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2024年1月 9日 (火)

何となくつれづれに

一切書きたいことがない状況から書き始める。完全に行き当たりばったり。ちなみに今日は2024年1月6日。

●寄付しようか迷ってる

寄付した方がいいのは間違いない、とは思う。僕が貧乏であると言っても、1万円くらいは寄付しても死ぬことはない。1万円くらいでは大した足しにもならないかも知れないけど。ちなみに阪神大震災の時は寄付した気がする。金額は思い出せないけど。

なぜ迷ってるかと言えば、そのお金がどう使われるのか考えたら、急に不穏な気持ちに襲われたから。

 誰が、どういう理由で、どう使うのかが全く見えない。

それは日本赤十字でも自衛隊でもそう。

 今の政府に対する不信感もバックにある。

寄付をしました、で、それを例えば水に換えます。

 その水はいくらなんだ?誰がどこで買うんだ?その領収書は?

1000万円分の水が、例えば業務スーパーで買ったものなのか、コンビニで買ったものなのかでも全然違う。さらに言えば、そこに利権が絡むような連中が「介入しないとは思えない」。本当に1万円がそのまま被災者の支援に満額届くのか?ちゃんと安い店で買ってる?

 安い店では十分な数を手当てできなかったので、2リットル1本300円の店で買いました。

もう一度書く。「寄付はした方が絶対いい」。たとえ1万円が2000円に減額されたとしても、その恩恵はきっと被災者に届く。でも今の日本に身銭を切ることに対する安心感が全くない。

もし自分の仕事の環境が、十分な従業員と財産に支えられているのなら、ボランティアで出向くことも有りかも知れないと思う。僕は「そう言うこと」をする人間ではないのだけど、

 そう言う「善行」を積みたくなる時もあるのだ。

でもこれももう片方の自分が言う。

 「アンタの体力や免疫力じゃ、何の役にも立たず風邪引いて寝込むのがオチだろ」

と。

槇原敬之×浜田雅功のチキンライスの歌で、「それを考えようとすることがもう親孝行しなのかもしれない」と言う歌詞があるけど、

 それは断じてない。

僕は何もしてないし、僕のお陰で誰かが助かってもいない。感謝もされてない。そんなのは善意ではない。

こう言うとき、僕は自分が「良い人」ではないとシミジミ思ってしまう。実際良い人ではないし、「悪い人でもないと思いたいだけの人」なのだけど、、、

 シミジミ良い人ではないなぁと思ってしまう。

●ストレスの枷が少し緩んだ

再三書いていた「絶望的な未来」が、少しだけ軽減された。端的に言えば、バイトが辞めて、パートがシフトに駄々をこねたら、僕の一ヶ月の休みがゼロになってしまうかも知れないと言う不安が、現時点では消えた。

 1月は3日まで休み。他の休みは3日。
※2,3時間出るだけの日もある

ただ、暖冬やら地震やらで、売上は地の底を這っている。それでも、自分の住んでいる場所が被災していたら、そんな思いでは済まされないのも痛いほどわかる。

 ・・・本当はわからない。わかるのは、「済まされないと言う事実」だけで、比較として、具体的に何倍辛いのか、は全くわかってない。

 毎日お腹が空いているのか

 ウンコも出来ないのか

 寒くて風邪をひいてしまいそうなのか

 風呂は、、、まぁいいや

災害にあった人が、「日本は終わったと思った」って言ってた。それが凄く印象深い。

 仕事も家も家族もなくなったら、それはつまり未来が真っ暗になる、「終わる」ことと同義。

そんな想像は正直したことがない。

僕はポジティブなので、もしそう言う状況に追いやられたとしても、何とかして心を軽くすることを考えると思う。楽しいを探すと思う。回りのみんなが深刻さで気が立っていても、自分もそれに倣いたくはない。

 でも、震災はそんな気持ちすら折ってくるんだろうなって、ニュース見てて思った。

海の向こうのニュースじゃない。地続きの「自分の国の話」なのだから。

・・・

ちょっと重い話になったので、ここで一旦閉じる。あんまこの流れでゲームの話をするのもどうかと思うので。

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