遊べないゲーム
ふと豊橋の街中を走っていた時、ゲオが目に入った。
そう言えば中古ゲームとか、昔はめちゃ探してたな~
日課は言い過ぎとしても、家族で軽いドライブに出掛けた時とか、必ずと言って良いほどソレ系の店に寄っていた。
たぶんもう一軒も残ってない。
中古ゲームというのは、一時期メーカーが一切儲からないことを理由に、「違法性」を叩かれたことがあった。しかし、結果的に(経緯はともかく)合法ということになり、その場はさして問題にもならず流れた。
エミュが盛り上がった時期もあるし、マジコンが問題になったこともある。コピーや海賊版は、遙か昔からコンピューターゲームと切っても切れない関係だった。ファミコンのディスクシステムを利用して、ROMゲームを吸い出してコピーするなんてことも、アンダーグラウンドでは行われていたのだ。
しかし、今ふと見渡せば、中古ゲームショップもゲオやふるいちなど、全国展開の中古屋とか、駿河屋などネットメインのショップ、メルカリやヤフオクなど大手ばかりで、「町のゲーム屋」もないし、本屋の一角にファミコンのカセットが置かれていることもない。そもそも本屋自体激減してる。
理由はいっぱい考えられる。
・他の娯楽(スマホやYoutube)が盛り上がり、コンピュータゲームで遊ぶ層が減った
・オンラインで購入したり、サブスクで遊べる機会が増え、実際のカセットやパッケージソフトを手に入れる必要性が激減した
・古いゲームでも、安価でダウンロード購入出来る機会が増え、さらに過去のハードを接続出来るテレビやケーブルなどの環境構築も難しくなった
・当時のタイトルより、リメイクされたもの(メガドライブミニなど)の方が、リアルタイムセーブなど便利機能が増えていて、遊びやすくなった
・最新ゲームですら基本無料のものが増え、「ゲームを買う」という行為そのものがニッチになりつつある
・ネットの普及もあって、路面店でタイトルを探すことがより困難になったし、タイトル数の爆発的な増加と、品揃えの難しさも中古ショップ継続に向かい風となった
・ネットの影響で、「安く仕入れて高く売れる」ケースが減り、さらに「ネットで買った方が安い」「ネットで売った方が高く売れる」=中古屋の利ざや確保が難しくなった
要は、
生活が変わったから、中古ゲームショップの存在意義が失われた。
僕は相変わらずパケ版のゲームを「買いたい」人だけど、ぶっちゃけ友人知人にPS5を持ってる人は「ひとりしかいない」し、彼が買ったのもつい先日の話。さらに言えば、PS5のサブスクによって、一度に大量のタイトルを「遊べる」環境が構築出来るため、貸し借りの魅力も薄くなった。
子供達は別居しているし、僕のPCのスペックもそこまで高くないので、Steamで買うよりPS5で買う方が、安価で高性能。向かい合って同時プレイをする機会もほぼ無くなった。
スマホのソーシャルゲームなどで、サービスが終了したら「二度と遊べなくなる」「遊べなくなった」ものは多い。でも、それってVHSのビデオデッキが壊れて、もう見られなくなった昔撮った番組と、実はとても似ている。
ビデオデッキは、探せばたぶん今でも買うことは出来る。レコードプレイヤーやカセットデッキも然り。でも実際はそれらを買う事はないし、接続して再生出来る可能性すらも、かなり厳しくなっている。HDMIは当たり前でも、今のテレビにS端子、D端子、AVマルチ端子(SONY)は付いていまい。せいぜいコンポジットが付いていたらラッキーくらいのものだ。
スマホだって、最新機種にステレオミニジャックが付いているケースは少なくなったと聞く。こないだ僕のテレビのHDDが壊れて、それに録画されていたものを見ることは出来なくなったし、CD(コンパクトディスク)メディアの寿命により、読み取りが出来なくなりつつあることも、古いゲームの「プレイ可能率」を下げていくだろう。
生活はどんどん変わっていくし、自分に残された時間はどんどん短くなっていく。
別に古いゲームで遊ぶ必要はないし、ゲーム機が次々と使えなくなっていくことも、「当然」のこととして受け入れて行くしかない。そもそも、それはストレスや我慢ではなく、「自然」な成り行きで、何にも不思議なことじゃないのだ。
子供の頃僕が大好きだった「おもちゃのピストル」がある。友達が持っていて羨ましくて自分でも買ったそのピストルは、たぶん値段は300円とかだったと思う。銀玉ではなく、「蛍光グリーン」の直径2cm弱くらいの「円盤」を飛ばすもので、円盤だからこそ飛行が安定して、何とも言えない楽しさ、所有欲を満たしてくれる感覚があった。
でもたぶんこれで遊べる機会はやってこない。
そう思った矢先、ふと調べたら2500円で出品されてた。ネットって改めて凄い。
遊べなくなったものも、遊びたい人がたくさん居たら遊べるようになる。ただ、その代償はつきまとう。
サブスクでもバーチャルコンソールでも、昔のゲームが全て今のハードで遊べるわけじゃないし、Wiiでダウンロード購入したゲームが、WiiUまでは遊べても、スイッチでも遊び続けられるわけじゃない。そう言う意味ではSteamはかなり「がんばれる」けど、それすらもOSの進化で遊べなくなるゲームも出て来ている。
形あるものは必ず壊れる。でも、形がないものも、いずれ遊べなくなったり、聴けなくなったりする。
例えば、今スマホやPCに音楽を入れている人は少なくないと思う。日常的に、いつでも聴けると、気楽に受け入れているだろう。しかし、
一度(ひとたび)震災が起きれば、その環境は一夜にして消失する。
もちろん震災が起きずとも、昨日まで聴けた音楽が今日聴けなくなる可能性は少なからずある。「Youtubeで聴けるじゃん」と言う人には、「全ての歌手の全ての歌がアップされているわけじゃない」と言いたいし、
目当てのモノがなければ、、、、パンがなければケーキを食べればいいというわけにはいかない。
たまたま今僕の手元にある音源が、実はもうネットに出回ってないかも知れないのだ。
※それが何かはわからないけども
常に前を向いて、過去を一切振り返らないような生き方が出来る人も少なからずいると思う。マンガ家の髙橋留美子先生は、仕事中同じCDを繰り返し繰り返し聴いて、
飽きたら二度と聴かなくなるのだそう。
ファミコンが懐かしくても、ファミコンのゲームを本気で楽しめる人がどれほどいるかと思うし、今でも熱量高めに語られるクロノトリガーだって、「今やってもホントに面白いと思ってるの?」というのが僕の本音だ。
でも一方で、ゲームウォッチのゼルダの伝説が思ってた以上に楽しめたり、ファミコン探偵倶楽部の新作にワクワクしたりするのも事実。要は、
自分をフレキシブルに時代にフィットさせていくしかない。
それはハードの世代交代、ストレージの故障、メディアの劣化や、コントローラの破損もそう。
デジタルデータは、安易にコピーが出来るかも知れないけど、それとて永遠じゃない。
たった一枚の画像ですら、むしろ莫大なデータの海が永遠の広がりを見せている今だからこそ、より見つけづらく、失いやすくなっていく。同時に、
うつろいやすくもなっていく
絶対の価値があると信じていたものが、次々と壊れて、無くなっていく。つまり、
大切なのは、今この瞬間だって話だ!
・・・
余談だけど、今2025年のインターネットのデータ総量は、
181ゼタバイト
なのだそうな。
ゼタバイト。ナンジャソリャ?
1バイト *1000=
1キロバイト *1000=
1メガバイト *1000=
1ギガバイト *1000=
1テラバイト *1000=
1ペタバイト *1000=
1エクサバイト *1000=
1ゼタバイト *1000=
1ヨタバイト
僕が昨日買ったテレビ用HDDが4TB。まぁ比べるのも面倒になるくらいの量が、今世界中に出回っている。中にはゲームもあれば動画も音楽も静止画もあるだろうし、エロもあれば家族写真も愛犬愛猫の写真もあるだろう。
しっかりと、今楽しんで、愛でて行こう。特に写真や動画ではなく、実際に手の届くところにある「大切な人やもの」がある人は。


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