仕入れにて
2/6の日曜、ほぼ月イチの大阪仕入れに行く。
目覚ましは5:55。起きてすぐやるのは、
車のフロントガラスが凍ってないかの確認。
もし凍っていた場合は、お湯を沸かして溶かさなければ、運転がとても怖い。面倒臭がりな僕だけど、ここはその範疇を超える。
無事凍ってない。が少し雪がぱらついてた。
よもや新幹線が40分も遅れるほどだとは。
岐阜の米原辺りと言われていたが、ぶっちゃけ岐阜県全域が大雪だった印象。積雪は新幹線の際(きわ)にある暴風壁の上に、最大で40cmは積もってる感じ。
冬場の仕入れには、この時期の雪景色がポピュラー。であるのだけど、今回の雪はいつも以上に凄くて、
視界が完全に真っ白になる「ホワイトアウト」な状態も初体験。
つっても窓の外が、だけど。
ふとここでもし外に投げ出されたら、自分はどう対応するんだろうと考える。
まぁ死んでしまうのだろうけど、
少しでも抗うとしたら、、、まずはとにかく掘る。少しでも体力があるウチに、掘って、押し固めて、空気の抜け道をがんばって確保しつつ、「簡易型かまくら」みたいなものを作る努力を、、、って冷静に考えたら、
こんな街中なら、普通に方角を決めて移動した方が生存率は高いか。
てか、冬の雪山にはたぶん行かない。スキーももうやらないと思うし。
そんなことを考えつつ、デジラマ用に使えるかも知れない写真をパシャパシャと撮る。なんにせよ、イレギュラーな風景写真にはそれだけで価値があるのだ。
京都に着く前に雪景色は一変。見慣れた普通の街並みになる。大阪もしかり。ちなみにオミクロンがどうこう言ってるけど、新幹線の乗車率はさして低くもなく、かといって自由席で座れないと言う事もないレベル。もちろんマスクをしてない人は居ないが。
仕入れ先では、軽くない衝撃を受けた。
僕はこの仕事を始めて32年になる。実家に戻って27年。自分で大阪に仕入れに行き始めて25、6年経つが、
その頃からのバイヤーが何人も退社するという。
精度を上げて言えば、20年以上の付き合いのあるバイヤーが4人、10年以上が1人退社すると言う。さらに売場移動で親しかったバイヤー2人も、もう会うことが無くなる。
これは本当に寂しいことだなぁと思った。
涙を流すのとは違うのだけど、毎月のように会って、くだらない話をしつつ商売をする。20年ずっとではないけど、100回は会って話をしてきた「友人」と、「今生の別れ」をするのだ。
これは死別に等しい。
死別で感じる寂寥にも似た切なさを痛感する。相手はそこまで思ってないかも知れないけど、握手をし、肩を叩く。
血の濃さとは、「相手との今に繋がる時間の長さ」であり、現状から途切れた相手とは、文字通り疎遠になっていく。積み重ねた時間が希薄になっていく。思い出が見えなくなっていく。それは他界したオヤジであっても、中学校の時の友人であっても、
仕事で知り合ったお客さまや、バイヤーであっても同じだ。
つまり、寂しさはその場で別れた瞬間がピークかのように思えるが、実はそうじゃない。
別れを思い出している間は、「途切れては居ない」からだ。
「別れを思い出さなくなる直前」が寂しさのピークであり、それまでは結構切ない気持ちに苛まれたりする。でもって数日、数週間、数日、数年後にふと思い出したとき、再度その頃の熱量がぶり返して寂しくなったりする。蓄積が長ければぶり返しの熱量も高い。
人間はなかなかひとりでは生きていけない。でも、究極のトコロ人間はひとりだ。生まれるときも死ぬ時も、普通はたったひとりでやってきて、そして逝く。たかがバイヤーの退職。でも歳をとってそれが死別と大差ないことを理解すると、
グッと切なくなるのだ。
・・・
その後は大したこともない一日。帰りの新幹線は21分遅れ。名古屋駅で数枚写真を撮り、自店の閉店に間に合うように戻り、コンビニでカップ麺を買って帰宅。
帰り道にセブイレの「リンゴバー」110円くらいのを食べながら帰る。てか、
このリンゴバー※正式名不明のアイスキャンディ、★★★★くらい美味ぇ!
驚いた。人生損してた。一生の間で食べたアイスキャンディの中で、
上位1位以内に入るくらい美味しかった!
シャリ感のある表面と、なめらかなペースト感のある中身。可もなく不可もないちょうどいいボリュームと、堅すぎない食べやすさ。
一緒に買った「ネギ塩ヌードル」は普通だった。
こうして今生の別れすら薄れて行くのだ。現実には。
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