いかんなぁ
重めなタイトルだけど中身は重くない。
時間の加速が止まらない。
特に最近顕著に感じるのが、
ブログの消費が早い。
幾ばくか書きためて置いても、気付けばアップが滞ってて慌てたりする。別に更新が止まったところでなんと言うことはないのだけど、
2005年から、途中一ヶ月「特殊な理由」で休載していた以外、ほぼ一日も休まず続けている
と言うのは、おいそれと停止するには重すぎる。何だかんだ言って自分で読み返すことも相変わらず少なくないし。
別に何を書いてもイイし、短くたってイイ。誰のためでもない自分のために書いているのだから、遠慮も配慮も要らない。文句を言われてもガン無視出来るし、荒らされそうになったらサクッと削除する。
ちなみに、このブログを始める前のクリスはどうだったかと言えば、
とあるエミュレータの掲示板に粘着してた。
つっても荒らすわけでもなく、楽しくみんなと書き込んでただけだけど、
スゲェ書いてたのは間違いない。
あまりに書きまくってたので、「だったら自分のブログを立ち上げてもイイだろ」と思った次第だ。
ともかく今は2022年。始めたのが5月頃だったから、丸々17年も経っている。そりゃあ加速もするさと思いつつ、この半年くらいは、
その前の年の3倍くらい早く時間が過ぎてると感じる。
ひとつにはブログのネタに乏しくなっている点。特にゲームに関しては、以前楽しめた物の多くが楽しめなくなり、プレイ頻度は激減。風前の灯火(ともしび)だ。
映画もそれなりに見てはいるものの、ツタヤに借りに行かなくなって、
※レンタルDVDが廃止された
わざわざ遠くのゲオまで行く気にもなれない。ネットフリックスやUNEXTで見ることは出来るけど、新作や準新作から遠のくのは、感覚として全く別物だ。
このまま全てが加速し続けて行ったら、、、
3年後にはどうなってしまっているのか。
今まで生きてきて、去年より今年の方が時間がゆっくり流れたな、と実感した年はただの一度も無い。つまり、今これだけ加速感を感じていることが、1年、2年、3年とさらに重度を増し、
体感1日10本ブログ書いても、すぐ翌日には消費されてしまう!
みたいな感じになってしまいそう。冗談でも何でもなく。
もっとも3年後まで生きていられるかどうかもわからないけど。
一方で、少し楽天的な見方をするなら、
若い頃「ドラゴンボールの最終回を見ずに死にたくない」とか、「いつかはドラクエの最新作が遊べなくなるのか」みたいな不安を抱いたことがあったのだけど、
それに関しては結構平気になった。
まぁ「僕ヤバ」が読めなくなるのが唯一一番ツライことだけど、ドラクエやFF、ゼルダの新作が出来ないことによる辛さ、死ぬことで結末を知ることが出来なくなる辛さは、
特に思い入れも無くなったから結構平気。
最新のゲーム機で遊べなくなることの不安も、
そもそもPS5買えねぇし
って感じでどうでもよくなったし、
※以前なら深夜から並んで買ってたけど、コロナもあって当日販売は無くなったし、抽選は当たる気が全くしないのでやる気もないし
ガンプラに関しても、「買えない物を求める徒労はしたくない」→「だからもう要らない」と結論付けた。
ある意味これまでの僕の人生は、「欲しい物はほとんど手に入れてきた人生」だったとも言える。
欲しくて欲しくて最後まで買えないままだったものとしては、PCエンジンの「聖夜物語」くらいで、手に入らなくても結局要らなくなるとか、
忘れよう忘れようと思って、ちゃっかりしっかり忘れることが出来たとか。
ちなみに、ポケモンカードとガシャポンHGのMSセレクションに関しては、ある時点までのプロモを含む全てのアイテムをコンプリートして満足したりしてるのだけど、
あれはあれで本当に達成感があったなぁと思う。
「瀬戸内レモンかりんとう」も、見つけたら大量に買おう!と思って5つ買って、2袋食い終わればもう満足なのだ。ヨーグリーナが店頭から消えたと思っても、再販時に持ちきれないくらい買って1、2本飲めばそれで溜飲は下がる。
以前ブログのヘッダに「飢えていこう」「走り続け泳ぎ続ける生き方がしたい」みたいなことを書いた気がするけど、、、実際それは今でも変わってるわけじゃないのだけど、一方で疲れたり眠くなったりするのは避けられない。以前は「そうならなかったタイミング」で、今はそうなってしまう。以前「これはもう限界だ!寝よう!」と寝オチしたのが、今はすぐに訪れてしまう。
健康であることには大いに感謝するけれども。
やはり、大切なことは衿を正すことだ。
面白いと思えばそれは文字にする。
食べたいと思えば何時でもコンビニに行く。
映画を観るなら面倒でも雨戸は閉める。
優先順位を決めて、より上位のことを、躊躇わずに実行する。
昨日と違う今日にする「努力をする」。
ただ、、、
インスタの更新がなかなかに難題なのだよな。いや、別に現時点で25作ほどもストックが溜まっているわけで、ちょっとやそっと休んだって痛くも痒くもないのだけど、
一日一作くらいは新作を僕が見たいのだ。
例えばもし「僕ヤバ」を僕が描いていたとしたら、僕は、
死んでしまったかも知れない。
先が読みた過ぎて歯止めが利かず。
毎日必ず傑作が作れるわけじゃないけど、傑作になるかどうかは作ってみないとわからない。背景と被写体を組み合わせて準備して、それを掛け合わせた結果「よし!」って思えるようなのが出来ると、
やっぱ楽しいのだ。
問題は、それが果たして「割に合うのかどうなのかがわからない」と言うこと。
以前は間違いなく割に合ってたと思うのだけど、今は正直微妙。ブログのように毎日更新を自らに課しているものの、特にスゲェカタルシスがあるわけでも盛り上がれるわけでもない。
・・・
プラモ作りを再開したのは間違いなく天啓だったと思う。そこからデジラマ作りにシフトしたことも、今までに味わったことがない楽しさを味わうことが出来た。
しかし物事にはいつか必ず終わりが来る。もちろん僕の命にも終わりは来るが、それはなるべくならその瞬間まで知らずにいたい。
インスタを始めた頃は、「もし見てさえ貰えたらいいねして貰えるのに」とか、「一人でも多くの人に見て貰いたい」と強く思っていた。
しかし、実際それをキレイに叶えるのは難しく、「いいねはいいねと思ったからするわけじゃない」ことを知ってしまったし、「1万人のフォロワーが居ても1万人が見ているわけじゃない」。
さらに言えば、リーチが10万人を超えたことで、「一人でも多くの人に見てもらうことが出来た」と、目的を達成してしまった感すらある。
エヴァ弐号機のリーチは1作で39.5万人である。
僕の作品を、約40万人もの人が見てくれたのだ。
始めた当初の目標とは、もはや次元が違う。まぁお小遣いにはならないが。でも見方を変えれば、「お金を使わずに楽しんでいる」わけだから、「お金を使って楽しんでる」ことと相対的に考えれば、「その分のお金を生んでいる」とも言えるかも。
このペースで死ぬまで作り続けることはないだろうが、20作もストックがあると、「アップ出来なくて死ぬ」ことはあり得そう。それはもったいないと思うので、策を講じて「自動でアップする準備」をするのはアリかも知れない。それなら死んでもストック分は投下出来る。
まぁ自分が死んだ後のことをどれほど考える意味があるのかとは思うけど。
いい加減満足してやめてもいい気もするし、
せっかくここまで築いてきたものを無下に捨ててしまうのもどうかと思うし。
・・・
間違いなく言えることは、僕にとって、今がほんの2年前より遙かに時間の経過が早くなっていると言うこと。
それに抗えるなら抗いたいのか、抗えても抗いたくないのか
抗うならば、インスタは止める「べき」かも知れない。この2年で加速したとしたら、その要因は間違いなくそれだからだ。
だが、止めた結果時間の速度が元に戻る、ゆるやかになるとは限らない。そして、止めたら結果として確実に、
日々の娯楽が大きく欠損するということだ。
誰も僕のデジラマを作ってくれないからな。
「時間は何よりも大切なのか」
時間はお金より大切だとは思う。だがしかし、例えば104歳まで生きられたとして、今が折り返しの年齢だったとしても、残りの52年間、何の楽しみもなく、ボーッと(ぼけてるわけじゃないにしても)生き続けることに意味などない。僕はたぶん世界の平均よりたくさんの楽しさを味わって生きてきた側の人間だと思う。それは求めた結果で、ボーッとした結果ではないのだ。
ブログもインスタも、続けられるだけ続けよう。それがオレの生き方だ。
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