インスタ格言とか
まぁいろいろ流れてきて、結構読んでしまう。いろいろ思うところはあったが、現時点での僕の感想は、
耳障りの良い言葉、つまり美辞麗句を並べていいねを稼いでるだけ。
例えば、「今年の風邪は長引くぞ!」と言う言葉があったとする。これは割と普通に毎年のように言われていた。
※この数年はコロナで言われなくなったけど
他には「A型だから神経質」とか、「わかってても出来ないんだよ」とかもそう。
何気ないことをそう見えないように言ってるだけ。
やれそうでやれないことや、環境次第で絶対出来ないことも、「それをすることで人生がバラ色になる」かのごとく語る。
自分にストレスを与えてくる存在が居るなら、そこに接触しない
人間ひとりで生きられる人はそう多くない。簡単に仕事を変えられる人ばかりじゃないし、クビに出来るわけでもない。人数が少ない職場ならなおのこと。
腹立たしい相手は「じゃがいも」だとか「ナス」だと思えと言う話もある。
自分と同じ人間であると思わず、「見下せ」というわけだ。そうは言わないが。
自分が傷ついたり、すり減ったりする相手は、要は「殺せ」ってことだ。存在を消せ、と。無かったことにしろと。
もちろん現実にはそんなことは出来ない。
と言うか、「腹が立つ必要はない相手に腹を立てるな」というのは、表面的に取り繕って言えば「腹を立てる価値もない」という表現になるが、言い換えれば、
冷たい人間になれ、クールでドライで、無関心な人間になれ、ってことだ。少なくとも「どうでもいい相手には」。
僕は割とそれが出来てしまっている。
そう言う格言を読んでも、「ほほう」とは思わない。出来てるから。でも出来てるからこそ、別の感想が出る。
それが必ずしも正解とは限らない。
過去何度か書いてるが、「常識の半径」の話だ。アドラー心理学サロンの格言が比較的目に付いたりするが、
「心理学を学ぶ環境にある人間の周りに居るレベルのクズ」を十把一絡げに全てのクズに適用出来ると思うな。
頭の悪いヤツも性格の悪いヤツも然り。自分の過去の経験と、重ねた知識、突きつけられたシビアな状況の有無こそが、その人間を形作る。耳障りのいい言葉だけで1から100まで片付けられる「わけがない」のに、断定的な物言いをするのは、
自分の半径が狭いことを恥ずかしげもなくアピールしてるようなものだ。
もちろんその言葉に乗せられてしまう人の方が多かったりもするし、そもそも「断定的な物言いをしたくなくてもせざるを得ない立場」だからしているだけで、本心ではそんなことを思ってもいないのだろうけど。
もちろん僕だって「経験したことがない範囲」は大いにある。
さしあたってウクライナとロシアのこともよくわかってないし、コロナの怖さや、災害レベルの地震の被害もわからない。でもだからこそ、
勝手な思い込みで断定的な表現をしないようにしたいと思う。
自分はたぶんイレギュラーなのだと思う。「普通≒多数派」とするなら、僕は普通じゃない。だから「普通はグッと来る」言葉に納得出来ず、反論してしまいたくなる。概ね正しい多数派の考え方や正義に異を唱えるのは、一言で言えばガキだ。
「そんな考え方じゃ、この先苦労するぜ?大人になれよ」
そんなことを、遙か昔誰かに言われた気がする。
僕はもう51歳だ。世間的に言えば十分大人だろう。
僕は酒を飲まないし、特にオフの友人も今は居ない。町内会の行事にもほぼほぼ参加しないし、隣の家の人の顔もよく覚えてない。
それでも「こう生きた方が人生は楽しい」という格言にかなり即した生き方をしているし、事実それなりに人生を楽しんでいると思う。後悔や挫折や悩みや窮地に陥った経験は、たぶん同世代の人間の中ではトップクラスに少ないと思う。僕は高卒で大学は行けなかった人だが、大学に行けなかったことで落ち込んだことはない。大学生を羨んだ記憶も、ほぼほぼ無い。
結局のトコロ、僕は僕にとっての耳障りのいい言葉だけを聞いて育ってきたのだろう。
そして、それが許される環境だったのだろう。
酒が飲めずたばこが吸えず、小洒落たバーも、サッカーや野球の知識もなく、「女友達」と言えるような女友達も居ない。
※「友達」と言える女友達は居るが
常に楽しいを選択する
未来のことで今苦しまない
物事を重く考えすぎないし、
聞き上手でもない
本もほとんど読まない
運動(ウォーキングや散歩含む)もしない
人生の目標は「笑って死ぬこと」
でも誰かに迷惑を掛けないようにしてるつもりだし、
モラルに反した生き方を是というつもりもない
・・・
僕は背も高くないし、顔も良くないし、頭もハゲてるし、歌も上手くないし、運動神経も良くないし、、、たぶん人間としての価値を減点法でジャッジしたら、結構な低評価が下される気がする。
でも、
虫歯を除いて概ね健康だし、花粉症もそこまでひどくないし、コロナやインフルエンザに罹ってるつもりもなく、今のところガンや糖尿病の自覚もない。メタボ気味に腹は出ているがそれで困ってるわけじゃないし、慢性頭痛で夜眠れないと言うこともない。
マンガを読み、アニメや映画を観て、お菓子を食べ、ブログを書き、プラモの写真を加工してインスタにアップし、ちょっと褒められて調子に乗りつつ返事をし、トイレの限界までゲームをしつつ寝オチする。
そんな毎日。
そんな自分。
もし願いがあるとするなら、、、
もう少しオフのコミュニケーションが取れる相手が欲しい。
友達である必要はないのだけど、例えば「この曲いいよ?」とか「あの映画見た?」とか。
タイトに自分の欲求を消費消化しようとした結果、オフのコミュニケが手薄になってるんだよな。「オフを犠牲にして(インスタ)フォロワーを稼いでる」。そんなつもりはなくてもそんな感じになってる。
余談だけど、最近の僕が一番「無駄だ」と感じるのは、
布団に入ったのに眠れない時
毎日ではないのだけど、凄く疲れていても、ゲームをやりまくっていても、なぜか眠りに「落ち損ねる」日がある。面倒なので一旦布団に入ったのに起きて何かをしたりもしないし、夢と希望とハラハラドキドキワクワクの夢が見られるわけでもない。特に明け方3時4時を過ぎた時間だと、寝ておかないと仕事がツライとも思ってしまう。
そして通勤の車の中で「眠い、、」と口にする。
睡眠のコントロールがもっと上手くなりたいな~。
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以下蛇足
「本を読め」ってのだけは特に納得出来ない。本を読む、つまり知識を蓄えろと言うことだと思うのだけど、
※それがラノベだろうと経済とか心理学とかの本だろうと、図鑑だろうとマンガだろうと、少なくとも「本」と呼べるものから得られるのは「情報≒知識」だろう
それを主張する人は、それが「本を読める人」限定だと言うことがわかってない。
字面を追っただけで頭に入るわけじゃない。中学高校で小説を読みあさってる人ばかりじゃない。そもそも「何の本」なのか。
エロ本でもいいのか?
理解出来ない量子力学の本を読む意味などない。あ、
わからなくてすぐに眠りに落ちることが出来る効能はあるかも。
もちろんそう言う意味で言うわけもない。そもそも「朝読め」とか言ってるし。
本じゃなきゃダメなことって何だよって思う。マンガや映画じゃダメなのかって思う。面白くも楽しくもないことに「命を費やせ」と気楽に言うな。
コレに関しては、オレがマイノリティとは限らないと思うぜ。
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