ちゃんと書いとけよ、と言う愚痴
店で物を売ってる時に、クレカが使えない物がある場合、それを書いておけというクレーム。
割とある。
だが僕は知っている。書いてあってもそれをその人が読むことはないということを。そして次は、
もっと大きく書いておけよ
と言う言葉に繋がるということを。そして、
大きく注意書きを書くことで、「どんだけうるさい店なんだ」と思われるということを。
注意書きが大量にあるラーメン屋を見ると、「そこまで美味しいのか」と言う気持ちと、「こんなにうるさい店で食べたくないな」と言う二つの感想が出る。でも、実際一番最初からそんな注意が貼られてたわけじゃないと思うのだ。
あまりに嫌なお客さんや、小言が多すぎて、ウンザリしつつどんどん加速していったんじゃないか。
僕は常に二面性を考慮して物事を捉えたいと考えている。どっちにもそれなりの正義や理由があると思うし、
だから両方が納得する正解なんて最初から存在しないこともわかっている。
なので僕はお客さんに「書いておけよ」と言われても、ここに書いてありますよ、とは言わないし、それがお客さんの目に止まらなくても「当然」だと思うようにしている。そもそも、
書いてあることでそのお客さんから見たウチの印象は良くはならない。
「売り出し品にはクレカが使えません」と口頭で言うことで、軽く愚痴をこぼしたかった「だけ」なのだ。そこで本気でカチンと来るなら、そもそももう二度とウチには来ないだろうし、チラシにはちゃんと注意書きはしてある。
・・・
世界は少しずつ変わっていく。例えばエコバッグを携行している人に、エコバッグをカバンから出さないで欲しいという気持ちも、世界が「エコバッグ≒万引き予備軍」という知識を「普通」だと認識したら、その注意は正当で、当然で、腹立たしく思うこともなくなる。
JCBが使えないのは店側の手数料負担が大きいから。それを知ればJCBが使えない理由もわかる。てか店によっては、
クレカ手数料をお客様に負担してもらうところもあるのだとか。
※それはクレカ契約違反らしいのだけど、「そんな細かな注意まで読む人は居ない」<書いてあっても読まない
でも気持ちもわかる。
サービスとして、現金じゃなくカードで決済出来る利便性を享受しているのはお客さんであって、店じゃない。店としてその方が早いし楽だという店が「あっても不思議は無いけど、ウチは断じて違う」。現金の方が、ぶっちゃけコストが安いし、
少なくとも僕が打つ限りにおいては、早いことの方が多い。
チャリ銭を出すのに時間が掛かるお客様がいるように、クレカの暗証番号が思い出せず、サインをする人も居る。片方だけ見て、両方のメリット、デメリットを見ようとしないのは、
愚者のすることだ。
店が、特にウチの店が、クレカでお買い物をしてもらうメリットは、ズバリ、
それを望むお客様が居るからだ。
完全にお客様の為であって、店としては一切嬉しくもないし、煩わしいし、お金も掛かるし、
いいところなんて何も無い。
でも、たぶんお客様はそれを知らないし、知る必要もない。どこかに書いてあってもきっと読むことはないし、読んだところで僕に対して感心したり、納得したりもしないだろう。
物事には二面性がある。表面だけ見て感情的になったり、失望したりはしないようにしたい。「しない強さ」を持ちたいし、
もうひとつの面を見つけられて、その面がもたらす安寧を享受したいと思う。
見つけられない場合でも、自分の感情をシフト出来る強さがあればいいなと思う。ホントに。
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