クリエイティブな趣味
何の担保もなく書き始める。
僕は子供の頃図工の成績「も」良かった。つか子供の頃などというものは、ぶっちゃけ環境が頭の良さを決めると言っても過言ではない。否!
子供の頭の善し悪しなど、9割は親が決めると言っても過言ではない。
だがしかし、子供はバカなのでそれが自分の手柄だと過信し、普段の努力を怠った挙げ句、親が「親の責任」と自認する高校入学の時点で、まんまと勉強しなくなり、成績表を見ることもなくなり、大学にも行けずそれでも人並みに幸せに過ごせればいいかと着地。
それはともかく、
僕にはそれなりに美術のセンスがあると思い込んでいた。前も書いたけど、
「自分がかっこいいと思うものや素晴らしいものを選べるセンスがある」と思ってる。
他の誰かに評価されるかどうかは問題じゃない。自分で作り出した、生み出したものが「良い」と思えるなら、その自給自足は「お得だ」と言う事だ。
直近ではデジラマ、ちょっと前だとマリオメーカーやテラリアで自分が作った物を自分で楽しんだ。マインクラフトは初期の頃に少しやったくらいで抜けてしまったけど、続けていたら相当なところまで行った気がする。これは自慢でも過大評価でもない、経験則だ。
・・・
今何かを作ろうと思った時、具体的に創造出来るものには何があるのか。プラモデルは元々のブループリントがあり、
※blue print:設計図、青写真、計画をかっこつけて言っただけ
塗装も改造もせず作れば、誰もが同じモノが出来上がるが、自分なりのアプローチが可能という意味ではこれも「創造の範疇」だろう。
デジラマもまた、写真を加工して「今までに無かった物」を作り出すという意味で創造だし、こうして文字を刻むことだけでも、ひとつの創造だ。
ふと思うのは、「創造は個人的なもので良いのか」と言う点。自分で作って自分が楽しめるだけで十分ならば、別にインスタやブログを公開する必要はない。他の誰かに読んでもらったり見て貰ったり楽しんで貰うこと、それによる感想を得ることにも大きな意味があるからこそ、アウトプットが必要なのだ。
第三者に共感して貰いづらい創造は、創造としての魅力が弱いとも言える。
一方で、自ら創造出来るものには当然限界がある。ビートルズ並の歌を作ることも、ピカソのような絵を描くことも出来ない。てか絵はともかく、歌に関しては本当にどうしようもない。子供の頃を恨むつもりは全くないけど、もし「作曲」と言うスキルを身につけられるチャンスがあったなら、人生は今よりさらに面白くなっただろうな、とは思う。
絵を描くのもいいかなってちょっと思っている。
正確には、「自分の意志で描いたものをデジラマ素材として使えたらいいかな」と思っている。
全くのゼロから人物やロボットのデッサンを描くには、これまでの蓄積がなさ過ぎる。模写にしても落書きにしても、「絵は描けば描くほど上達する」と思う。もちろん才能もあるだろうけど、「才能がある人が描きまくる」世界だ。才能があるか無いかわからない自分が追いつける可能性は極めて低い。
でも、この一年、正確には4月からだから約8ヶ月間デジラマを作ってきて思ったのは、
自分が凄いと思わないことを、他の人が凄いと思ってくれることが、意外と多い
行程的にシンプルであっても、センス的に平凡であっても、設備的に枯れていたとしても、、、
出力に異質さを感じてくれることが存外多い。
でもそれは確かにそうだと今あらためて思った。
僕がデジラマを作り始めた当初から、ウルトラマンやゴジラ、仮面ライダーなどの特撮を使ったデジラマを作り続けてらっしゃる伊藤暢彦さんと言うグラマーが居るのだけど、当初「スゲェスゲェ絶対無理!」と思っていた全ての作品の中で、
最近は「手を伸ばせば届くかも知れない」と思えるものがいくつか出てきた。
ここをこうしてそこをそうして、この部分はどこそこから持って来て、色調とエフェクトは、、、みたいな。
僕が使っているフォトショは2003年くらいの古いものだが、それに2019年の簡易版「エレメンツ」と、スマホのフィルターアプリ「エクスプレス」を絡めて最終形を作る。つまり、3段階のステップを経ているだけで、それらを使わない他の人より「一歩(もしくは3歩?)進める」可能性が生まれる。
絵が上手くなくても、フォトショを使うスキルレベルが低くても、「ステップ」を増やすことでその差をさらに広げられる可能性がある。
別にこれで食べていくつもりも、食べて行けるとも思ってないけど、僅かずつでもスキルが向上してることが実感出来るのはやっぱり楽しい。空気や水、光と影、さらにフリーハンドで「描かれたもの」が使えるようになれば、
デジラマの完成度と共に、自分自身の満足感もきっと高まるはずだ。
・・・
レゴでオリジナルのモデルを作るのは、思ってる以上に難しい。例えば、「犬」を作れと言われても、「犬を描け」と言われるのと同様に、万人が「ほほう」と思ってくれるものを作り出すのは容易ではない。車でも建物でも、ゼロから立体物を作るのは、「自己満足の殻を破るのが難しい」。
でも、少なくとも現時点で僕のデジラマのクオリティは「その殻」を破りつつある。プラモが凄く上手い人には遠く及ばなくても、他に同じベクトルで争う相手が劇的に少ないのが奏功し、
「現時点では、世界的に見ても悪くないと自分で思えるような作品もたまにある」
、、、もっと進めたいと思う。もっと出来る気がする。翼がもう一枚あれば。
そう言えば僕は昔から「道具に掛けるコスト」に関しては、かなり寛容だった気がする。食べ物とかはとにかく安くて美味しいモノが大好きだし、映画もレイトショーでしか見ない、ゲームも少しでも安いところで買う努力を惜しまないけど、
道具のイイ物を買うのは意外と躊躇いがない。
てか、悩みに悩んでエクスプレスの年間サブスクをレジストしたのは、それがサブスクだったからだ。買い切りだったらとうの昔に買ってた。エレメンツも「買おう」と思ったその日に買った気がする。
それらによって、僕のデジラマは確実にレベルアップしたと思う。同時に、僕の満足感や楽しさも。
、、、絵を描く道具を買おうかな。
「タッチペンで絵を描く」と言う行為に経験がないわけではない。つってもDSを使って絵を描いたことがある程度だけど、自分なりにそこそこマジメにモンハンとか鳥山先生の絵とかを模写したりした。
結構楽しかった。
人に見せて褒めて貰ったりもしたし、そう言えば昔スーファミのマリオペイントでも結構いろいろ描いては録画してた。あれはタッチペンじゃなくてマウスだったけど。
今っていくらくらいするんだろ。
・ワコム Clntlq16 15.6インチ フルHD 66700円※液晶タブレット
・ワコム One 13.3インチ フルHD 39800円※同
選択肢はこの二つくらい。てかさすがに最初から66700円は高い。てか本音を言えば2、3万で考えていたので、39800円も高いのだけど、「液晶がないタブレット」で、画面を見ながら描くと言うのは、「慣れるためのハードルが凄く凄く高そう」。つまりこれを翻訳すると、
慣れる前に折れるなら、それは無駄使い以外の何物でもない。
とは言え、将来的にどのていどの期間使うのかを考えたら、「ほぼ絵を描くことにしか使えないタブレット」にそこまで出せるのか、って話もある。てかふと思ったけど、
キンドルファイヤー8(8インチ)とかじゃダメかな、、
価格は1万円ほど。でも8インチ。スマホをちょっと大きくしただけ。さらに静電容量だろうから、感圧のペンは使いづらい。その上解像度も1280*800とかだった気がする、、、
ねぇわ。
ぶっちゃけ今の4K環境に慣れまくってるから、フルHDでもちょっと物足りなく感じる可能性すらあるのだよな。かといってこういう道具を中古で買うのはリスクが高すぎる気もする。新古品ならまだしも、、。
PCに繋ぐにしても、HDMI端子がPC側に二つ付いてるかどうかも重要。デュアルディスプレイでメインモニターと併用出来ないと、そのたびに毎回差し替える事にもなりかねない。てか、よく考えたらテレビはHDMI接続じゃなかったわ。てかグラボにHDMIが付いてるかどうかも怪しいっちゃ怪しかったわ。
・・・調べたら一応付いてた。隣のPC用端子と干渉しなければ使える。
でも、、具体的に届きました、
ではどうしますか?
ってことが見えにくい気はする。結局ゼロからなので、今手元にあるデジラマに「手描きで何かを描き加えるにしても何を描き加えたいのか」が見えてない。そもそもカスタムブラシを使うのに、エレメンツのインターフェイスはあまりにも煩雑過ぎる気がする。
本家フォトショップのサブスク版をレジストしなきゃなんだろうか、、、
デジタルガジェットってのは、使ってる間は古くならないけど、使わなくなったら急速にゴミ化する。スピードや解像度、インターフェイスすらも、加速度的に過ぎていく時間の中で、すぐさま使い物にならなくなる可能性が高い。使わなければ。
ソフトウェアなら、ハードの性能によってレスポンスが本来以上に発揮されることもあるし、使い勝手は存外古いものの方がいいことはままある。OSのテキスト内検索なんて未だにWin98SEの頃が一番使いやすかったし。
・・・この感じだと買わない方向に凄く寄っていってるみたいだけど、
興味はあるんだよな。どうしよっかな~。
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コメント
iPad mini + Apple pencil
とか。
でも……
液タブはBestですが、ペンタブも意外とすぐ慣れますよ^^)
投稿: 月ノ丞 | 2021年12月23日 (木) 03時00分