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2024年12月 4日 (水)

絵で食べるということ

スレッズ見てると結構目に付く。というか、インスタでも居たのだろうけど、僕のタイムラインには流れてこなかった&文字情報として目に付かなかったので気付かなかった。

イラストを書いて、それで食べていきたい。食べられなくても小遣い稼ぎになればいいなと思う。そう言う人は、

 僕が思っていたよりずっと多いらしく、

ハンドメイドのアクセサリー作家と並んで、

 そのほとんどが悪戦苦闘してらっしゃるご様子

特に、プロとしてやっていきたい、例えば場所代払って絵を売るイベントに参加して、コスト計算して「いくらで売れないと赤字」、みたいな人などが特に苦戦している感じがする。というか、僕のインスタもそうなのだけど、

 売れるためには「それを欲しがる人」が不可欠。

当たり前過ぎる話。でもって、欲しい人は(NFTを別にすれば)、個人の嗜好として、それを良しとし、手に入れたいと思う人。よほどの推し活でもない限り、

 作家さんに貢いだりはしない。

スパチャと絵画作品購入は、全く別物なのだ。

当たり前のことを当たり前に言ってるだけだけど、存外はき違えてるっぽい人が結構多いような気がする。というか、油断すると僕もそれを勘違いしかねなかった。

例えばある日、DMが届く。「アナタの絵を買いたいのですが」と。自分は売りたくて仕方ない、でも誰も自分の絵の良さに気付いてくれない。人目に付かないから売れてないだけなんだ、もっと見てさえ貰えたらきっと欲しいと言ってくれる人は居るはず、、、

 からのDM。

まさに待望のDMで、

 一瞬これが詐欺であることを忘れてしまいがち

でも、我に返ればそこに信憑性は薄く、詐欺であることが確信に変わる。重要なのは、

 そんな詐欺も「自分の絵を欲しがってる人」に、無意識でカウントしてしまうこと。

他にもそう言うDMが来たりすると、「ニーズはあるんだ」と思い込んでしまう。いや、もちろん思い込まない人も居るとは思うけど、

 現実として、この世界に、アナタの絵をお金出して欲しいと思ってる人が、ひとりも居ないかも知れないという可能性から目を背けがち。

なぜなら、人は自分にマイナスな情報を見ないように出来る「自衛心」を持っているから。

 でも実際は居ないのである。

よく考えてみればわかる。

 あなたは絵を買ったことがありますか?

と言う質問に、日本中でどれほどの人がYESと答えるだろうか。さらに進んで、それが例えば有名アーティストの作品であったり、推しの作品であったり、一歩踏み込んで数十~数百時間掛けて、数ヶ月掛けて仕上げた作品であるなら、まだ「その労力に対する対価」として、「割に合う」という結論付けるバランス感覚も理解出来る。

でも、例えば時給1000円だったら、とか、このサイズの絵なら、とか、

 ニーズが無い物に既存の尺度を当てはめて、価値を「勝手に」創造してもダメなのだ。

よく、「絵の値段が安すぎるのは良くない」というコメントも目にするけど、それは、ハッキリ言って相当見当外れな言葉だと思う。

 誰も欲しがらない物に価値など無い。

「わたしの絵には500円の価値もないのか、、、」と絶望してた人が居たけど、

 無いのである。少なくとも大多数の人にとっては。

そして、その「大多数」はもしかしたら「100%の可能性もはらんでいる」のである。本人は、「大多数に含まれない誰かにとっては、1万円の価値だってあるかも知れない」と思いたいのだろうけども。

例えば音楽を買う場合、その曲が良い曲であること、好きな歌手であること、知ってる曲であることなど、様々な要素が絡み合って、

 100円で買ったりする。

絵は確かに「世界に一つだけかも知れない」。でも、そこに価値を見いだすかどうかは、買い手の都合であって、売り手の都合じゃない。

こないだ、36000円を付けていた絵が、「これは僕も欲しい!」と思ったことがある。女の子の絵で、

 凄まじく精緻なカラーの色鉛筆画。

その人の作品は軒並みSOLDOUTだったけど、

 それでも売れ残っているものがあるし、売る場合も抽選販売だったりする。

果たしてあの絵が何時間、何日で描かれた物なのかと思う。そして、

 売れないと言ってる人の絵が、その人より長い時間掛けていたのか、勉強や実績を経て来たのか、ファンや、認知をどれだけされているのかと思う。

アクセサリーでも同じ。「欲しいと思う人がどれだけいるか」が、つまりは値段を決めるのであって、原価とか制作時間とかはあんま関係無い。絵と比べると制作時間の要素は希薄になり、素材のウェイトが上がるとは思うけど、

 欲しくない物は誰も買わないし、いくら安くても要らない。

そこで、「自分の作った物は売れない」という結論に行けるかどうか。

 自分が作りたい物ではダメだと、「欲しい人目線」で作ることが出来るかどうかが、
凄く重要になってくる。

当然「作家性」も重要だし、自分が作りたい物を作りたいという欲求もわかる。でも、それが必ずしも「誰かお金を出してまで欲しい人が居るセンスであり具現化」かどうかは、

 あなたが決めることじゃない。

作れることや描けることと、それを欲しがる人が居るかどうかを、無意識のうちにリンクさせているから、

 売れないことに違和感を抱く。

見て貰えてないからなのでは?高すぎるから?似た感じのあの人の作品は売れているのに、、、

本当に似ているのか?と思う。更新頻度、カメラ撮影のスキル、インスタポストの構成、コミュニケーションスキル、商品を売るという「売り手としてのマナー」、、、。

実際の話、フォロワーの数はほとんど重要じゃない。フォローしなければ買えない、買わないわけじゃないだろうし、インスピレーションに訴えかけるなら、一見さんだとて買う人は買う。さらに言えば、

 一枚買えば結構満足してしまう可能性もあろう。

僕もそうだ。昨日ちょっと欲しくなったアクセとか、

 何個も買うようなもんじゃない。

※ちなみにネコのぬいぐるみみたいな小さなハンドメイドアクセ。ただ、思ってたより値段が高くて、「そこまでじゃないかな」と思ったり。1つ2万円とか。でも欲しい人、その金額を出せる人が居るのは十分理解出来る作品だった。僕が欲しいと思うくらいだしね

もちろん、絵描きの中には、「凄くヘタに見える」でも、人気がある作家さんもいる。でもそれは、「ヘタに見える中に味がある」作風だったり、

 「ニーズがあるヘタさ」

だったりすることを見逃してはならない。

繰り返すけど、少なくとも日本人に「絵を買う」という趣味を持つ人はほとんどいない。でも、絵を描くと言う行為は、子供の頃から慣れ親しんでいるし、少なくとも「歌を作る」より遙かにハードルは低いだろう。

 要は需要と供給。

当然とも言える。描ける人がたくさん居て、欲しがる人がほとんど居なければ、描ける人の中のごくごく上層の人のものしか売れないのは道理。そう言うところで勝負するのは、凄くキツいと思うし、

 ハンパな覚悟では続けられないと思う。

「ハンパじゃない覚悟」とはつまり、

 自分が描きたい物ではなく、売れる物、欲しがる人が居る物で、自分のスキルをその域まで高める努力と継続をする覚悟。

もちろんキツい。だから、売れてる人であっても、継続して描き続けることに苦悩が浮かぶ。芸術家ってのは、ホント難儀な人種なのだ。
※僕は違うけど

・・・

写真も、絵以上にハードルが低いし、お金になりにくい。でも絵と違って「写真でお金を稼ぎたい」という人も多くない。てか、

 AIが叩かれる背景には、「絵を描く」というハードルの低さと、「絵を描く時間の長さ」という価値、そのクオリティや類似性というジレンマが、多分に含まれている気がする。

ワタシの描いた絵に似た絵が一瞬で出来てしまうのは「ズルい」と。肉筆で描いた絵こそが価値がある!と。

たぶんAIが描くような筆致と似た作風の人は、正直今後どんどんキツくなると思う。一方で、AIが全く描かない作風で、「それでいてニーズがある人」は、今後も安定して生き残れる。

ぶっちゃけ僕なら、「AIと肉筆をブレンドしてイイトコ取りした作品を作ればいいんじゃないの?」とは思うけどさ。

 プライド?そんなもん「売れる絵」には99.99%必要ないよ。

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