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2022年1月17日 (月)

つれづれに

てかネタ数が少ないけども。

●メトロイドドレッド~その3~

一回分になるほど書くことが無い、というかほとんど書くことが無いのでつれづれに押し込んだ。

2、3時間プレイして、ボチボチ宇宙船が近づいてきたかな、と言うところ。グラップリングビームとか、スーパーミサイルとかを手に入れた感じ。

何というか、、、既に感想は書いているけど、ぶっちゃけ、

 任天堂の悪い面が出てるような気がした。

「悪い意味で優等生」。一部のプレイヤーが100点を付ける内容じゃなくて、全員が70点を付けてくれるような無難な着地を目指してる感じ。

昨日、水の中でボムを爆発させた際、どうがんばっても「ボムジャンプ」で登れなかった。理屈としてはわからなくもない。動きがモッサリしていれば、その分上昇するのも難しくなるだろうと。

でも、こっちとしては「ここはボムジャンプか!」と気付き、テンションが上がり、躍起になってボタンを連打するのだ。それもちょっとした拍子に上がれることを期待して。

 それがまんまと裏切られる。

二周目以降ハードも用意されているらしく、プレイしていて凄く難しい感じはしない。少なくともメトロイドプライムやフュージョンのボスのような「泣きそうになる感じ」はしない。救済措置※ボス戦中でも回復アイテムを手に入れる手段があったり、とにかく行動半径が狭く目的を見失わないようにしてくれていたり。

3日ぶりくらいにプレイしてかなり「手から離れてた」けど、何とかリハビリ出来て良かった。この先リドリーが絶対出て来ると思うけど、

 何とか倒してクリアしたいよなぁとシミジミ思ってはいるのだけどさ。

てか何が気に入らないって、ブログのネタにならないのが一番気に入らないんだよな。「遊んでる」んじゃなくて「遊ばされてる」感じが強くて。

●プラモをあげる気持ち

まぁ最初からわからなくもなかったのだけど、今回カズヒコさんに制作をお願いがてらPGのザクを送って、

 ああこれ、もしこのまま戻ってこなくても全然平気かもなぁ、、

と思った。

結局のトコロ、一生の時間は、余生は、完全に限られているし、さらに指先が動いて目が見えるとなれば、その尺は間違いなく短くなるはずだ。植物人間だけどプラモは作れるなんて未来は、今のところは聞いたことがない。

で、例えば仕事をリタイアして、時間に余裕が出来たから凄く作るペースが上がるのかと言えば、当然そんなことはない。定年退職するということは、それだけ身体能力が衰えているということだろうし、仕事は出来ないけどプラモは上達しまくる、と言う事も考えにくい。

 限られたリソースの優先順位は、時間>お金※もしくは積みプラ なのだ。

僕が持っている作ってないプラモは、たぶん30個以上あると思う。この1年ほどで多少増えたものだけでも10個以上あるし、実家の押し入れにも20個以上ある。あ、今住んでる家の押し入れにも10個くらいあるから40個くらいあるかも知れない。

マジメにプラモを作るとき、掛かる時間はいかほどだろうか。小学生の頃であれば、例え色を塗って作るにしても、やすりは掛けないし、デカールも貼らない。ただ塗って作るだけなら、1日で作れた。

ではこの40個が40日で作れるかと言えば、それはもちろんNOだ。小学生の頃のプラモと今のプラモでは部品の数も組み上げの難度も違う。そもそも1日どころか1週間で作れるのかって話すらある。

 年間52作以上プラモを作ってる大人がどれほど居るか。

あんま聞いたことがない。せいぜい多い人で20作、少ない人なら当然0だ。

で、仮に10作くらい年間で作るとしたら、「わずか4年」で作り尽くすことになる。1ヶ月に1作と言えば出来そうなペースにも思えるけど、デジラマ作り、ブログ更新、アニメやマンガ、映画その他諸々の趣味と平行してとなると、、、

 まぁ盛り上がれば余裕か。

実際はそうはならないわけだけど。てか、

 作り始めたら絶対「買い始める」だろうし。

ともかく、そんな感じで「作らない日々」を送っていると、、、他の人はともかく僕の中で、

 プラモがどんどん「要らないもの」になっていく。

何を持っていたのかも記憶が曖昧になり、例えばそれを作る自分を想像出来なくなる。ドムトローペンや、O澤氏が似たのを作ったジムスナイパーIIなんかは、まさに「作る意味が無さそう」。

 僕にとってプラモを作る意味とは、即ちデジラマの素材が欲しいと言う意味なのだ。

これはつまり、

 デジラマの素材が安定供給される先があればプラモを作る必要はないし、

さらに言えば、

 作ってくれる人にお願い出来るならむしろお願いしたいくらい

なのだ。

今回カズヒコさんにPGのザクを、一応キット代送料別2万円でお願いした。それはそのザクを自分が「思いっきり撮りまくりたい」と思ったからで、ぶっちゃけ数カットお願いするだけなら、「僕の手元にその作品がある必要はない」。

プラモはデジラマと違って1日やそこらで作れるものじゃない。でも、

 20人の友人がそれぞれ20日掛けて1つずつ作ったとしたら、僕は毎日それを借りてデジラマを作り続けることが出来る。

問題は「そこまで僕好みの作品を作ってくれる人が居ない」ってことと、「プラモは僕好みでも写真のコンセンサスを取りにくい」ということかな。

 みんなガンプラが好きで、自分の作るプラモが好き。でも「そのプラモを使ったデジラマ」のイメージは、なかなか掴みにくかったりするもんね。

ともかく、日々「走れるうちは」走る。全ては優先順位だ。

もしかしたらブログの更新が途絶える事になるかも知れないけど。
※単に忘れてるだけなのだけど

●小さな幸せ

小さな幸せがあったので書いておく。

仕事中、定年退職したパートさんがちょいちょい差し入れを買ってきてくれるのだけど、その中にはおにぎりがあることがある。

 ステキなおにぎりとはどんなおにぎりか。

ズバリ、「具が全面に挟み込まれているおにぎり」こそが、ステキだと言い切れる。

どこから食べても具がある。てか、

 白米オンリーが食いたいなら、最初から塩むすびでいいだろって話。

それはそれで美味しかったりするけど、具が欲しいなら「全部具があって欲しい」と思うのだ。

 それがわかってないのか、単なるコスト的な問題か、、、

なぜおにぎりは飽食の今の世の中にあっても、「真ん中にしか具がない」のがデフォなのか。ホットドッグとかソーセージがハミ出してたほうが絶対嬉しいでしょ?違う?

・・・

またも更新し損ねてしまった。まぁ毎日更新で言えば途絶えては居ないんだけどさ。

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