« プラモnoハナシの話 | トップページ | AI生成の話 »

2024年3月29日 (金)

まぁいいんだけど

ブログを書くタイミングとアップするタイミングが違う。気付けば今日は25日。22日でブログの更新をし損ねている。


 多少は書いているのだけど。


ちょっと不思議にすら思う。1日は24時間ではなかったのか。なぜここまで時間が僕を追い越していくのか。毎日のように書いていたのに、今はたまに思い出したようにいくつかまとめて書く。インスタも同じだけど、レスポンスがあるから覗く頻度、更新も忘れない。むしろ、


 更新出来ないかも知れない状況に追いやられた先日、軽く狼狽してしまったほど。


自分の主戦場がインスタに移行して久しい。が、だからと言ってブログの更新が長期的に止まったり、内容がスゲェ短くなったと言うことはなかった。「日課」であったことが、日課ではなくなった感じ。


ちなみにこのネタ以外にアップし忘れていたネタが5つある。つまり、23,24,25日分も普通に更新出来るストックがある。さらに言えば、前回22日分をアップしたのは19日くらいだった気がする。一週間に一回7つネタを投稿するほどでないにしても、


 誰も読んでないかと思うと歩みもおぼつかなくなるものよ。


別に止めたって誰も気付かない。誰も読んでないのだから。でも、たぶんアップしないだけで僕は僕の「ログ」を書き続ける気がする。FFをやればFFのことを書くし、ゼルダならゼルダ、映画を見たら映画の感想を書く。今読んでくれる人が誰もいなくても、


 未来の僕が読みに来る。


まぁそれがネット上である必要性は薄いのだけど。


ただ、検索するとなった時は、存外ココログを使うことも珍しくない。今のWindowsだと検索速度が遅い&出来なかったりするから。


正直ブログを止めて、他のサービスに移行することも考えた。でも、写真や動画を貼り付けられるサービスはあっても、テキストを無尽蔵にアップ出来るサービスは、僕が知る限り無い。別段これまでの常連さんが居るわけじゃないから、特にココログに固執する理由はない。でも、「文章が長すぎます」と言われるのは腹立たしく感じる。何千文字までがキャパなのかわからないけど、


 書くときはスゲェ書く人だし。


そもそも、スレッズですらたぶんここで書いてる100行前後のテキストすら受け付けないだろう。まぁ読む人が居なくなってることと、広く世界に向けて自分のテキストを公表出来ることは、果たしてどちらが重要なのかと言う気もするけど。


・・・


そもそも僕がブログを始めた頃というのは、とにかく書きたいことが「ありすぎる」くらいの人だった。今読んでる人が居ないのにこれを書くのもどうかと思うけど、元々僕がブログを書き始めたきっかけは、


 GTSさんという方のエミュレータ掲示板が発端だ。


その方の掲示板には、投稿すればするほどポイントが貰える

※ただし賞品があるわけじゃない

システムで、とにかく凄まじい勢いで書きまくった。もともとニフティサーブでガンガン書いてる人だったので、その場が失われた「矢先」だったこともあるし、年齢的にも価値観の近い住人が多かったこともある。


ただ、エミュのそこまでやり続けるものでもなかったし、他の住人の方がココログをやっていて、「じゃあ僕もそっち始めて見るかな」と、割と軽い気持ちで始めた。


最初の頃は映画やアニメの軽い感想で、一回の長さも30行程度だった気がする。つか今でも読もうと思えば気楽ではないまでも読み返すことが出来るのだけど、ともかく、当時は写真を貼ることも、音楽や動画を貼ることも出来た。

※今は1サイズの上限が小さくなり、さらに容量もほぼギリギリまで使ってしまっているのでテキストしか投下出来ないけど


 そもそもアクセスがしづらくなりすぎてるし。


昔のようなアクセススピードだったら、ここまで過疎化は進まなかった気もするけど、それに文句を言っても始まらない。わからないことは向こうだってわからないのだ。


ともかく、基本的に僕は「外に吐き出したい人」なのだ。自分が摂取したモノやコト、思ったこと感じたことを、言葉にして残しておきたいし、出来たらそれを誰かに読んで貰って感想を聞かせて貰いたい。


 コミュニケーションが好きなのだ。つまりは。


いわゆる「コミュ障」の真逆かも知れない。まぁ女の子にモテた試しはないが。


となると、ますますブログを書いてる意味がわからなくなってきたな。コミュニケが好きならインスタなりスレッズなりをもっとガンガンやればいいんじゃないか。今のスレッズはインスタにヒモ付けした「デジラマ」メインだから、インスタの過去作をアップするだけで、大したコミュニケも取れてない。


 いっそのことゼロからテキストベースでスレッズの別アカでもいいんじゃないか。


誰も読んでくれないところから始めたのは、ブログだってインスタだって同じ。


スレッズはインスタのフォロワーをそのままスライドする機能があった分だけ、「濁った」感じ。ぶっちゃけ、


 フォロワーゼロからのし上がるのって、今は特に大変そうな気はする。


インスタだって、「9割は止めてる」って話を見たりもしたし、実際熱量の高いフォロワーってホント一握りだし。


ただ、先日からの「AI祭り」で、「あなたはどこに住んでるの?」のDMがスゲェ来るようになった。ウザくて次から次へブロック。いや、別にホントに仲良くAIの話とかデジラマの話とか、もちろん映画だろうとアニメだろうとなんだっていいんだけど、


 商売抜きで話ができるならそれもまた悪くないとは思う。


でも絶対そゆんじゃないでしょ?それは要らないから。


てか、そう言えば前に「モスピーダやってくれ!」って言ってた外人も、結局カラー版を投下してもレスポンスなかった。「10日後に」って言ってもそれが待てない。そんなもんなんだろうと思う。別に薄情だとは思わない、それが普通の文化圏の人間だって話。


・・・


僕がブログを始めた2005年は、まだ初代i_Phoneすら発売されてなかった頃。つまり、LINEも無ければ、SNSもたぶん無かった頃。テキストのやりとりは主にPCだったと思うし、携帯の解像度も、一画面にそれほど多くのテキストが表示出来なかっただろう。そもそも画面自体小さかったし。


その頃のフォーマットを20年近く維持しようとしてること自体無理がある。今ちょっと調べたら、ニフティサーブですら、1987年から2006年までの19年間。僕がブログを続けてる長さと同じくらいで「絶命」している。


ちなみに僕がニフティを始めたのは、ひとり暮らしを始めた19歳の頃。つまり、1989年。初めてネットに繋がったときのことは凄く強く覚えている。


 まずはエロだろ!


と思うのが健全な19歳男子だと思うが、その頃の通信速度では、


 1枚の静止画をダウンロードするだけで10分とか平気で掛かってた。


それでも、未知なる映像にドキドキとワクワクが止まらなかったし、今でもその写真は脳裏に焼き付いている。

※現物はさすがに消失してるけど


小学生の頃から文章を書くことが嫌いじゃなく、

※夏休みの作文に25枚とか書く人だった

中学でも先生とのやりとりを生活ノートにガッツリ書いた。


高校でも、好きな子へのラブレターをクラス中に回し読み「させたり」したし、


 とにかく文章を書くことが大好きな人間だった。


というか、「書いてさえいればそれなりに楽しい」くらいだ。


でも、さっき書いたようにあれほど盛り上がったニフティですら20年を待たずに終焉を迎えている。ブログという文化は、今はもう過去の遺物と言って差し支えないだろう。


 そろそろ潮時かも知れない。


そんなことを思いつつ、でもまだゼルダの時のような熱量が、これからも待っているかも知れないとも思う。その時ゼロからこの場所を作るのは、たぶんこれをこのまま継続するよりエネルギーが必要だろう。


ゲームの攻略本を買わなくなり(売れなくなり)、攻略サイトもPCではなく、スマホ中心になり、掲示板も、一時期のような盛り上がりではなくなった。そもそもゲームそのものが、他の娯楽に淘汰されつつあるようにすら感じる。映画はたまにガッツリ盛り上がる作品があるけど、それとて僕が子供の頃とは比べるべくもない。CDだって売れてると聞かないし、ガンプラブームとは言っても、では身近で作ってる知り合いがどれほど居るのかって話だ。


みんな、24時間は24時間なはずなのに、何に時間を吸い取られているのか。


色恋にうつつを抜かしているんだろうか。キャンプとかBBQとかスポーツとかドライブ、旅行?


 時間の流れは一定じゃないし、(僕を含め)みんなが好きなモノも流動していく。


そんなことを言いつつも、23日分から更新を埋めてしまうんだけどさ。


出来る間は抗う。出来なくなったら止める。それだけのことか。

|

« プラモnoハナシの話 | トップページ | AI生成の話 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« プラモnoハナシの話 | トップページ | AI生成の話 »