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2024年4月 9日 (火)

面白いとは何か

ゲームの話。こないだのFFの話の続きとも言える。

面白いゲームとはどんなゲームのことを言うのか。面白いと感じるのはどんなときか。楽しいとは、気持ちいいとは何か。

もちろんそれは人それぞれに答えが違うので、僕が何を書いたところで同意が求められないかも知れない。でも書く。なぜなら書きたいから、

 それについて考えたいから。

「面白い」と「つまらない」の真ん中には「面白くもつまらなくもない」がある。「少しだけ面白い」「ちょっとだけつまらない」もたぶんある。ただ、その中心は、必ずしも左右対称になるようには取られない。最高に面白いが10で、最悪につまらないが「-10」であっても、人によっては「9」で既に少しつまらないと感じるかも知れない。

 ちょっとダレてきた、ってだけで、一切面白くないと思えてしまうこともある。

面白さ、楽しさ、気持ちよさを維持し続けることは、非常に難しく、その頻度や濃度の高さがトータルでプラスに針が振れれば、その作品は「面白い作品」と自分の中で位置づける。逆に言えば、トータル時間的につまらないと感じるウェイトが多くても、飛び抜けて好印象なプレイ体験があれば、その作品は面白い作品となるし、最後の最後で大きな裏切りを経験してしまっては、そこまで順調かつ楽しくプレイしていても、最後に「つまらなかった」となるかも知れない。

 面白いとは、必ずしも大局のみを指す感想ではない。

逆に言えば、ごく一部分、その瞬間に関してだけで言えば、プラスかマイナスか、面白いかつまらなかいかはジャッジ出来るとも言える。こことここは良かった、ここが悪かった、みたいな。

難しいのは、「最初つまらなかったけど、やっていたら面白くなってきた」や、「全く心に波風が立たない平穏な展開の連続だったけど、その淡々としたプレイをこそが自分の求めていたものなので、これで十分面白い」という、

 必ずしもわかりやすい感想だけで「面白いが形成されるわけではない」と言う事実。

遊び方、楽しみ方、「面白いと感じるための準備や相性」もまた、面白いゲームには大きく影響する。

また、そのトリガーは必ずしもゲーム性だけに依存してはじき出されるわけではない。グラフィック、音楽、操作性、もっと具体的に言えば、キャラクターのセリフひとつで、その面白さが針を振り切れることすらあるだろう。さっき書いた「相性」に依存するとは思うけど、面白いゲームは、

 ひとによって全く違う。

ただそれでも、多少なり一般性のある「NG」は間違いなく存在する。1000人のプレイヤーのうち、999人がつまらないと感じたのなら、それはつまらないと呼んで良いと思うし、僕ひとりが「超面白れぇ!」と叫んだところで、その言葉には説得力はあるまい。

 出来るなら、そう言った「ニュートラルで一般的な感性」を維持し続けつつ、ゲームの感想を書きたいとは思う。変質的に、「ドロップ率0.001%のアイテムがあるから面白い」とは、なかなか言いづらい。

・・・

今回はゼルダやドラクエ、FFなどの「RPG要素のあるゲーム」を中心に話を進める。

これらを一切遊んだことがない人が、まだここの読者に居るとは思わないし、仮に今誰ひとりここの読者が居なかったとしても、何も問題はないが、

 過去これらの作品をプレイして「面白い!」と感じたのはどんなときであったか。

どんなシーンで、僕は「おおっ!」と声を上げたか。口元に笑みを浮かべたか。トリハダが立ったか。目に涙を浮かべたか。思わず拍手をしたか。

 立ち上がって走り出したか※それはほぼ無いが

・ドラクエ1で太陽の石、ラゴス、ダーマの神殿を見つけたとき

・FF11でサポジョブをゲットしたとき、

・ゼルダ1で初めて岩を押したとき

・ドラクエ1でメタルスライムを倒し、莫大な経験値を目にしたとき

・FF5でレベル5デスが効く敵を見つけたとき

・ゼルダでギミックの解放がフッと閃いたとき

・ドラクエ1でギリギリドラゴンを倒せたとき

・FF12で割と序盤に精霊ノーマを倒せたとき

・ゼルダBOWで何気なく見上げた場所に風船を見つけたとき

・ドラクエ3でバイキルトを覚えたとき

・FF14で一度も行ったことがないエリアに足を踏み入れたとき

・ゼルダTOKで地下の探索のコツを理解し、急速にマップが埋まっていった時

・ドラクエ9で、名古屋駅で「まさゆきのちず」を手に入れたとき

・FF11で、見ず知らずの人たちと劇的な脱出劇を体験したとき

・ゼルダ1で、なにげなく迷い込んだ場所がラストダンジョンだったとき

・ドラクエ3で、ボスだと思っていたバラモスが雑魚だとわかったとき

・FF5のエンディングの演出

・ゼルダTOKのクライマックス

・ドラクエ3のエンディングで、メインテーマが流れた瞬間

・・・

それはつまり、自分の想定をプラスに裏切ったとき。そして、期待して渇望して、ついにそれが叶ったとき。

 期待させる何か、良い意味での裏切り

ズバリそれこそが、僕が思う「面白い」であると思う。

逆に言えば、期待させるものがなく、悪い意味での裏切りが続くと、その作品への評価はみるみる下がっていく。「つまらなそうだな」と思って臨んだことが、そのままつまらなかったら、まんまと僕はガッカリする。そしてその思いは、そのまま制作者や、作品全体の印象となって残る。

たとえば、

・ドラクエのスクリプトには裏切られない

・FFの美男美女のデザインには裏切られない

・ゼルダは好奇心を裏切らない

名作が名作たらしめているのには、必ず強固で確かな理由がある。逆に言えば、それ以外の難点が「多少」あっても、その「確かな信頼」があれば、シリーズを買い続けさせてしまうし、

 面白かった!

と感想を言える。過去形で書いたけど、別段最後まで遊ぶ必要はない。そう思う時は思うのだから。

では、僕はドラクエもFFもゼルダも、ずっと昔から好きで居続けたのか。

 答えはNOだ。

ドラクエはそのバランスにおいて、他の追随を許さない「心地よくも厳しい仕上げ」をしてきた。しかし、4では決してそれが上手くいったとは思わなかったし、11をプレイしていて、「昔のドラクエが持っていたと僕が感じた自由度」みたいなものが、大きく目減りしたことを感じた。
※10オフラインでは復活してたとも言えるけど<あくまで僕の中で

FF16のヒロイン不在、シリアス一辺倒の「重い展開」は、「ゲームと映画」の融合を進めてきた本シリーズの中で、「ゲーム性を犠牲にし過ぎた」印象があったし、リバースでの失速には、(僕の経年劣化も影響してるとは思うけど)ミニゲームが素直に楽しめないものが非常に増えてしまっていた。

 ゼルダだって、トワイライトプリンセスは暗くてナビがうるさくて、序盤で投げ出しているし、風のタクトも、今遊ぶとなったらあの海はあまりに広く「何もなさ過ぎる」と思う。

幸い最新作(TOK)、前作(BOW)は、そうした失速感がない素晴らしいものだったけど。

遊ぶ側の嗜好や友人などの環境が変わるのは避けられないし、世間のトレンドや通信などの状況も全然変わっていく。一緒に遊んでくれる友達は近所には居ないし、ネットにも掲示板が賑わうポータルサイトも見あたらない。

 全て引っくるめて「面白かった」と過去の3作を振り返るのだ。

もちろん、誰と一緒に遊んでなくても必要十分に楽しめる作品もある。PS5でプレイしたデモンズソウルや仁王はしっかり楽しめたし、パズルゲームではあるけど、スリザーリンクの面白さが色あせたと思ったこともない。

例えば、今もし初めてコンピュータゲームに触れる人が居たとしたら、初代ドラクエやゼルダ、FF5はどう映るだろうか。見た目の物足りなさとボタンの少なさに「かゆいところに手が届かない」とストレスを感じる方が大きいかも知れないし、解けない謎解きに、ヘタしたらキレるかも知れない。

 苦労して時間を掛けて、そしてついに見つけるカタルシスは、面白さとつまらなさの両方を持った諸刃の剣なのだ。

そして、それは、プレイヤーの経験によって大きく変動する。

 面白いゲームを見つけることは、もしかしたら未来には存在しないのかも知れない。

でも、快適さや見た目の印象は、新しい物の方が概ね良い。そして、昔のゲームを今遊んでも、必ずしも楽しめるとは限らない。というか、PS2のタイトルをいくつかリプレイして感じたのは、「もう無理かも知れない」という後ろ向きの感想だ。

もしかしたらそれが「ゲームを卒業する」と言うことなのかも知れないけど、永田さんのドラクエ日記を読むと、

 ゲームってやっぱり面白い(面白そう)

って思う自分が居る。

何がどうなることを僕が望んでいるのかは、正直全くわからない。ただ、僕はまだ全てのゲームが嫌いになったわけではないし、これからも絶対に遊ぶ。そして、

 このゲーム、何がどうしてかはわからないけど、面白いなぁ

と、思う日がきっと来る。

たぶん、その答えはそのときにしかわからない。でも、

 その日が待ち遠しく思うのだ。

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