ゲームで驚いた瞬間
過去にも書いたかも知れないけど、ふと思い出す機械があったので。
これを読んでる人が果たしてどれほど居るかわからないけど、子供の頃からプレステがあった世代と、子供の頃はメンコやベーゴマだった世代では、コンピュータゲームに対する印象も「接点も」全然違う。僕の死んだオヤジは、たぶんコンピュータゲームに一度も触ってないだろう。
何を「幸い」とするかも、人によって違うとは思うけど、こと「コンピュータゲームを楽しむ」ことに関しては、
1970年生まれは、もっともそれを味わえた年齢
だったと思う。思い出せるままに振り返る。テキトーに。
●ファミコンロードランナー
友達の家で遊ばせて貰った。それまでの家庭用ゲーム機と言えば、カセットビジョンやテレビべーダー。もちろんゲーセンのゲームはそれよりキレイだったけど、ちょうどゼビウスの頃のゲーセンには行ってなかったので、
その綺麗さに唸った。
※ゲームも異常に面白かったし
携帯ゲーム機も液晶単色や、蛍光表示管のもので、店先に動いてたカセットビジョンの与作からの落差は、
「プレステ1とプレステ5の差より大きかった」
間違いない。
●土管に、、、
入った!!!
この衝撃を何と言えばいいのか。スーパーマリオ自体は僕は買ってないのだけど、友達の多くが購入してたので、結構遊べる機会も多かった。
何気なく遊んでる最中に、ふと土管に吸い込まれるマリオ。何事が起こったのか理解するのに結構時間が掛かったのを覚えてる。
あの瞬間が、僕の中のスーマリで一番テンションが上がった時だったかも知れない。
●ゼルダも、、、
同じく「岩を押した瞬間」が衝撃だった。今では全てが当たり前の世界。でも当時は「岩が押せるとは思わなかった世界」だ。それはつまり、「カレーが辛いとは知らない世界」であるし、「アイスが冷たいことに驚く世界」だ。
知らないことがゲームを楽しくする。
いろんなことが忘れやすくなってる年齢だけど、今それを忘れることは出来ない。あの瞬間を経験できたことは、本当に幸せだったと思う。
●スペースハリヤー
ゲーセン版。Beep!に写真が載ったときの話。
何事か!この綺麗さは!!
とにかく全てが衝撃だった。当時家庭用はもちろんゲーセンのゲームでも、同時発色数は256色中64色のレベルだったと思う。いや、もしかしたらもっと少なかったかも知れない。
32000色!
この差は、例えて言うなら、「モノクロ映画とカラー映画」くらいの差があったと言っても決して言い過ぎじゃない。そのくらい、
世界に色が付いたような錯覚があった。
さらにあの3D視点。奥行きがあるゲーム自体は、過去のレースゲームにも存在はした。しかしその奥行き感は所詮地面を走る車を左右に動かす程度で、
画面いっぱいに迫ってくる敵や弾を避けたり撃ったりという「大興奮」とは比べ物にならない陳腐なものだった。
その上あの音楽、そしてムービングシート!文字通り「歴史が塗り替えられた瞬間」がスペースハリヤーだった。
僕にはそれがあまりにも衝撃的過ぎて、前作であるハングオンや後続のアフターバーナーにさほどグッと来なくなってたんだよな。
僕はR360のプレイ経験もあるけど、あれもスペハリの衝撃を思えば大したことはなかったんだよ。
●ダンジョンマスター
これはログインに載った海外版の一枚の写真の話。まだ家庭用には一切移植されてない頃だったのだけど、
ファミコンレベルの3Dダンジョンがせいぜいだった時代に、「モンスターがダンジョンに本当に現れたように描かれた」のは、ダンジョンマスターが最初だった。
さらにそのゲーム性。コマンドを選んで進めるのではなく、リアルタイムで敵もこちらも行動する。
本当にダンジョンを冒険するとしたら、こんな感じなんだな!
と未来を感じた。
実際に遊んだときも、
※SFC
あの魔法を選ぶ感じ?ゾーフルイルや、ヤーブロークーという、まさに呪文としか言いようがない設定と世界観。ドラゴンと初めて対峙したときの恐怖。壁を殴り続けてても全然つまらなくなかった。
今やるととても遊べないんだけどさ。
●バーチャファイター
豊橋にあったゲーセンで初めて見たとき、
文字通り立ちつくした。
平坦な画面の中に、「人間が居る」。動いてる。いや、何と言っていいやら、なめらかとか迫力がとか、そんな言葉には置き換えられない衝撃的な映像だった。
もちろんバーチャファイターの前にはバーチャレーシングもあったし、スターブレードもあった。スターブレードはスターブレードで相当好きだったけど、
バーチャファイターの衝撃とはレベルが違ってた。
てか、このわずかな間に二つもAM2研のタイトルが入ってるんだから、ホントにスゲェオヤジだったんだな。あの人。
●ウルティマアンダーワールド
PC9821でプレイしたウルティマのスピンオフ。ダンジョンはなめらかにスクロールし、ダンジョンマスターのようなアクションRPGがさらに発展して「ジャンプ」や高さのある部屋が生まれた。
マップには自分でメモを書き込むことが出来て、呪文を覚えるのも、成長するのも、アイテムを集めるのも、
ダンマスからミッシングリンクを経て進化したようなゲームだった。
僕はこのゲームに死ぬほど感動したのだけど、2はそこまでじゃなかったし、移植されたものにもさほどピンと来なくなってた。今遊んだらきっとそんなに楽しめないと思うし、あの頃PC9821専用のゲーム自体がそもそも凄く少なく、遊べた人もほとんど居なかったと思う。
奇跡の出会い。奇跡のゲームとの奇跡の出会いだった。
最終的に空が飛べるってのも痛快だったな~。
●3DS
今思えば、ゲオで買った帰りの車の中で見た「電源を入れた直後の画面」が何よりの衝撃だった。「立体に見える」のではなく「立体にしか見えない」。
確かに画面から飛び出して見えるより奥行きが増す感じと言えばそれまでだったのかも知れないけど、あのタイトル画面の立体感は、「裸眼なのになんで?」って感じで、衝撃しかなかった。
最終的に3Dは映画館でも「あんま好きじゃない」みたいになっていったけど、あれは久々にゲーム機にワクワクさせてもらった瞬間だった。
あれから結構写真撮ったりして楽しんだな~。
●PSVR
流れでこれも触れる。とにかく買えたことがラッキーだったし、遊んだ瞬間の驚きは、3DSや、メガネを掛けて見た3D映画は元より、ディズニーランドとかのアトラクションの3D以上の臨場感で、
世界が変わったと思った。
「こんな世界に来ちゃったのか」と。「ゲームはこんなに未来になったのか」と。
たぶん僕の知らない間に、最新の機種やらハードやらは高解像度で高いフレームレートになってると思う。でもいいのだ。自分が体験できたことが何より嬉しく、驚いたし、感動して、、、
酔った。
まぁいろいろ面倒だから全然もう触ってないんだけどさ。
・・・
他にも、ディアブロで初めてオンラインに繋がった時とかも「ありそう」な瞬間だけど、別段楽しいとは思わなかった。
いきなり殺してきたし。
PSOでも、正直オフの方が気楽だったし、ネットの向こう側の人と繋がる、と言う意味では、、、
●ニフティのチャット部屋でリターンオブイシターの隠し面を見つけた
これのが遙かに衝撃だった。文字だけのやりとりで、7人くらいかな?イシターの隠しワールドを見つけようって、ほとんど面識もなかった人たち
※ネットでの面識なので当然会ったことも本名も知らない
と、数時間ダラダラと探し続け、
一人減り二人減りした先に、ついにその瞬間が訪れた!
あの高揚感は、本当に言葉にするのが難しい。「あるかないかわからない何か」を探すと言うのは、「見つからなくて当たり前」なのだ。当たり前なことが当たり前じゃなくなる「異常事態」。驚いたのももちろんだけど、
「スゲェ興奮した!」
・・・
久しくこういう体験をしてないように思う。もう残りの人生で味わうことも無いのかも知れない。でも、
僕の経験は僕のものだ。誰にも塗り替えられはしないぜ。
| 固定リンク
コメント