自己肯定感
自己肯定感とは、読んで字の如く、「自分を肯定する性格」のこと。インスタを見ているとちょいちょい出て来るワードで、概ねこれが高い方が人生は幸せに送れるとされている。
※あくまで「概ね」ね
ネットで調べて気の利いたことをまず書こうと思ったけど、面白いほど「自己肯定感を高めるには」というページが多い。どこでどう調べたのか知らないが、日本人はアメリカや韓国と比べて、「自分はダメな人間だと思う事がある」人が多く、「自分には強みがある」「自分に満足している」という人が少ない。
自己肯定感を支える屋台骨は、学歴、所得、地位、ルックスなどでは無いとされている。どんなに偉い人でも自己肯定感が低い人は居るし、逆もある。
つまり僕は逆のパターンなわけだが、
自己肯定感が高いと言うのは、つまり「自分が好き」ということ。自分に自信があり、自分の判断を信じられる。言い換えれば、
他人を下に見る「見下す」傾向がある。
と僕は思う。クソみたいな相手にまともに取り合う必要はないし、クズみたいなヤツに自分の人生を乱される、感情を揺さぶられることの愚かさを知っている、、、と言うのは、つまりは、「他人はどうでもいい」と言う考え方だ。
自分にとって大切な人には大切に思って貰いたいと考えがちだが、自己肯定感が高い人間は、意外とそうじゃない。「自分を大切だと思ってくれる相手なら大切にしてもいい」と、「自己中」の視点になりがちなのだ。
ただ、これがただの自己中と違うのは、「自分が大切にしたい相手」の存在が、「相手に依存する」という点。自己中は、相手を問わず自分を優先するが、自己肯定感の高い考え方の場合は、「大切にしてくれる相手のために自分を犠牲にすることに何ら抵抗がない」。「見下しがち」ではあるが、「尊敬出来る人間はきっちり尊敬する」し、尊敬する過程で自分を過度に低く蔑んだりもしない。
要するに自己肯定感とは、「いろんな性格の人間がいて当たり前」ということを、自他共に肯定する考え方の持ち主
と言うことなのだ。言い換えれば、それが低い人間は、「いろんな人間がいることを知らない」とも言える。
僕は、バカやクズは死ねばいいと思うし、口にも出す。でも、タバコのポイ捨てや、救急車の進路妨害など、人道に反する行いには腹も立てるし、落ちてるサイフだって交番に届ける。さらに言えば、
政治や宗教には、全くもって否定的。
なぜなら、その視点は多くの場合独りよがりで、「相手の事情を鑑みない場合が多い」。何が正しくて何が間違ってるかなんて、「全員違って当然」なのに、まるで自分の考え「だけが」正しいと主張する連中に同意なんて出来るわけがない。もっと言えば、
選挙に、自分が納得出来る理由も無く(知らなく)て行く意味がわからない。
詳しく調べてその公約に同意出来るのならそれもいいだろうが、僕みたいに「そんなことを学ぶ時間があったらマンガを1話読みたいわ」と言う人には、全く響きようがない。
僕が好きな話の一つには、青島都知事に投票した結果、氏の公約執行に伴って職を失った若者の話がある。名前と顔がわかるという理由で投票したけど、それが自分の首を絞めていたわけだ。
選挙なんてその程度のモンだと思う。
例え世界中から支持されようと、逆に避難、罵倒されようと、その真実を知らずにどちらかに加担したくない。
ロシアが「病院や学校を空爆した」から腹が立つのであって、ウクライナが正義の味方だとは僕は思ってない。
なぜなら、その理由を知らないから。
自己肯定感とは、さっきも書いたけどいろんな考え方の人間が居ることを認める思考回路だ。だから、わけもなく一方的に加害者を決めつけないし、被害者に同情もしない。安倍元総理の殺害に関しても、一報で怒りを露わにすることは全く無かった。なぜなら、どんな理由で殺そうと思ったかも僕は知らなかったからだ。
安倍元総理の運転する車に、一人娘をひき殺された過去があるかも知れないだろ?
知識や知恵は、その人それぞれの人生で全く変わる。それはつまり、「行為の理由」が人に寄って全然違うことを意味する。でも当然それだけで罪にはならない。
「人間には、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利がある」
と言う憲法の文言は正しいと思うし、他者のそれを侵害する罪を犯したのなら、相応の罰を受けるのが筋だとも思う。だが、その真偽も知らずに決めつけ、悪者につるし上げることには違和感があるのだ。
どちらが先に「侵害した」のか、わかってた人がどれほどいたか。
神父はロミオじゃない。安易に「気持ちもわかる」とか言うな。なぜそうしたのか理由も知らずに糾弾するな。何かを盲信するな。
「人として当たり前に知っておくべきこと」を声高に叫ぶ輩は、「人間として知識以上に大切なこと」があることを知らないかも知れない。
当たり前のことなんて何一つ無いのだ。
理解しろと言うのではない。理解しないで否定や肯定をするなと言うのだ。世の中には自分の知らない思考回路、経験と知識を持った人がいーーーっぱい居るのだ。
理解した上でなら、いくらでも罵詈雑言を浴びせればいいと思う。
・・・
だから、僕が別にハゲでブサイクで低収入低学歴低身長だろうと、そんなことはどうでもいい。それによって僕が暗く沈んだ夜を過ごさなければならない理由にはならないし、笑顔になっちゃダメなわけがない。マンガだって読むし、インスタだって更新する。荒しコメントはサクッと削除するし、負の感情を引きずらないように常に意識している。
まぁほっといても前向きではあるけど。
結局のトコロ、自己肯定感が高い人間に社会的価値などない。自己肯定感の高い人間は、その人が生きる上で、低い人より「本人だけが得をしている」に過ぎない。だから、当然低い人と接することもあるし、低い人を否定するわけでもない。自己肯定感を高めようと言う人は、ただただ、
高い方が得だと言ってるに過ぎないのだ。
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