大判焼き屋の店先で
ふと通りかかった昔なじみの和菓子屋。僕はこの店の「クリームチーズ大判焼き」が大好きで、ここでも何度か話を出したことがある。
でも、思えばこの2年ほどの間、一度ものれんをくぐってない。凄く好きで、かつ季節になれば今でも普通に売っている。値段は上がってるけど、買えないほど高いわけじゃないし、
なんで買いに行かなくなったんだろう
自問自答してみたところ、予想外な答えが自分の中から返ってきた。だがその前にまず思ったのは、、、
時間がもったいないんだ、、、
車を止めて注文してから作ってもらうクリームチーズ大判焼き。価格は150円ほどだったと思うけど、頼んでから来るまで10分ちょっと掛かる。それ以外の普通の大判焼きなら待たずに買えることが多いけど、
※ちなみに今はシーズンオフなので扱ってない
そっちはそれほど食べたいと思うことはない。
待てないのか、その10分が。
近所に出来たイオンモール。まるで要塞のように夜間光を放つ巨大戦艦。別段興味をそそる店はないけど、ヴァーチャルリアリティを体験させてくれるゲームコーナーとかは、ちょっとだけ行ってみたいかもとも思ってた。
でも行ってない。
なぜか。
時間がもったいないから。
プラモも本屋も行かない。家から出るのは、どうしてもお菓子とジュースの買い置きが少なくなって、背に腹は替えられないと思った時だけ。映画に行くときは自店から帰る前に行く。コンビニも帰宅途中にあるから寄る。つってもこれもどうしてもの時だけ。必要な物がない時には寄らない。
とにかく、自分にとって価値があるのか、弱いのかの秤に掛ける。それも徹底的に。だからゲームも、以前はショップに並んで買っていたけど今はamazonやゲオの通販で送ってもらうし、プラモも「買えないならもう要らないわ」と見切りを付けた。
時間だけが絶対的に大切なのだ。
そうして捻出したであろう時間は、例えば朝起きてマンガを読み、生産性の高いデジラマという娯楽に勤しみ、映画やアニメもつまらないシーン、気に入らないシーンはすぐにスキップする。とにかく徹底的に「濃度を上げる努力」をする。
その結果、、、
自分の生活が毎日同じようなサイクルに固定された。
確かに無駄は無い。無駄はないのでパッと見密度は高く見えるのだけど、
同じサイクルは時間の流れを加速させる。
そうなのだ。あれほど「時間をゆっくり流れさせたい」と思っていたことの、ある意味真逆の結果を、自らが「選んで」しまっていたことに、大判焼き屋が気付かせてくれたのだ。
別に僕は人が嫌いじゃないし、誰かと会うための時間を取らないわけでもない。でもだがしかし、自分から進んで友達を誘う機会もないし、まぁ休みに出歩いたりもしない。
確かにデジラマはその日の僕の「生きた証」を残してくれる。ブログも然り。何かを生み出していく生き方は、それによってその日が「何も無かったわけじゃない」ことを、振り返ったときに教えてくれる。しかし、
その時間が瞬間的に消費されていた事実には、ついさっきまで気がつかなかった。
ボーダーランズ3をやっていて、何とも言えない「これってもったいなくないか?」と思っていたこと。仁王をやっていて「楽しい!」と感じたこと、作業ではなく、驚きや緊張や鮮度を脳に送り続けなきゃダメだったのだ。
極端な話、インスタを見てる方がまだマシだったかも知れない。見たことがない情報やネタが、多少なりと散見されるから。
※ただ最近は「推しの子」のダンス動画がありすぎて、脳がそれに汚染されてる感じはするけど
新しいインプットが必要だ。時短、効率、高密度だけが正解じゃなかった。時間をゆっくりにすることは、つまりは、
寿命を延ばすことと同義。
僕は長生きしたい人。そのためには、「一見無駄だと思うようなこと」に時間を割かなければいけなかった、、、かも知れないのだ。
・・・だがしかし、
だからと言ってライフスタイルは急には変えられない。最近ようやっとの思いでエクスヴィアスを止めたところなのだ。インスタを止めるのには大いに抵抗があるし、そもそも、
無駄だと思うようなことは、実は本当に無駄だったりすることの方が多い。
もっと人と話をした方がいいんだろうか。外食して店員さんに「何がオススメ?」と訊いた方がいいんだろうか。でも仕事中はお客様と割と話をする。僕は基本的には社交的な人間なのだ。
高密度を最優先に毎日を過ごすと、その寄せ集めで休みの日にアクティブに何か別のことをしようという意欲が湧かなくなる。
※その分デジラマを3作作ったりはするのだけどそれでは解決にはなってなかった
なるほど時間があっという間に過ぎていくわけだ。
てか、たぶん世の大人達の多くは、そんな感じで日々を「消化」している気がする。もしかしたらそれは飲み会かも知れないし、ギャンブルかも知れないけど、変化の無い昨日と変化の無い明日を繰り返していくことで、人は、
死への覚悟を徐々に育てて行くのかも。
それを、
大人になる
老いる
と言うのかも。
僕を含め、誰もが誰もいつまで生きられるのかはわからない。明日地震で死んでしまうかも知れないし、来週コロナで死んでしまうかも知れないし、来年倒産して路頭に迷うかも知れないし、何が起こるか、どうなるかはわからない。だからこそ毎日それなりに楽しく生きられる努力をしてきたつもりだけど、
それがまさか「寿命を削ってること」と同義だとは、、、。
でもまぁ考えたところで始まらない、どうにもならないことは考えるだけ無駄だ。てかその考え方がそもそもリスキーなのだけど、それもこれもひっくるめて、
自分は自分の思うようにしか生きられない。
無理して休みの度に出掛けるような生き方は、たぶん今の僕には難しい。だけど、月に一回くらいは、朝早く起きてドライブに出掛けてもいい。ガソリン代と昼飯代で1万円くらい使っても、たぶん今の僕の出費のサイクルなら、そこそこ「続けられる」はずだ。
ひとつの道だけが全てじゃないし、正解はきっといくつもある。
次の休みはゼルダをどっぷりやるつもりだったけど、あえて「どこかに何かを食べに」でも行こうかな。
つっても「ゼルダが進められなかったことを後悔」したりしてな。▲▲。
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コメント
※僕の知ってる父ちゃんだったらこれを読んでもなんとも思わないでしょう。ですが僕は、僕の知らない父ちゃんが読んで、何かを感じてほしいと思っています。
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なんで今まで父ちゃんにモノをオススメするのが怖かったのか、その正体がこれだ。
僕から見た父ちゃんは、人からすすめられたものを取り入れるよりも、自分がすでに選んでいるものを優先する人間に見える。
自分の枠の中では最善を選んでいるが、自分の枠の外にある情報や刺激は入れようとしない感じ。
(少なくとも歓迎はしていないでしょう)
その雰囲気からして、新しい話は嫌がるだろうなって予想しちゃうから、なにもオススメする気になれないし、そもそもこちらから話しかけることすら憚られます。
ホントはもっと話しかけたいし一緒にいたいけど、僕から話しかけられるのは迷惑なんだろうなって思ってます。いつも。今も。
(余談だけど、今まで一度も、僕との会話を最優先にしてくれたことがない気がする。大事な話のときも、頭の中では僕の話より自分の事を優先しているように感じた←これはさすがに僕の受け止め方がこじれてるせいかもしれない)
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父ちゃんと話すときは、その内容のほとんどが「父ちゃんの機嫌が良くあるために演技してる」みたいな感じだったかもしれません。
言い換えると、「父ちゃんの土俵には上がるけど、僕の土俵はとくに見せない(機嫌を損ねるだろうから)」です。
僕から話を振るときも、「父ちゃんが話しやすい話題」を選んでいるので、僕の話はしていません。
父ちゃんの話題に対する感想は言ってても、僕の話題はしないように気を付けてます。
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昔からずっと、父ちゃんのその信念の"強さ"はかっこいいなと思っていますが、その信念の"中身"は大嫌いです。
『新しいインプットが必要だ』と思っているなら、自分の枠組みで新しいことを始めようとすること以上に、他人からの刺激を「新鮮だと感じようとする」「楽しもうとする」、できれば「求めていく」努力をしてみるのも面白いんじゃないですか?
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今回のような記事が減りますように。
明るくて楽しそうで燃えていて元気そうで、うらやましくなる記事がもっと増えますように。
僕ヤバ8巻メチャクチャ泣いちゃった。
投稿: 長男 | 2023年5月24日 (水) 02時44分