質感表現
メタリック、フラット、濡れてる、プラスチック、実物や実物を撮影した写真は、実際にそう見える。革は革のように見えるし、ともすれば鉄とステンレスの区別すらも付く。
メッキ加工されたプラモの表面と、本物のクロムメッキにも微妙な違いがある。ビショビショに濡れているのと、少しだけ湿っているのにも違いがある。光沢のあるメッキとフラットなメッキも全然違うし、空山基さんの絵も、どこか「リアルとは違う」。あんなに上手いのに。
CGの進化は、そうした質感の実現にもかなり変化をもたらしていると思う。インスタで僕がよく見る「cg3」さんの作品なんかは、完全に金属と布の違いがわかるし、人間の肌に関しても、この数年で大きく進歩した気がする。
それをフォトショップで再現出来ないものか。
ちょっと前に作ったズゴックを「濡らす」のは、凄く意味があった。「ヌメッとした質感」を、「自力で」構築することが出来たからだ。
しかし、それ以降あまりやろうとも思わず、のらりくらりと今日まで来てしまった。
やるんなら徹底的にやらないと「手に馴染まない」というのに。
メタリックとかも、たぶんきっと正解というか「レシピ」があるのだと思う。問題はそれを自力でたぐり寄せられないこと。てか、
フォトショップを手足のように使っている人でも、そのレシピを知っている人がどれほど居るのか、とも思う。
レベルが高いというと語弊はあるけど、「ニッチなニーズにはニッチな知識」なのだ。
目で見ても正直何がどうしてソレが金属に見えるのかがわからない。嗚呼ホントはそう言う話を誰かとしたい。フォトショが使える誰かと、「ここをこうすると金属っぽく見えるよな!」みたいな話が凄くしたい。
そんな人は居ないのだが。
百歩譲ってフォトショは使えなくてもいい。美術系、デザイン系を専攻してて、「イメージを言葉に置き換えられるスキル」がある人なら、と言うかいろんなことを学ぶ過程で、そうした分野の知識も備えていくのかも知れない。
以前僕が「コントラストを高めると硬質感が上がる」と書いたような。
でも、実際ただコントラスト比を高めるだけでは金属にはならない。ただコントラスト比が高いだけの、「ハレーションを起こしてるような写真」になるだけだ。
しかしフォトショにはたくさんのフィルターもあるわけで、それらの中のどれかを、特定のバランスでチューニングし、輝度とコントラストと色調を調整し、さらにハイライトを特定のブラシで「描く」ことが出来れば、、、
プラスチックが鉄に変わる気がする。
ある意味「錬金術」と言ってもいい。※ボケじゃないぞ!
昨日久々に水濡れ再現をしようと、海から半身出したゴッグを加工。
・明るめの部分を含む同パーツを範囲選択
・色域指定で明るい部分を選択
・2極化で、選択部分を真っ白にする
・範囲を調整
これで上手く行けば「ヌメっと濡れてる感じ」になる、、、というかズゴックの時はなったのだけど、ゴッグではそこまでの感じにはならなかった。無念。
ただ、「濡れている」という状態「水」の状態の特徴としては、「真っ白である」もしくは「極めて明度が高い」ことが挙げられるはず。
方向性は間違ってないと思う。
例えば海面に反射する部分に関しても、これまでは「上下反転して明度を整え、波紋変形を加える」くらいしかしてなかったのが、
波の中の白い部分を色域選択し、その部分を別レイヤーにコピー。「それ以外の部分」に前述の「明度を整えて波紋変形を加えたシルエット」を貼る。
そうすることで、かなりイイ感じのリアルな「海面反射」を表現出来た。
「ヌメっと」はムリだったけど、別のスキルアップが出来たと思う。
・・・
フォトショップの使い方は、当たり前だけど世界中の人が何十年も掛けていろんなアプローチでテクニックを研鑽し、マニュアルにない突飛な発想の一つ一つがスタンダードになり、ソフトの改善にも役立ってきたはずだ。
だから、たぶん根気よく探せばそう言うニッチな表現方法のアプローチも見つかると思うし、実際にそれを活用して作品に活かしている人も少なく無いと思う。3DCGのツールで作れる映像が、フォトショで作れないとは考えにくい。
一方で、フォトショの機能を完全に熟知している人というのも、それほど居るとは思えない。ある程度様になるくらいの上達度、タイピングがブラインドタッチに変わる程度の習熟度の人の人はゴマンと居るだろうけど、
プラスチックを本物の金属に置き換えられる人が果たしてどれほど居るか。
もちろん僕もまだまだ全然出来ない。ただ、ポイントの中には「視点」「志」「情熱」があると思う。ただブ厚いマニュアルの中にあるから調べろと言われても、それはなかなか難しいし、実際調べて使っても、それが手に馴染むのにはかなり時間も掛かる。
それは他の人の言葉だからだ。
でも、自力で試行錯誤して覚えた操作は、案外「手から離れにくい」と思うし、活かし方も殺し方も、つまり、「そのさきにあるもの」も見えやすい。自分で気付いて自分で始めた「深度合成」が、既にプロの世界ではスタンダードなテクニックだったと聞いたとき、僕は普通に嬉しかった。自分の発想がプロで通用することだったからだ。
でも一方で、「深度合成をする必要がないレベル」も最近は把握しつつある。それは単純な手抜きの話ではなく、「人間の視点が、ぼやけていることでそのスケールの小ささを無意識に認識するポイントがある」と言うことだ。
具体的に言えば、大きく伸びたバズーカの先端がぼけていると、それは「プラモデルのスケール」だとわかる。しかし、脇の下から覗くバックパック部分がぼけていても、全体の印象は誤差ほども変わらない。
さらに一歩進めて、通常の撮影方法でプラモデルのような小さな物を撮影した際に発生する「ぼけ」と、意図的にこちらが掛けた「ぼかし」もまた、脳に与える印象が違う。以前から違う気はしていたが、最近さらにその実感が強まった。
まだ完全にそれを使いこなすまでは至ってないけど、「近景」「中景」「遠景」の三つの距離感を合成する際、「実際に存在する写真」であっても、ぼける距離、ぼける度合いはある。ただ通り一遍に深度合成で全てにピントを合わせることがリアルになるわけじゃない。
全ては想像力とバランス感覚が問われる部分なのだけれど。
僕は僕のバランス感覚、センスを信じて仕上げるしかない。だって僕の作品なのだから。他の人が違和感を感じても、それが必ずしも正解とは限らないし、逆に準じて調整することで良くなることも十分ある。
人の意見に耳を傾けることも大事。自分のセンスを信じることもまた大事なのだ。
てか質感表現から話が逸れてしまったけど、ぶっちゃけ結構入り口にまでは来てる気がする。以前からの命題のひとつだった「太陽光の再現」や、「適切な明暗の度合い」、その調整が、何か以前より良くなってきてる気がする。
コントラストと明度、彩度と明るさだけじゃなく、レベル補正も使うようになったから。
レベル補正とは、「暗いところをさらに暗く、明るいところをさらに明るく」したりする調整だ。ただコントラスト比を高めるのとは違う手ざわりが得られる。
よりハイレゾリューションな調整を「目の頭が」理解出来るようになってきた気がする。
・・・
僕がやっているのは、言っても素人の趣味の領域で、プロの方とは比べものにならない稚拙なレタッチだと思う。だから、例えば誰かが本気でやり方を教えて欲しいと言ってきても、「教えられないようなハイレベルな技術」は無い。
では、僕は1年前と何も変わってないのかと言えば、それは違う。1年前に見た伊藤さんの怪獣のデジラマ。当時は何が何だかわからず「スゲースゲー」と驚くばかりだった。でも今は、
「3割くらいはネタバラシが出来る気がする」。
もちろんわからないことも少なく無いけど、「以前見えてなかったことが今なら見えたりする」。
いつの間にかレーザーやモノアイを光らせることも出来る様になった。苦手だ苦手だと言っていたのに。
いつの間にか室内光で撮られたプラモも普通に使ってそれっぽく見えるようになった。撮って下さってる方のライティングのタマモノなのだけど、それでも以前ほど自然光に対するこだわりが無くなった気がする。
きっとまだまだ先は長い。いつの日か、
プラスチックを金に換えられる日が来るかも知れない。
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