安倍晋三が残した言葉
インスタで紹介されていた。
言いたいことがあるけど、そこに書いても削除されそうなので、こっちに書く。これは「僕が言いたいこと」であって、「誰かに伝えたいことではない」ので、目くじら立てて反論されても困る。独り言ではあるが、考え方のひとつとして「そう思う人間も居る」という話だ。
まずそれを引用する前に、前回のこの話でも触れた通り、
真実を知らないのに決めつけて書くのは、少なくとも僕はしたくない。
殺人は間違いなく罪だが、それが不特定多数相手でも、テロでもない、怨恨であるのなら、その理由を知らずに一方的に責める気にはなれない。「いくらなんでもやりすぎ」には同意するが、「腹を立てたり憎んだりするのはおかしい」とは言えないと言うわけだ。
※改行箇所や句読点の有無は、インスタのポストに準じています。どう考えてもおかしいところも直してはいません
※「●」で始まる部分が引用部分。「※」で始まる部分が僕のコメントです
●日本は戦後、民主主義と自由を守り、平和国家としての道を歩んできました。
この姿勢を貫くことに一点の曇りもありません。
※いかにも政治家っぽい、中身を感じない発言。ドラマで悪徳な政治家が口にしそう。なぜそう思うのか。氏が「姿勢を貫いた成果」を僕は何一つ知らないから。さらに言えば、氏以外の誰か他の総理との違いがわからないから。これは安倍元総理だけの言葉なの?他の総理は「この姿勢を貫かなかった」の?氏だけが特筆して素晴らしいことだから「言葉」として転載したのではないの?そもそも、
僕だってその姿勢は貫いている。むしろ「民主主義と自由を守り、平和国家としての道を歩んでない人間」が、今の日本にどれほど居るのか。
自分は普通の人だと声高に叫んでるようにしか見えない。
●誰が何と言おうと、どんなに批判を受けようと自分の信念を持ち続けることが重要。
※その信念が何なのかは、本人にしかわからない。口にした言葉が必ずしも真意、本音であるとは限らない。持ち続けることで総理にまで登り詰めたと言うのなら、それは「総理になるための正解」であって、人間として、例えば僕個人に対しての正解ではない。
●友達がいなくて独りぼっちの子がいたら、ぜひ声を掛けてあげてください。
私がこどものときにそういうことができなかったことを、今でも後悔しています。
※どちらかと言えば声を掛けた方だと思う僕からしたら、「ただのクズ」にしか思えない。後悔するくらいならその時に声を掛けろ。いじめを看過するタイプの人間は同罪だ。
案外被疑者は、安倍元総理を含む何人かにいじめにあった経験がある人の親だったりして。
※一言も「いじめ」とは言ってない。だが、いじめをオブラートに包んだら、「独りぼっちの子」という表現に行き着く気がする
まぁそれでも殺すのは行きすぎだとは思うが。それにいじめにもいろいろあるからな。自分が総理になるために、常に生まれてからずっと清廉潔白のままってこともないだろうよ<勝手な思い込みだ。
●ただスローガンを重ねるだけでは、社会を変えることはできない。
具体的な政策なくして、そのスローガンを現実のものとすることはできない。
具体的な政策を提案し、実行し、そして結果を出していく決意だ
※そりゃそうだろう。だが最後に「決意だ」とまとめてしまっては、それが実行されたのかどうなのかわからない。「自分にとって有利な政策を掲げる政党を支援する決意だ」と言ってるのと大差無い。「僕はそう思ってる」というのと「決意だ」はほぼ同義。つまり、思ってるだけでやらなくても問題はないだろう?と言ってるようなもんだ。
「決意だ」と加えることで、逃げ道を用意しているようにしか見えない。
決意はしたが実際にはムリでした、って言えるからな。
●言うべきことはきちんと言わなければならないし、そのためには自分で発信することを躊躇していては何にも始まらない
※それが総理大臣なのでは?もしくは大統領なのでは?何当たり前のことを言ってるの?どこかが「安倍晋三の言葉」なの?
●残念ながら残された課題もあります。同時に国論を二分するような困難な課題に挑戦し、達成できたこと、実現できたことがあります。
全てはどんなに苦しい時も、変わることなく至らない私を応援してくださった皆様のおかげであります。
※「全ては支援者のお陰」。手紙の書き方にもありそうな常套句で、安倍元総理に対してではなく、この文言を拾い上げた人に対する違和感。心からそう思っている言葉なら、こんな垢にまみれた表現をすることにいささかでも抵抗して欲しいと思うのは、僕の身勝手なのか。
そもそも達成できた課題って何?まさか「アベノマスクの実現」を誇ってるわけじゃないだろうな。
●私たちの国日本は、美しい自然に恵まれた、長い歴史と独自の文化を持つ国だ。そしてまだまだ大いなる可能性を秘めている。
この可能性を引き出すことができるのは、わたしたちの勇気と英知と努力だと思う。日本人であることを卑下するより、誇りに思い、未来を切り拓くために汗を流すべきではないだろうか
※「べき」が大嫌いなのは、「本人はやってなくてもそうすべきだと思ってる」と言ってるようにしか聞こえないからでもある。別に卑下もしてないし、それなりに誇りにも思ってる。明日の糧を得る為に汗も流している。が、それはアナタに言われたからやってるわけじゃない。
言ってしまえば、「大きなお世話」だ。
●どうか新しい内閣にもご理解とご支援を賜りますように、お願い致します。
8年近くにわたり、本当に皆さま、ありがとうございました
※確かに残した言葉ではあるが、こんなのはただの挨拶に過ぎない。逆に言えば、これを拾わなければならないほど「大したことは言ってない」ってことだ。
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僕は彼が何を僕にしてくれたのか知らない。
※アベノマスク以外
何をしたのかもわからない人に、感謝や哀悼の意を表する方がおかしい。
彼の死を悼む人を否定するわけじゃないが、僕が彼の死に何も思わないことを否定される言われもない。
何より気になるのは、「彼がなぜ殺されなければならなかったのか」だ。
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余談だけど、「安倍元総理」の死が悲しい度合いって、悲しんでる人の中でもどのくらいなんだろうか。家族、友人、知人、普段テレビで見かける芸能人、お笑い芸人、映画俳優、普段読んでる漫画家、小説家、スポーツ選手、お店の常連さん、学生時代の同級生、恩師の先生、、、
それらより上ってこともあり得るんだろうか。
もっと言えば、「安倍元総理」は、総理大臣や政治家の中で、一番死んで欲しくなかった人なんだろうか。個人的には小泉純一郎元総理の方が、死んだらショックだと思うのだけど。
※ちなみに理由は、子供が2人ともしっかり「小泉姓」を名乗ってテレビに出ているから。父親が尊敬に値しない人間であれば、子供から距離を取る、例えば名前を変えたりすると思うけど、少なくとも彼らにそう言う印象を抱いたことがないから。安倍元総理にはお子さんはいらっしゃらなかったそうだけど、、。
別に理解したいとも思わないけど、やっぱり僕には安倍元総理の死は、見知らぬ土地で見知らぬ誰かが死んだことと大差ないと思うな。任天堂の岩田社長が死んだ時のが遙かに比べものにならないショックと失意を感じたわ。
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