反面、バッテリーの持ちは良さそう。価格は1万円。
特に予算があるわけじゃないけど、一応毎年4、5000円くらいで着地してたので、キンドルだとちょっとお高い。使って貰えればいいけど、、、。どうしようかな。
●とある友人の話
顔も見たことがないネット越しの友人。初めて電話をしたとは思えないほど気さくに話すことが出来た。送られた写真にはクリスマスツリーが飾ってあり、幸せな家庭を感じさせたのだけど、
奥さんとは死別しているという。
子供と父親の2人暮らし。子供は中一だそう。
だからこそのクリスマスツリーか。
電話ではそんな重さを一切感じさせず、駐車場でプラモの写真を撮って送ってくれた。年齢は僕より一回り以上も若く、中学生であれば弁当とか参観日、保護者面談など、想像出来るだけでも大変。もちろん日々の食事や洗濯も、自分でやらなきゃならないことの方が多いだろう。
・・・感謝しなければな、と思う。
家族と自分の健康に。普通に仕事があることに。そして同時に、
少しでも彼を楽しませたいと強く思う。
クリスと電話したことが人生の無駄使いにならないように。後悔しないように。僕との付き合いが、大切な時間の使い道として「見合うように」。
時間は全ての人に平等に経過する。しかし、時間の大切さは全員が平等ではない。自分の時間が取れない人も、仕事が大変な人も、仕事以外のプライベート(介護とか)が大変な人も大勢居る。僕の時間は僕だけのものじゃない。誰かのために使っている時もある。同様に、僕と話をしてくれた人、僕のインスタにいいねをしてくれた人は、「僕に時間をくれた人」。「僕のために使ってくれている」。
時間はそれがたとえ1秒であっても「命」だ。
「命を粗末にしちゃダメ」。当たり前の話だけど、それは「自分に関わる全ての人」にも言える。みんなの命を大事にしなければな。
●ウソ
ここから書くのはウソなので、そのつもりで。てかこの話はもう書いたかな。書いてたらゴメン。繰り返しになる。
・・・
物事は常に自分の思い通りに進むとは限らない。時には進みたい方向の真逆に進むことを余儀なくされることもあるだろう。
でも、そう言う時こそ視点を巡らせるのだ。いろんな角度から考える。いろんな視点から自分を見つめ直す。
もしかしたら、方向は逆でもそのルートは「斜め上に伸びているかも知れない」。
柔軟な発想と視点で向き合えば、時に意にそぐわぬ選択を余儀なくされる時であっても、それが実は自分自身を高めることに繋がっているかも知れないのだ。
・・・
これは、「僕の言葉」。誰から聞いたわけでもない。僕の中から出てきた言葉。ふと浅い眠りの中で見た夢に出てきた言葉。
凄くそれっぽい言葉。
でもだがしかし、そこに「実(じつ)」はない。
言葉だけが存在し、言葉だけで相手を頷かせようとしている、「空ろ」だ。
つまりはウソだ。
真逆に向かわざるを得ないシチュエーションなどそうそう無いし、「必ずしもそれが自分を向上させるわけじゃない」ことに触れられていない。もしかしたら「さらに下がる道」の可能性だってあるのだ。
僕が言いたいのは、「甘言とは都合のいい解釈が出来る言葉」だということだ。自分に耳障りの良い言葉だけ聞いていても、何も成長しないし何も得る物は無い。ただ乏しい変化の中でゆるやかに死へ向かうだけだ。
まぁ穏やかかも知れないが。
上の言葉のウソを真実に変えて言うとするなら、
真逆の道に進まなければならないときも、自分を疑え。深く考えれば、別の道が見つかることは多々ある。視点を変えて見つめ直すことで、今まで見つけ損ねていたプラスもマイナスも見つかるはずだ。
これが真実だ。つまり、
何も確実なことなど無いと言う真実だ。
確実なことが何も無いからこそ、僕は常により良い選択を目指す。目指すことを止めない限り、大抵は道が見つかるものだと学んだし、それが僕の生き方だ。
| 固定リンク
コメント