もしも自分がもう一人居たら
二人で「片方に辛いことをさせてもう片方が楽をする」と言う割り当てはあり得ない。てか、
そこまで日々がストレスにまみれてるわけじゃないし。
ただ、どうしても二人欲しい場面はある。と言うかあった。
もし二人ならそれを分散して、どっちがどっちの仕事をしてもいい。もう一人の自分がもし本当に「僕」なら、きっとそれを決めるのに躊躇いもとまどいもない。そこで思考停止するようなことを分配したりもしない。
全てが容易に分配可能だとは言わないけど。
記憶は二人で共有して、体力や眠気も概ね共有。ひとりがずっと起きてられるわけでもなく、食事も二人分必要。ウンコもふたりとも出る。その情報は要らない。
なんでそんなことを考えたのかと言えば、自分という人間の、自店という店においての「使い勝手」は、たぶんかなり「良い」「便利」「使える」んじゃないかと思ったから。
ふたりで働くなら給料も倍欲しいと思うかも知れない。僕の給料は52歳の平均よりかなり少ないと思うし、もし本当に実現しても、ウチの会社が「僕の給料二人分」をまかなえるかどうかも怪しくはあるけど、
僕が二人居たら、仕事回すのがめちゃ楽になる気がする。
基本僕に出来ない仕事は無いし、
※女子中学生の制服や体操服の採寸も、割と和気藹々と楽しく出来る人だし
3年にひとりくらいはおばあちゃんでブラジャーのサイズを計ってって人も居るかも知れないけど、別段断れないほどでもない。
自分なら自分をストレスにまみれさせない。何でもわかってるし、共有出来る。やりたくない仕事をやらないわけにはいかないのなら、「覚悟を決めてこなす」だけだ。そしてたぶん、
自分が二人居ることにも感謝する。
想定出来ないトラブルも当然あるだろう。ひとりがコロナに罹ったらもうひとりにも移るかとか、交通事故やガンや糖尿病などのトラブルもあろう。でも、
ひとりで立ち向かうより、ふたりで立ち向かう方が、何かと心強いのではないか。
人によってはそれが「奥さんの役割」と言う人も居るかも知れないし、家族とか子供とかに依存するケースもあるかも知れない。もっと言えば、
これはあり得ない話をしてるのであって、どこまで言っても空想、妄想の域を出ない。
では何が言いたいのか。
自分が二人になったら、たぶん「僕は楽しい」だろうな、と。
誰もが誰も楽しい「わけがない」。むしろ楽しくない人の方が多いとすら思う。もうひとりに辛いことをさせて、自分は楽をしたいと言う人なんかは絶対楽しくない。自分が辛い側になる可能性があるのだから。
でも僕は、日々の暮らしの中で「これは誰か別の人がやってくれたらいいのに」と思うことがそれほど多くない。むしろ楽しいことをもっと共有出来る人が居たらいいのにな~と思うことはあっても、二人でこなせばもっとずっと楽で早いのに、と思うことはあっても、それを誰かに任せたいと言う気持ちより、「僕がやった方が早い」と思うことの方が多い。
僕は僕が思う程度に有能で、僕が思うとおりの人間だから、どう使うのが有効なのかも、どういうシチュエーションを嫌うのかも知ってる。
つまりは、、、
無駄に毎日を過ごしたくない。もし二人になったら、もっと密度が上げられると思う。
思うのだけど、、、
もしかしたら真逆の展開になるかも知れない。密度濃度を追い求めるあまり、一人だったときよりもさらに二人して「疲れちゃって」、妙に睡眠時間が延びたり、いろんなことに後ろ向きになって、デジラマとかブログとか映画とかぜーんぶ止めちゃうかも。
今の「ひとりだけの僕」はそうなる未来は想像出来ないけど。
誰も読んでないだろうブログだけど、何となく独り言のように問いかける。
もし自分がもうひとり居たら、そいつと仲良くなれると思う?
僕はなれると思う。僕は自分が好きだし、自分の生き方をより濃密に加速出来る可能性が生まれるなら、「もう一人居ても」いいんじゃね?ってね。
まぁ言ってもふたりならふたりで優先順位を決めて、今の暮らし自体が様変わりするワケじゃないのかも知れないけどさ。
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