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2022年3月 5日 (土)

独り言

今51歳。死ぬまでのカウントダウンが随分進んだと思うと同時に、自分より早く死んじゃった人より長生きしているんだな、とも思う。

僕が初めて働き始めたのは19歳の頃だったと思う。勤め先の店長は43歳で、僕の記憶では、

 今の僕より頭がハゲていた。

まぁ僕の現状も大概なわけだけど、その時になってみないとその時の自分はわからない。「51歳の自分」を例えば19歳の頃の自分は想像すらしないし、30歳、40歳の自分も、51歳の自分がどうなっているのか全くわからない。今の僕が60歳、70歳の自分をイメージ出来ないのも同様だ。

例えば僕は今、「歯の神経」を相当数抜いている。一言虫歯が痛かったからだが、良く言われる「80歳まで自分の歯を20本」は、とうの昔に無理な状況だ。

ただ、ではがんばって自分の歯を維持し続けられたのかと思うと、それは絶対無理だったと思う。冬の歯みがきの度にお湯にしたりガマンしたりする苦しさを何十年も続けた結果、自分の歯の寿命が30年延びたとしても、その為に苦しみ抜いている時間をチャラには出来ない。

最近は新中学1年生の子の制服や体操服の採寸をする機会が多いが、お母様にお伝えするのは、

 どこにストレスを持って行くか。

「3年生まで着れますかねぇ」と問われるお気持ちはよく分かる。安い買い物じゃないから、3年の3学期まで買い換えたくない。当然だ。

でも、例えば身長150cmの男の子が居るとする。標準が165cmの学ランだとすると、大きめが170cm、小さめが160cmという感じになる。

 その状況下で、175cmをご希望される方が居たとき。

確かに中三まで十分に着用することは出来るだろう。がしかし、「中三の3学期でちょうど良くなる」ことの犠牲に、「2年間ブカブカをガマンする」がある点を看過しては居ないか。

 大きめを買えば買い換えの不安からは逃れられるけど、その分最初にしわ寄せが来る。

もっと言えば、「中三になっても175cmの学ランが大きすぎる可能性」すらある。

 60歳で死んでしまうかも知れないのに、80歳まで少しでも自分の歯を維持しようと神経を抜かず、30歳から60歳までずっと痛い思いをし続けるのが正解とは限らない。

もちろん僕は入れ歯の不便さや辛さを知らない。それを知っていれば「もっと神経を抜かずに居たのに」と後悔するかも知れない。たばこの吸いすぎとか、運動のしないとかも同じ。

 未来はどうなるかわからない。

僕は長生きしたい人だ。親父の73歳より長く生きたいと強く思う。でもそのために何かをしているかと言えば答えはNOだ。何もしてない。何もしてないのに希望だけある。

 図々しいヤツだ。

でも、例えば長生きするためにいろいろ食生活とか気を付けていた父方の祖母は、78歳で他界した。

 タバコを1日3箱吸っていた親父と5年しか違わない。

いろんなことをガマンして、気を付けて、、、それが楽しければいいけど、そうじゃないのに「長生きするため」と、努力をしてもそれが必ずしも報われるわけじゃない。

 神様は割と気まぐれなのだ。

僕だって明日コロナに罹るかも、交通事故で死ぬかも知れない。何が起こるかなんて全くわからない。僕はガンの辛さも、骨折の痛みも、ヘルニアも陣痛も脳卒中も経験がない。もっと言えばしもやけすらもほぼ経験がない。

視力は悪いから、目が悪い人の気持ちはわかる。このままどんどん乱視がひどくなったら嫌だなぁと思うけど、

 やっぱり本当に困るまではたぶん何もしない。

例えば少しでも長く普通に見えるままで居る為に、「今夜10時には眠って下さい」と言われても、そのことによるマイナスの方が大きく思う。

 将来の為に今を犠牲にしすぎたくない。

唐突に目が見えなくなったらきっと絶望すると思う。でも、そのために今スマホを手放すことも、ネットフリックスを解約することも、毎日2時間遠くを見続けることもしない。

そのことで後悔する日が来るかも知れないけど、

 「それ以外の後悔をしないために」、今しっかりと楽しく生きる努力を惜しみたくないのだ。

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