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2023年11月26日 (日)

今見た夢の話

夢の中で僕は学生服を着ていた。僕は中学高校と制服だったので、つまり僕はおよそ高校生くらいだったと思われる。

一方で僕は、今の自分の休日のように、たとえばデジラマを作ったり、たとえばマンガやアニメを見たりして、自堕落にその日も過ごしていた。

何かはわからないが、軽く疑問があったのか、友人に電話を掛けた。ここで自分は高校生だったと思う。なぜなら自分の携帯を持っていたから。

 ※念のため僕が高校の頃はまだ携帯電話は普及してない

だが友人は電話に出ず、何でだろうと思う。

だったら直接学校に行って訊こうと、高校に行く。

しかし教室はもぬけの空で、校内に人影もない。

 あれ?おかしいな。

僕は何とも言えない不安に駆られ、校内を散策する。不安はなぜかどんどん大きくなって、そしてふと思う。

 なぜ僕は学校に来てなかったのか。

その刹那、体育館の方からうっすらと声が聞こえてくる。なにか、大きな声で、全員が話をしているような、、、

 !! 今日は卒業式だった!!

僕は酷く狼狽し、なんでこんな大事なことを忘れてしまっていたのか。自堕落な日々を送っているあまり、これほど大事な日すら、学校に行くのを忘れてしまったのか。

 ※ちなみに僕は学校を休みがちだったわけではない。たぶんほとんど皆勤に近いくらい出たと思う。学校大好きだったので。中学も高校も

ひとりぼっち、校舎から出たところで、体育館からの声は歌声となり、卒業式が終わりにさしかかっていることに気付く。

 ああ、僕は卒業式にすら出忘れてしまうヤツなのか。こんなに大切な日は、一生にそう何度もないのに。

絶望にうちひしがれると同時に、僕はもうひとつの感覚を自分が抱いていることに気付く。

 ・・・懐かしいな

僕が出た校舎の出口は、ぼんやりと中学校の校舎だったような感じ。そして声が聞こえてきたのは左からだった。左を見るとそこには体育館があったが、

 僕の中学の体育館は、校舎の出口のすぐ真正面にあり、左にあったのは高校だ。

 ・・・ここはどこなんだ?

母校のような懐かしさを抱く一方で、状況に混濁が見られる。逃げるように学校から出ようとした先にある「軽い坂道と大きな木」は、小学校の正門だったのではないか。そもそも僕は、

 なぜ「懐かしい」と?

僕は卒業式に「出忘れた」ことはない。

だが、僕はその場で卒業式に出損なった不安感でいっぱいになっている。

一生消えない汚点のような、重苦しくも切ない記憶がここで生まれてしまったのだと思っている。

 なぜ?

違和感が体を突き抜ける。

周囲の映像が、「ぼんやりとしはじめる」。

・・・これは、夢だ。

そして僕はすぐさまその流れやシチュエーションを脳内で整理し、

 忘れないように繰り返し言い聞かせる。

夢の中の僕は、夢が崩れ落ちる前に、必死に自分に今の夢のことを言い聞かせる。状況や、感情や、音や、色や、、、。

目覚めてすぐに真正面にあるPCモニターが「点いている」ことに感謝し、秀丸を立ち上げ、これを書き出している。

・・・

そして冷静になぜこんな夢を見たのかを整理すると、驚くほど「理由」が明らかになった。

・最近来年の新一年生(※中学)の採寸販売をしている

・しかしそれはブレザーで、学ランは去年で事実上終わっている

・一方高校には、新一年生用の宣伝ビラを2日ほど前に届けてきたばかり。つまり学校の印象がそこですり込まれた

・毎日デジラマやアニメで繰り返してしまう日常には、「異質な出来事」を忘れてしまう怖さがある。いつもと違うことは、その多くを忘れてしまう。その事象の重要度に関わらず。

 それが卒業式クラスの大きなことであっても。

・・・それらを全てまとめた結果が、今PCの前で寝オチしていたとき僕に、こんな夢を見させたのだ。

さらに言えば、寝オチする直前には、僕が高校生くらいの頃に作られたと思われるアニメを見ていた。川尻義昭監督の「サイバーシティOEDO808」。懐かしいエッセンスはここでも重ねられたらしい。

別に寝汗をかいたり、いたたまれなかったり、辛かったり苦しかったりしているわけでもなく、安堵や、「今が本当にその状況じゃなかったこと」を、字面以上にかみしめているわけでもない。

ただただ、

 なんか、楽しい夢だったな

と思うのだ。

だからこそ、

 すぐさま書き留めておきたいな、と思った。

別にそれが誰かの役に立つとも、「自分の役に立つとも」思わない。

夢を書き留めるのはあまり良いこととは言われてないが、その理由は忘れてしまったし、全ての人間に等しくその理由が適用されるとも思えない。若い頃限定の「やらなきゃいいこと」かも知れないし、取るに足らないレベルの事だったかも知れないし。

 でも、「夢を書きとどめておかない方が良い」と言う記憶だけは残っている。

ちょっと不思議な気もする。

やらない方が良いと言う記憶はあるのに、それを迷わずやってしまう自分。そしてこれを読み返したときに、きっと自分がまたこの時の「何とも言えない楽しさ」を追体験できるであろう確信。

てか夢をいつでも呼び出せたらいいのになぁ。

こうやって書き残せたるレベルの状況は凄く稀なんだよな。

※本来は布団で寝ている時に夢を見るので、起きて、階段を下り、PCを立ち上げる頃には、当然のように夢のディティールは損なわれ、「ただ楽しかったような気がする」という、心象の断片だけが残っていたりするのだ。

つまり、

 これはラッキーだったと思う。

たぶん、、、

 読んでる他の誰もが同意出来ない類のラッキーだとは思うけど!

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