日記・コラム・つぶやき

2023年12月 1日 (金)

愚痴

僕は僕の中であまり愚痴っぽい人間だとは思ってない。他の人から見た僕がもしそう見えたとしたら、その人は僕以上に愚痴っぽくない人か、

 人と自分は違って見えるか。

と言うか、愚痴っぽい人というのは、つまりは回りに期待をばらまいていると言うことなのではないか。誰かに依存して居ればいるほど、それが叶わなかったときにストレスを抱く。回りに期待しなければ、裏切られることもないし、腹が立つこともない。愚痴と不満は直結ではないかも知れないけど、

 クズ相手にいら立ちを露わにしているウチは、まだまだ相手を人間として認めている

と言うことなのではないかな、と。

スレッズには大小様々な愚痴が書き込まれる。と言うか、

 長文書き込みの大半が愚痴っぽいと言っても過言じゃない。

もちろんそれはその人の感じたことであり、ウソでもなければ、禁止でもない。そう思っちゃったんだからしょうがないと思うし、実際ちょっとした愚痴を見たからと言って僕がその人をブロックしたりもしない。

・・・

似た言葉に「糾弾」という言葉がある。罪状を問いだたし、非難することとある。愚痴や不満と違うのは、「相手の悪が明確であり、非難する側に正義がある」。ただ、これも特に「非難する側が実害を被っていなくても糾弾が成立する」と言う点で、

 どこか薄暗い何かを感じる。

別に自分に無関係なら、そこで相手を悪く言う必要はない。政治家が高給取りで、税金をガンガン上げていくことは「実害がある」ので糾弾してもいいと思うけど、ビッグモーターとか、特に自分が住んでるところでもないところで、買ったことも売ったこともない連中を叩くことに、

 エネルギーの、つまりは「自分の命の」無駄遣いを感じる。

と言うか、「腹を立てる」というのは、人間だから仕方ないとは思う。でも、同時にそれが自分に対して何の得もないことを自分はわかっているのだ。救急車が来ているのに一旦停止しないようなヤツには、

 オマエの大事な人が今すぐに死ね!

と声に出して言ったりするし、タバコのポイ捨てを中央分離帯の植木にしたヤツとかも、

 自分ひとりでブレーキが故障して海にでも落ちればいい

と思ったりもするけど、それは別段愚痴とは違うと思う。やはり愚痴とは自分と関係性が強いところで、文字通り「ぐちぐち言う」のが愚痴だろうと。
※「ぐちぐち書く」でも可

僕は以前から、そして常日頃から、「二面性」を重視したいと思っている。スレッズにあった不満を見ながら、

 それはある意味ブーメランになってるよな?

と思ったりもするし、たとえばインスタで「インコが死にました」という書き込みに、「いいね」をすることに著しい抵抗を感じたりする。てか、

 いいね96は、みんな「インコが死んでいいね」と思ってるわけじゃないだろうに

と思いつつもやはり違和感は拭えない。

心の平穏を維持するには、「出来るだけ」自分が「正義側」に居なければいけない。その上で、「明確な悪」と「不慮の不手際」つまりミスの区別をし、自分の心をコントロールしたいと思う。もっとも、

 ミスには「過失」という領域も存在するのだけど。

僕は以前友人から糾弾されたことがある。ひとつは明らかに僕に非がある場合。それは甘んじてそのレッテルを受け入れる。そしてもう一つは、「意図しない悪意を僕が持ったことになっていた」場合。つまり、

 ミスを悪だと判断された場合。

非常にもどかしい気持ちになる。「僕はそんなに悪いヤツじゃないよ?」と僕はその時他の友人に話をしたこともある。

 悪いヤツとは、つまりは第三者の利益や幸せを、故意に脅かすようなヤツだ。

もちろんそれには命や怪我なども含まれる。コロナ初期に「オレは感染者だ!」とマスクを外して咳をまき散らしたりするのも、明確な「悪」だったろう。
※今でもそう言う人が居るのかも知れないけど

スレッズの話に戻すけど、そこで吐かれている愚痴の多くが、

 実は大したことじゃないことが多い。

一言で言えば、「その人と価値観が合わないということに気付いてないレベルの愚痴」が多い。そしてそれは、「気にしなくても済む」レベルであり、

 自分の幸せを、他の人に阻害させる権利はない。

 だから、そう言う人は気にしないようにしよう!

と言うわけである。

でも同時に僕はそこにある二面性にも気付いてしまう。

 誰かに自分の幸せを害される可能性があるなら、その相手のことをそれこそ虫程度の存在だと思えばいい。がしかし、

 本当に虫程度の存在だと「思えてしまう」と、それは自分以外の人間の大半が「虫」になってしまうリスクもあり、

 人として、自分の尊厳だけが重要な唯我独尊な危険思想の入り口に立っている場合もあるのだ。

 割と僕がそうなのだけど。

「愚痴を言う」のは、回りに期待している証拠。でも「愚痴を一切言わない」のは、周りの人間を人間として認めていないことにもなりかねない。

もちろん愚痴を言う言わない以前に、「普通に人としてコミュニケ出来る関係の人」の方が遙かに多いし、そう言う人まで虫扱いするわけじゃないのだけど。

でもスレッズやインスタの愚痴関連の話を見る限りでは、

 虫相手に話をしようとしてる人が多いんだよな。

・・・

僕はインスタが好きだ。インスタは、そんな愚痴が凄く少ないと思う。僕も極力ネガティブなコメントはしないようにしているし、そう言う意識は、たぶん僕がフォローしている78人の人はみんなしている気がする。

 愚痴っぽいことを言う人をフォローしようとは、少なくとも僕は思わない。

「キラキラしている世界」なのだ。表面だけ取り繕っているのかも知れないし、もっと言えば、「ウソ」かも知れない。でもそれは別にジャニーズだってそうだった。ウソでもそれがキラキラと輝いていて、自分に笑顔をくれる存在だったら、他に何が必要なんだって話。

 コミュニケーションの全てがキラキラしている必要はないかも知れないけど、キラキラしていた方が、きっと世界は楽しいと思う。

僕は小学校も中学校も高校も、彼女は居なかったけど結構友達も多くて、「キラキラしていた」と思う。と言うか、普通の人はあとから振り返って「あの時もっと○○していれば、、、」的な後悔と共に、その「青く輝く春」に羨望の眼差しを送るのかも知れないが、

 僕は自分がその渦中にあるときから、その希少性、「キラキラさ」を実感して、それを出来る限り活かしたい、楽しみたいと毎日生きていた。

だから僕は別に過去にその類の後悔は抱かないのだけど、

 今インスタのキラキラした感じが、そこはかとなく学生時代のキラキラした感じに近いものを感じたりする。

同じくらいの世代の友人たちと、当時の話をする。懐かしいとか楽しかったとか嬉しかったとか。全部過去形に見えて、その実今こうして話していること自体が「幸せ」であることを僕は気付いているのだ。

だから、

僕はスレッズでもインスタでも、ホントはもっとこのブログで触れるような「濃度の高い自分の話」をしたい衝動を抑え、表面的な爽やかで穏やかなキャラを演じている。でも、ウソを付いてるわけじゃない。

 僕はそんなに悪い人じゃないからな!

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2023年11月30日 (木)

休日ドライブ

今日は11/28。今は11:57。でも今日の話。

朝、いい加減髪を切ろうと思い、9:00開店のラッキー理容に向けて、起床&菓子パンパクパク。ちょうど良い時間にラッキー理容に到着するも、

 火曜定休!ガーン!!

てか以前は年中無休だった気がしたけど、無念。

で、そのまま帰るのも何となく癪だったので、帰路とは別の方向に舵を取り、特に目的もなく新城方面へ。地元民しかわからない表現で言えば、姫街道を走る。

途中高校時代の友人Tの家の写真を撮り、
※わざわざ語る意味もないけど、、、友人Tは既に引っ越しており、その家は一度解体されたはずだと以前聞いていた。でもどう見てもオマエが前住んでた家にしか見えん!と本人に伝えたくなって写真を撮った次第

そのまま気の向くままにドライブ。

今日は特に遠出する予定じゃなかったので、外部バッテリーを持って来ておらず、調子に乗って音楽掛けながら行ったら途中でエンプティになってしまうかもと思い、あえて音楽も掛けず、環境音に浸りながら走る。てか、この辺りの道は、静岡県の大東町でひとり暮らししていた頃にもしょっちゅう友人Tを尋ねていた道だったのだけど、

 その当時はカーステで音楽掛けまくっていたので、

環境音だけ、と言う環境が妙に新鮮。

一応当古橋からの景色を撮ってみたり、
※河川敷がもっとずっと広かったと思ったけど、全然そんな感じではなく

ホントに無目的だったので、完全に気分でツラツラと。

一応以前デジラマ背景のロケハンに行ったときとは別のところに行こうと思ったので、以前通らなかった本坂トンネルを通り、三ヶ日へ抜けた。

本坂トンネル前後で、取るに足らない写真を十数枚。見下ろし視点に価値を見いだす僕だけど、「木々の角度からしか傾斜が推し量れない」のは、なかなか微妙。

 「何気ないけど何気なくない写真」が撮りたかったはずなのに、

 ただの普通の写真になってしまってた。
※今確認

まぁそれが目的でもなかったけど。

そのまま浜名湖沿岸を新居方面に移動。てか、

 ビックリするほど「おもちゃ屋」「ゲーム屋」「プラモ屋」「本屋」「お菓子屋」さらに、「スーパー」すらない。

あるのは、軽食屋と、ミカンの路上販売とか。まぁ田舎だったから余計そうだったのかも知れないけど。

それと、

 浜名湖の沿岸が道路の真横まで来ていて、ちょっと怖くなったり。

水面と道路の高さの差が1mもないほどで、たまたま今が満潮だったとしても、

 これ、台風の時とかどうなるんだよ?

と思った。一応浜名湖は内海だから、太平洋岸ほどの高波はないにしても、

 小さな地震&小さな津波でもイチコロじゃないの?と。

別段目的も無かったけど、ふとモスバーガーを発見。つい昨日酒村ゆっけさんのインスタで「モスをキレイに食べる方法」の話を見たばかりだったので、久々に寄ることに。

モスは以前「信じられないくらいハラペーニョの量が少なかった」ことが原因で、
※具体的には直径6mmが4切れしか乗ってなかった
見限っていたのだけど、その店ではないし、

 あえて、「出来る範囲で載せて貰えます?」

と釘を刺した。「規定量」で大丈夫なので。
※ちなみに「追いハラペーニョ」なるシステムもあるらしい

結果、「普通の量」でホッとする。てか値段はスパモスが480円でスパチリが470円だったかな。普通に美味しかったけど、

 相変わらずベタベタにはなる。

そのまま車を走らせ、一号線に合流。せっかくだからタムタムも覗こうと思ったら、

 まんまとやってない。

一応10時は過ぎていたけど、開店は11時だったんだろうか。もしくは平日は休みとか?
※土日10時開店って書いてあっただけだったので

軽く消沈しつつジョーシンへ。

久々のガンプラ売り場だったけど、

・クシャトリア
・クスィー
・フルメタエアリアル
・PGダブルオー
・RGνガンダム

なんかがパッと見めぼしいかもと思った。驚きはしなかったけど、

 ガンプラが以前2割引だったのが1割引になってた。

他のプラモは2割引のままだったみたいだけど。

てか、自分でもちょっと驚くけど、作らなくなって買うことに興味が無くなったら、全く「そそられない」んだよね。プラモ道具もそうだし、完成品も、その他諸々のプラモも。

 こういう心情時に「半額」とかになっても、きっと買わないんだろうな~とか。

ガンプラはひとり1種1個、計2個まで。そこまでの縛りをしなきゃならないほど、未だに一般店には弾が入らないんだなぁと。

他は、、、

・FF7リメイクの続編が2024/2/29発売

・ゴジラマイナスワンのソフビは無し

・スラムダンクのブルーレイが発売予定※いつか忘れた

・ガシャは、500円が当たり前で、ゴジラが2種、ウルトラが1種、ガンダムはSDが2種。「ああもう500円なんだ」って思った

で、ジョーシンをあとにして、一階にあるミスドでかみさんへお土産を少々。普段は買わないのだけど、、、

 そもそも出掛けることが無いので。

ごくたまのことなのでいいかな、と。値段はモスの時は100円くらい上がってただけで、特に値上がり感は強くなかったのだけど、

 ミスドは結構上がってる気がした。以前は120円くらいだったのが今165円とか。

余談だけど、ミスドはクレカが使えないんだよね。なんかそう言うの潔くて好き。僕は自分の店が、クレカOKだけど特価は不可だからか、あんまクレカが好きじゃない。ネットでは使うけど。

そしてお決まりのコロナ鑑定箱。今はエーツーって名前だったかも。

ここもかなり久しぶり。てか前にプラモを探したのがいつだったのか、、、全く買えなくて「もう要らん!」と見切りを付けてから、少なくとも半年、ヘタしたら1年くらい経ってそう。

 当然のようにレイアウトも変わっている。

相変わらずガンプラはプレミア上等。品数はそこそこあるけど、

 2倍から3倍が当たり前。

まぁ安く売って棚が空になるよりは、たまに買ってくれる人でガッツリ稼いで棚が充実してる方を選択してるのは、当然と言えば当然かも。

とりあえず、特に欲しい物は無し。とりあえず、以前長男に買ったMGの一番くじ78が、3980円だった。前買った時は2499円の3割引(1749円)くらいだったような気がするけど。

マンガは、「薬屋のひとりごと」と「MFゴースト」目当てで探してもらったけど、前者は1巻と7巻。定価660円が450円。MFゴーストに至っては一冊もなし。前はそこそこあったのに、さすがアニメの影響は大きい、、、のか、僕が知らない間に売れていたのか。

何となく目についたので、「よつばと」の15巻310円を購入。当然少し立ち読みして、

 これは読んだ記憶がない、、、と思う。

と思いながら買うことにしたのだけど、ぶっちゃけてしまえば、

 その前の14巻も記憶になかった。

そしてふと思った。

 別に15巻を買う必要はないのではないか。

買ったマンガを繰り返し「忘れる」なら、新しいマンガを買う意味とかあるのか?と。

 まぁせっかくだから買ったけど。

てか、ネットではない実物のマンガを買ってるのは、これと甘い生活くらいしかないし。まぁ甘い生活も次機会があったらネットで買うつもりだったけど。

 もう続刊で読んるマンガはほぼほぼネット配信なんだよね。

で、

 帰宅し、これを書き始めた次第。

今の時刻は12:33。これを書くのに36分ほど。まぁ休日はまだ半分残っているけど、普段とは違う使い方
※お金はガソリン含め2000円ちょい使ったけど
をしたのは、悪くなかったかな。

てか髪早く切りたいなぁ。

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2023年11月26日 (日)

今見た夢の話

夢の中で僕は学生服を着ていた。僕は中学高校と制服だったので、つまり僕はおよそ高校生くらいだったと思われる。

一方で僕は、今の自分の休日のように、たとえばデジラマを作ったり、たとえばマンガやアニメを見たりして、自堕落にその日も過ごしていた。

何かはわからないが、軽く疑問があったのか、友人に電話を掛けた。ここで自分は高校生だったと思う。なぜなら自分の携帯を持っていたから。

 ※念のため僕が高校の頃はまだ携帯電話は普及してない

だが友人は電話に出ず、何でだろうと思う。

だったら直接学校に行って訊こうと、高校に行く。

しかし教室はもぬけの空で、校内に人影もない。

 あれ?おかしいな。

僕は何とも言えない不安に駆られ、校内を散策する。不安はなぜかどんどん大きくなって、そしてふと思う。

 なぜ僕は学校に来てなかったのか。

その刹那、体育館の方からうっすらと声が聞こえてくる。なにか、大きな声で、全員が話をしているような、、、

 !! 今日は卒業式だった!!

僕は酷く狼狽し、なんでこんな大事なことを忘れてしまっていたのか。自堕落な日々を送っているあまり、これほど大事な日すら、学校に行くのを忘れてしまったのか。

 ※ちなみに僕は学校を休みがちだったわけではない。たぶんほとんど皆勤に近いくらい出たと思う。学校大好きだったので。中学も高校も

ひとりぼっち、校舎から出たところで、体育館からの声は歌声となり、卒業式が終わりにさしかかっていることに気付く。

 ああ、僕は卒業式にすら出忘れてしまうヤツなのか。こんなに大切な日は、一生にそう何度もないのに。

絶望にうちひしがれると同時に、僕はもうひとつの感覚を自分が抱いていることに気付く。

 ・・・懐かしいな

僕が出た校舎の出口は、ぼんやりと中学校の校舎だったような感じ。そして声が聞こえてきたのは左からだった。左を見るとそこには体育館があったが、

 僕の中学の体育館は、校舎の出口のすぐ真正面にあり、左にあったのは高校だ。

 ・・・ここはどこなんだ?

母校のような懐かしさを抱く一方で、状況に混濁が見られる。逃げるように学校から出ようとした先にある「軽い坂道と大きな木」は、小学校の正門だったのではないか。そもそも僕は、

 なぜ「懐かしい」と?

僕は卒業式に「出忘れた」ことはない。

だが、僕はその場で卒業式に出損なった不安感でいっぱいになっている。

一生消えない汚点のような、重苦しくも切ない記憶がここで生まれてしまったのだと思っている。

 なぜ?

違和感が体を突き抜ける。

周囲の映像が、「ぼんやりとしはじめる」。

・・・これは、夢だ。

そして僕はすぐさまその流れやシチュエーションを脳内で整理し、

 忘れないように繰り返し言い聞かせる。

夢の中の僕は、夢が崩れ落ちる前に、必死に自分に今の夢のことを言い聞かせる。状況や、感情や、音や、色や、、、。

目覚めてすぐに真正面にあるPCモニターが「点いている」ことに感謝し、秀丸を立ち上げ、これを書き出している。

・・・

そして冷静になぜこんな夢を見たのかを整理すると、驚くほど「理由」が明らかになった。

・最近来年の新一年生(※中学)の採寸販売をしている

・しかしそれはブレザーで、学ランは去年で事実上終わっている

・一方高校には、新一年生用の宣伝ビラを2日ほど前に届けてきたばかり。つまり学校の印象がそこですり込まれた

・毎日デジラマやアニメで繰り返してしまう日常には、「異質な出来事」を忘れてしまう怖さがある。いつもと違うことは、その多くを忘れてしまう。その事象の重要度に関わらず。

 それが卒業式クラスの大きなことであっても。

・・・それらを全てまとめた結果が、今PCの前で寝オチしていたとき僕に、こんな夢を見させたのだ。

さらに言えば、寝オチする直前には、僕が高校生くらいの頃に作られたと思われるアニメを見ていた。川尻義昭監督の「サイバーシティOEDO808」。懐かしいエッセンスはここでも重ねられたらしい。

別に寝汗をかいたり、いたたまれなかったり、辛かったり苦しかったりしているわけでもなく、安堵や、「今が本当にその状況じゃなかったこと」を、字面以上にかみしめているわけでもない。

ただただ、

 なんか、楽しい夢だったな

と思うのだ。

だからこそ、

 すぐさま書き留めておきたいな、と思った。

別にそれが誰かの役に立つとも、「自分の役に立つとも」思わない。

夢を書き留めるのはあまり良いこととは言われてないが、その理由は忘れてしまったし、全ての人間に等しくその理由が適用されるとも思えない。若い頃限定の「やらなきゃいいこと」かも知れないし、取るに足らないレベルの事だったかも知れないし。

 でも、「夢を書きとどめておかない方が良い」と言う記憶だけは残っている。

ちょっと不思議な気もする。

やらない方が良いと言う記憶はあるのに、それを迷わずやってしまう自分。そしてこれを読み返したときに、きっと自分がまたこの時の「何とも言えない楽しさ」を追体験できるであろう確信。

てか夢をいつでも呼び出せたらいいのになぁ。

こうやって書き残せたるレベルの状況は凄く稀なんだよな。

※本来は布団で寝ている時に夢を見るので、起きて、階段を下り、PCを立ち上げる頃には、当然のように夢のディティールは損なわれ、「ただ楽しかったような気がする」という、心象の断片だけが残っていたりするのだ。

つまり、

 これはラッキーだったと思う。

たぶん、、、

 読んでる他の誰もが同意出来ない類のラッキーだとは思うけど!

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2023年11月21日 (火)

つぶやき

今日は2023/11/18。

 ムチャクチャ寒い!

なんかビックリするくらい寒いんですけど!変な病気に罹ったんじゃないかってくらい。

僕の仕事には、店頭に出した商品の片付けもあるのだけど、外が寒すぎてちょっと笑いがこみ上げるくらい。もちろん衣料品小売り業なので、寒くなることは手放しで喜ばしいことではあるのだけど、

 ズボン下履いて来ればよかったな、と思ったり。

 スニーカーソックスじゃなくて、パイルのクルーソックス履いて来れば良かったな、と思ったり。

こんなんで風邪曳きたくないし、何なら自分とこに腐るほど売ってるから買えばいいんだけどさ。

●リモコン届いた

テレビのリモコンの調子が悪くなって、、、と言うか、電池を替えても直らなかった=リモコンが悪いと決めつけるのも良くないかもなのだけど、とにかくボタンの反応が悪くなったので、ネットで1100円のヤツを買った。

前のは当然純正で、ネットフリックスのボタンも付いていたのだけど、今回のは互換機で、そのボタンもない。ただネトフリも解約してしばらく経つし、再加入するつもりもないので、実質問題はない。てか、

 むしろ頻繁に使う「録画番組」のボタンが、そのネトフリボタンの場所に移動したので、
※元の場所からも1クッション挟んで録画番組を呼び出すことは出来る。その辺は良く出来てる
こっちのがいいくらい。

てか、「妙に軽い」のが気になったり。ゲーム機のコントローラは、個人的に軽ければ軽いほどいい人なのだけど、
※振動も要らない
リモコンがここまで軽いと、

 ホントに中入ってるんだろうか

と思うほど。もっとも、

 超快適にボタンが反応するようになった!

こんなことならもっと早く買えば良かったって思ったわ。

ちなみに、一緒に買った6TBのHDDはまだ接続してない。初期不良が怖いから、動作チェックだけでもした方が良いんだけど、、、。

●髪が伸びた

例年だと、6月と12月に床屋に行くのだけど、今年は11月なのにスゲェジャマ。ガマンして12月に行くか、はたまた少し前倒しで行くか。

 そんなどうでもいい話。

●褒められるのはやっぱり嬉しい

デジラマコラボで、カズヒコさんとKMさんそれぞれからべた褒めされた。

普段大抵の人は褒めてくれるのだけど、その言葉の中の重み?みたいなものがやっぱあるな、と。

それは、僕がコメントに返答するときも同じ。ただ、「ありがとうございます」では、

 正直機械が返答してるのと同じ。

人間味が欲しい。褒めるときはそれでもいいと思う。「いいねをし、コメントを残す」という行為だけでもエネルギーを使うわけだから。でも、それに答えるのは、機械じゃダメだと思う。と言うか、

 機械的な返答しか出来ない人は、たぶんよほどのことがないとフォローはしない。

※文字通り機械的な返答の相互フォロワーさんがひとり居るけど、その方はたぶん海外の方。マシン翻訳の中にも熱量は感じ取れるし、何より、ガッツリコラボして頂いてるので足を向けて寝られないのだ笑

スレッズで、「いいねだけしてフォローしない」「フォローだけして音沙汰無し」「いいねを大量にしてくれたからフォローしたけどフォロバしてくれない」みたいな人を、

 気にしすぎる自分に嫌気が差した

と言うポストがあったのだけど、まぁ気にしすぎだよなと思った。レジメを変えるけど、、、

●フォローとは

フォローとは「追いかける」という意味だと思う。つまり、その人が何を呟くか、インスタに投下するかが気になるから、それを追跡するという意味だと思う。決して、

 コメントしてくれたから、いいねしてくれたから、フォローしてくれたから、、、

 お返しでフォローするのが「フォローの意図」ではないと思う。

そう言う意味では、芸能人へのフォローはまさにソレ。その人の書き込みや写真が気になるからフォローする。

 全く興味がない話ばかりする人をフォローすると言うことは、つまりその人は、

 「フォローしてる人のインスタを見てない人」

だと思うのだ。だって興味がない、例えば僕なら、釣り、ゴルフ、競馬、パチンコ、野球中継、囲碁将棋のテレビ番組を見たりしない。当たり前だ。興味がないんだから。

なのに、フォローしてくれた「だけで」フォローバックするのは絶対おかしいと思う。

 他の全ての人のポストを「見てない」でしょって思う。

もちろん僕みたいに、毎日ほぼ決まった時刻に投下する場合は、「それを狙い打ちでチェックする」ことも出来るだろうけど、

 そんな人は他に居ない。
※僕がフォローしてる人に

と言うか、僕は今78人フォローしているのだけど、基本的にはフォローしてる人のポストは概ね全ていいねをしている。中には興味がない(例えば食事とか)のポストをスルーすることはあるけど、

 それがフォローという意味だろ、と思うし。

フォローしてくれるのは嬉しいし、数字として19000人というフォロワー数が発する「力」があるのも重々感じている。でもそれはあくまで「してくれただけ」で、僕が業者を通して無理に増やしたワケじゃないし、お願いしてフォローしてもらったわけでもない。だからこそ、気に入らなければサクサクリムーブされるし、実際に見てる人なんて、その中の1割にも満たないと思う。

 つまり、19000人という数字は重みがあるけど、その中身はほとんどカラッポで、一部のヘビーフォロワー(主に相互フォロー)以外は、たぶんほとんどインスタを見ていない。

興味がないならフォローしなくていい。興味があるからフォローする。「追いかけたいからフォローする」。言いたいことがあるからコメントする。感謝したからありがとうと言うし、機械だと思われたくないから人とは違った言葉を使う。

 コミュニケーションってそう言うことだろ、と思う。

言いたいことがあっても、フォローしたいと思わないことなんていくらでもある。いいねしてコメントしたらそれはフォローして然るべきじゃない。

 いいねと思ったポストを、毎日更新でリサイクルもなく、常に新作で投下し続けるのなら、僕は喜んでフォローする。

まぁ興味が薄れたら&その人の更新頻度が極端に落ちたら、相互じゃない限りあっさりリムーブしたりもするけど。
※相互の人で頻繁にインスタ覗いてる&投下してる人は外さないよ?

昨日たまたま、「フォロワー8万人超え、フォロー542人」という人がフォローしてくれてるのに気付いた。実際中身も悪くなかったのだけど、

 毎日追いかけたいか、と言われたら、それはたぶん違うな、と。

その人が僕をフォローしてくれたのも、「フォロバを期待して」ではないはずだ。だって78人しかフォローしてない人なんて、まずフォローしない人だもん。

 それが健康的ってことだろう?

結局の所、「いいね」と「フォロー」は違うって話だ。てか、そんな考えだからフォロワーがメキメキ減ったりしてるのかも知れないし、リーチもいいねも伸びないんだろうけど!

てか、

 実際問題、これまで数千のいいねをしてくれた人って誰だったんだ!?

海外の人なのか日本人なのかもわからないし、何経由で見つけてくれたのかもわからない。もちろん「気に入らないからいいねしない」と言うのなら、それはそれで仕方ないとも思うけど、

 結構自信作でも400行かないとか。

わからんぜ。てか、分析して伸ばすとかもちょっと違う気がするんだよな。

 自分が楽しくてやってるわけだから。

自分が楽しくないことをしていいねやフォロワー増やしても、、、まぁフォロワーが増えたらそれだけで楽しいんだけど!<言ってることが破綻してる?

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2023年11月20日 (月)

能動的と受動的

前にも触れたことがあるような話だけど、何となく。

スマホがない暮らしを想像するのはなかなか難しい。でも24時間ずっと触り続けてるわけでもない。スマホを触ってない時間(プライベート)は、PCを触ってたり、録画を見てたりする。

 スマホ>PC>テレビ

しかし、僕は以前その全てが付かない状況になったときがあった。で、その時一番求めたのは、

 紙とペン。

人は必ずしも娯楽を求める生き物ではない。仕事をし、飯を食い、風呂に入って寝る。そんな暮らしを何十年も普通に、当たり前に続けられる人もいる。まぁ世代的には「昭和一桁生まれ」くらいの世代かも知れないが。「いる」じゃなくて「いた」が正しいか。

でも、今の世の中娯楽ゼロで平気という人は存外少ないのではないか。表だって言う趣味らしい趣味でなくても、たとえば昼飯にこだわりがあるとか、年に一度の旅行を楽しみにしているとか、友達とのLINEが好きだということさえ、ある意味娯楽の一環だろう。

つまり人は、「楽しい時間」を求める生き物なわけだ。で、その楽しい時間を摂取するのに一番手っ取り早いのが今の時代だとスマホ、と言う事になると言う話。

会話や書き込みは、一見能動的に見える。がしかし、実際はそのリアクションを期待しているのが本質で、「誰にも読まれない前提で掲示板に書き込む」ことはあまり無い。

そう言う意味では、このブログのように「誰にも読まれなくても書き続けている」のは、異質と言える。てかそれはつまり、「日記と言う趣味は異質」と言ってるのと同じことなわけだけど、

 何かを作る、生み出すと言う趣味は、第三者への依存度が低く、コスパが良いと思う。

プラモを作るのも、写真を撮るのも、体を鍛えるのも、自分で能動的にアクションを起こすことは、見たり、聞いたり、読んだりするだけの受動的な行動とは、たぶん本質的に何かが違う。と言うか、

 受動的な娯楽には、結果が残りにくい。

そして、

 能動的な娯楽に慣れていくと、そこはかとない物足りなさが残る。

映画が趣味の人でも、見終わった後パンフを買ったり、感想を書き込んだりせず、そのまま床について命を消費し続けると、たぶんその映画のことはほとんど忘れてしまう。若く、見た直後であればいろんなことを覚えていられるだろうけど、歳を取り、さらに時が経てば、

 タイトルも、内容も、キャストも、セリフのひとつ残らずさえも忘れてしまう。

何かの拍子に思い出すことはあるだろうけど、年に300本映画を観ていれば「忘れにくくなる」というわけでもない。

僕は映画やマンガ、アニメが好きだけど、本当に好きな作品は何度でも見る。それは、自分で作ったデジラマも同じ。ブログも結構読み返すのは嫌いじゃない。

職業にしているマンガ家や小説家はまた違うのかも知れないけど、
※あと映画監督とか
自分が生み出したモノを楽しめるというのは、「拠り所」として結構ありがたいと思うと同時に、

 生み出さない時間に不安を募らせたりする。

今見ている映画は面白い。でもそれを誰にも伝えず、感想も書かなければ、それはそのまま、割と短時間に、忘却の彼方へと忘れ去られてしまう。

 無かったことになってしまう。

別にそれでも生きて行くことには何の問題もない。その瞬間だけだろうと楽しい時間が過ごせたのならそれでいいのかも知れない。でもなんだろ、何とも言えない寂しさを感じるのだ。

子供が小さかった頃なら、その思い出はまさに「生み出されていた」。旅行でもゲームでも、日々の暮らしのささやかな会話ひとつであっても、僕の記憶と子供の記憶が重なってることで、「何か」が作られていた。まぁ子供に限らず友人や恋人であっても「そう」なのかも知れないけど、

 歳を取り、関係性の強い間柄の人間が周りに居なくなると、「対人での生産」はなかなか難しくなる。

まぁ飲み友達とかセフレとかが居ればまた違うのかも知れないけど。

てか、「対人での生産」もまた能動的な行為と言えるだろう。自分だけで完結しないと言う事は、こちらからも何らかのアクションが不可欠になる。壁に向かってひとりごとを呟くのとは違う。

インスタで知り合った友人と他愛のないLINEを交わす。文字だけでもそこには笑顔があり、盛り上がりがある。形としても残る。

 だけど、一ヶ月、二週間、一週間もしたら、それを読み返すことはないし、読み返そうにも探すことさえままならないこともある。

デジラマを作るのはそれほどストレスじゃない。良い作品が出来るのは普通に楽しいし、満足感もある。コラボなら喜んで貰えたりもするし、いいねやコメントでコミュニケーションを生み出すことも出来る。まぁ古いネタを掘り起こすのは容易ではないけど。

でも、リアクションが少なくなればモチベも下がる。能動的ではあるものの、「惰性」の占める割合が増えていく。

でも、、、

 ブログは割とそうじゃない。

もちろんコメントややりとりは楽しかったし、ピーク時の濃度を思えば、

 今は「入念に濾過された水」でしかない

でも、自分で読み返してニヤリとすることは出来る。と言うか、これは果たして「能動的な趣味」と言えるのかとすら思う。

 僕は、未来の僕のためにブログを書いている。でも、未来の僕は今の僕とは別の人という気がする。未来の僕が嫌な顔をしないようにマナーや、スタンス、ポリシーみたいなものに気を付ける。誰かが読んでいなくても、生きてさえ居れば未来の僕はそこに居る。

・・・

最近、ブログの更新を止めようかな、と思ったことがあった。まぁホントに止めたところで誰も気付かないかも知れないし、僕も楽になる側面はある。でも、

 止めたらどうなるのかを考えたら、「それは娯楽のひとつを捨てることになるぞ」と、もうひとりの僕が言った。

スマホもPCもテレビも、マンガもアニメも映画もプラモも、生活していくギリギリのお金は欲しいけど、娯楽らしい娯楽がほとんど得られないような未来がもし来たとしても、

 紙とペンさえあれば、僕は楽しく生きていける気がする。

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2023年11月19日 (日)

スレッズのポストで、、、

インスタをやってると、スレッズのCMというか、オススメがちょろっと顔を出す。文字数で言えば20文字とか30文字程度だと思うけど、タッチするとそっちをガッツリ読める。

その多くは、「なんでバッシングするのか」という、「悪口に対する悪口」が多いのだけど、
※別段さして悪意もないし、言葉遣いもそう悪くないものが多い。悪いのもあるけど

ちょっと気になるのがあった。

・・・

うろ覚えなので、間違ってたらゴメンだけど、

小五の子供(♂)のクラスには、病気で休みがちな女の子が居る。で、その子が久々に給食の時間に間に合うように来た際、他の男子が、

 給食だけ食べに来てどろぼう!

と揶揄したのだそう。そしたらその子は泣いてしまったのだけど、そのお子さんは、

 どろぼうの意味わかってるのか!?ちゃんと給食費だって払ってる!せっかく出てきたのに、そんなこと言うな!

と、女の子を守るような言葉を返したという。そして女の子は泣きながら帰ってしまったのだそう。

・・・

書き込みもいいねも多かったのだけど、ざっと見た限り、

 全ての書き込みが賞賛。

かっこいい、なかなか出来ない、女の子も普通に来れるようになるといいですね。

そんなのばっかし。ホントにそんなのばっかし!スゲェたくさんの書き込みが全部ソレ。

 ・・・スゲェ違和感感じた。

僕はその男の子でもないし、女の子のルックスや立ち位置も知らない。いじめっ子的な子の家の状態や、先生の対応など何も知らないけど、

 小五の男のなら、好きな女の子に「いじめるかのような」ことを言ってしまうものだよ?

悪気なんて全然ない。でも、ついからかう気持ちや、ちょっかいをかけてしまう。むしろ、

 好きの裏返しで言ってしまう可能性の方が高い。

「小五」だよ?これが小学1年生なら話は違うと思う。でも小五なら、女の子に「好き」や「かわいい」と言う感情だって湧いているはずだし、むしろ絡みたくない、距離を置きたいと思う方が「普通」だと僕は思う。でも、そこで相手を傷つけるようなことを言ってしまう。

 男子ってそう言うもんだと僕は思う。

もちろん女の子はそれに気付かないし、

 当然のように傷ついてしまう。

いじめっ子の気持ちなんて気付けないのだ。ただ嫌な子、怖い、嫌いという負の感情だけが彼に対して湧くだろう。

 それもまたしょうがない。

そして、

 ここで出てきた「擁護してくれた男子」の存在。

果たして女の子はこの擁護を嬉しく思ったのだろうか。元々仲が良かったとか、家が近所だとか、家族ぐるみのお付き合いをしている関係であるならまだしも、

 普段学校を休みがちな女の子が、そこまでひとりの男子に対して心を許していただろうか。

主人公、と言ってしまうけど、その男子が足が速くて顔が良くて常に気配りが出来る、学内ヒエラルキーのトップクラスの男の子であったっとしても、

 必ずしも好意を好意で返すとは限らない。

むしろほっといて欲しいと思うかも知れない。男の子からしたら、学校に出てきて欲しいと思うかも知れないし、給食だって楽しく食べた方が「いいに決まってる」と思ってるかも知れないけど、

 それが必ずしも女の子にとって「嬉しい」「望んでいること」とは限らない。

だからこそ慎重に、丁寧に、彼女との距離感を考えて言葉を選ばなければならないと思う。

 まだ小五。されど小五。

女の子の気持ちも一瞬一瞬で変わる。これが恋になるかも知れないし、

 いじめっ子の方を好きになる未来だってある。

文字だけのやりとりで、人の心、ましてや小学5年生の男子女子の心が「わかるわけがない」。もちろん僕が書いたことも間違ってる可能性は十分ある。

 でも、数十人のコメントが全て「同じ色」なのは、何か違うと思った。

十人十色。いじめっ子の味方をするわけじゃないけど、特別な理由
※親に虐待されているとか
が無い限り、小五の男の子の性格は、そこまで攻撃的になるもんじゃないと僕は思う。

 そこで謝れるかどうかは、その子の親や先生の教育次第かも知れないけど。

最悪、女の子が、主人公の男の子「だけを嫌う」未来だってある。それは、見た目が理由かも知れないし、むしろ注目を集めてしまったことによる気恥ずかしさかも知れない。でも、それによって男の子が傷ついたりはして欲しくない。

人を守ると言う事は、守る強さを持っていなければならない。小学生なら可能性は低いだろうけど、「女の子と一緒にいじめられる対象になる」未来だってある。

ハートが強ければそれでも平気と思うかも知れないけど、女の子だけが社会復帰する可能性だってあるし、

 ただ「かっこいい」で終わる問題じゃないと僕は思った。 

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2023年11月14日 (火)

怖い夢

これは一晩でみたものではなく、2回分。どちらも似たシチュエーション。

 スマホを無くした夢と、

 スマホのデータが無くなった夢

人に寄っては、全てクラウドにバックアップを取ってる人も少なく無いと思うし、さらに言えば、過去一度でもスマホを紛失、破損、盗難に遭った人も居るだろう。

幸い僕は、今まで「使えなくなるほどヒドイ破損」をしたことはなく、何度か落としたり忘れたりしたことはあるものの、数時間単位で探し回った経験はない。つまり、

 事実上「無くなったことがない」。

なので、本当に困ったことは、たぶん無いのだけど、僕はクラウドに保存してないし、それなりに依存もしている。つか、

 「スマホへの依存度ランキング」と言うものがあるとしたら、僕は日本の中で上位何%くらいのところなんだろ

まぁ高齢の方も居るし、小学生などの若年層が午前0時過ぎまで使い続けられることも少ないだろうけど、たぶん真ん中よりは上くらいには依存してると思う。

 だからなんだって話だけど。

で、その程度の依存度でスマホを無くしたときの不安というのは、

 結構強いレベルだと思う。

特に今朝見た「データが無くなった夢」は、、、

例えば駅でベンチに座って電車を待っている時、ふと近くのキヨスク(たぶん今は違う名称)にお菓子を買いに席を立つ。バッグを置いて行ったのだけど、戻ると僕のスマホがポケットから抜け落ちたのか、誰かが拾ってくれたのか、そのバッグの上に置いてあった。

一瞬「壊れてないかな?」と不安になるも、電源を入れたら普通に起動。しかし、その刹那電気が走る。

 ホーム画面が違う!

てか、これは、、、「初期状態か!」

データは全て初期化されていて、ご丁寧に刺さっているSDカードの中までフォーマットされ、「何も無くなっていた」。

この時点ではまだ夢であることを認識しておらず、曖昧な状況でありつつも、脳みそがフル回転する。

無くなって困るデータは何か

復旧するには何が必要か

誰に連絡をするべきなのか

日常を取り戻すのにどれだけこの小さなガジェットに自分が依存していたのかを、綿密かつ高速に振り返る。

そして出た結論。

 これは夢だ。

ここが僕の強いところなのだけど、不安や過度なストレスをあまり経験せずに生きているので、実を言えば先日の尿路結石や抜歯でさえも、

 寝ている間にあれは夢だったんじゃないか

と軽く「自己防衛」してしまったりもするほどなのだ。

だからこそ、この「スマホデータ消失」も、頭を切り換えて「夢だ」と思い込み、

 ホッとすることが出来た。

ちなみにこの状況まで行けば、「目覚めて枕元にあるスマホを確認する」ことも出来るのだけど、それはぶっちゃけ必要がないのでしない。

さらに言えば、なぜ夢だと認識したのかのわけは、

 スマホがベンチの上のバッグに置かれている状況を、本当に見たのかオマエ(オレ)は。

と自問自答し、一瞬画面が暗転する感じ。「本当ではない」と答えが返ってくる感じ。そして、

 だったらこれは現実ではないのだから、不安になる必要はない。

「無くした方」の夢は、もっとシンプルに「本当に無くしたとしたらいつどこで?」と自問自答し、いつまで使っていたのか、最後に使っていた時何をしていたのか、

 「いつ」無いことに気付いたのか

と掘り下げて行った結果、

 枕元を探せばあるのでは?

と言う何とも言えない真実に「夢の中で」たどり着いた。そしてそれが夢であることに気付いた。

・・・

スマホをもし無くしたり壊したりした場合、自分はどうするのか。依存度が高い人ほどその影響や後遺症は大きいはずだが、一方でそれを深刻かつ冷静に考え、想定している人がそれほど多いとは思わない。と言うか、

 僕は一度もスマホを水没させたことはないし、さっき書いたとおり数時間単位で探し回ったこともない。

それだけ「慎重に」向き合っているということでもあるのだけど、でもいつ何が起こるかわからないのが今の世の中だ。

ちなみに、僕はスマホを持って外を歩くときなど、「もしドブの上で落としたら」や、「強い風に煽られて車道側に出てしまったら」などを「割と常に想定しながら」歩く。絶対ではないけど、普通の人の3倍くらいは油断しないように行動してると思う。鍵とかもそう。ドブの上を歩くときは「絶対に落とさないように」意識を集中し、ギュッと力を込めるのだ。

だからこそ、不慮の事態が発生したときのことも、予め考えておきたいとも思う。

まず、盗まれたとき、失くしたときと、壊したとき、水没したときで状況は全然違う。それはつまり、

盗まれた場合は、「悪用されるリスク」が高い一方で、データは破損してない可能性がある。そもそもあまり物理的にスマホを盗まれるケースは耳にしないので、想定としては比較的軽微だ。

失くした場合で、例えばベルを鳴らしても聞こえない状況の場合も、一旦はそれを悪用されないようにロックを掛ける手続きをドコモにする。もっとも夢の中のように「いつ失くしたか」を辿っていけば、そうそう可能性は高くないとは思うけど。ただ、強いて言えば、今は自宅に家電がないので、かみさんが不在の際、「鳴らして見つける」ことが出来ないというネックはある。その場合は、

 LINEで僕の電話番号を知っている友人に掛けて貰う

が正解だろう。

水没も可能性は無くはない。特に大雨の日に濡れまくったりしたら、実質水没と同様の状態に陥る可能性は高い。ただ、トイレに落とすことに関しては、普段から凄く気を付けているし、

 もし本当に落としたら、躊躇わず(たとえそれがウンコであっても)拾い上げる覚悟は持っておきたい。

大雨の場合も、事前にビニール袋に入れて行動するなどの対策を練っておけば、よほどのことがない限り水没は免れるだろう。ちなみに僕のスマホは一応生活防水なので、その面でもほぼ不安はない。

問題は「不慮の事態」で「壊してしまう」ことだ。不慮の事態とはつまり「想定外」であり「想像外」であること。事前に可能性を模索出来ない、僕の想像力の外側にある事案であるがゆえに、可能性を消すことも対策を練ることも出来ない。

 発生してしまってから「対応」するしかない。

まず最初は、SDカードが生きているかどうかの確認。壊れ方にも寄るだろうが、車に牽かれるとかでもない限り、落とした衝撃でSDカードまで壊れる可能性は低かろう。ちなみに僕のSDカードには、

・音楽
・動画
・デジラマデータ
・カメラデータ

などが主に保存されていて、逆に言えばスマホ本体には、

・スクショデータ
・ダウンロードデータ
・(たぶん)LINEのやりとり
・(たぶん)電話帳データ

が保存されている。この中で、電話帳のデータは、たぶんクラウドにも保存されていると思うので、
※あくまで思うだけ
むしろ覚悟が要るのは、

 LINEのやりとり。

ただ、これも普段PCでもLINEを使うことがなくはないので、
※頻度としては週1程度だけど
ある程度はバックアップが出来ていると言える。

つまり、ダウンロードデータとスクショデータが、「無くなる」可能性があるわけだ。

 ・・・普段から不定期であってもバックアップを取っておこうと思った。

むしろ問題は、SDカードの、特にデジラマデータ。音楽や動画は、基本PCから移したモノだったりするので、そこまで不安ではない。カメラも、子供が家を出て久しく、撮るとしても仕事上のものや、デジラマ用の背景として撮るだけ。特に後者は、割と短期間にPCに移動するので、そこまで無くなる物自体が多くない。

しかし、デジラマデータだけは、

・最終調整をスマホでする

・毎日更新している

・定期的なバックアップをしていない※忘れやすい

・インスタに上げてない物も少なく無い

・インスタデータよりスマホ内のデータの方が高画質

等々の理由により、

 失くなるととてもツライ。

とりま今すぐバックアップを取ろうと思うが、同時に、

 もし僕がスマホをSDカードごと壊してしまったら、一番ショックなのはデジラマデータ

ということがわかった。そしてそれは、

 日々のバックアップにより、キズを浅くすることが出来る。

バックアップが重要なのは言うまでもないことだけど、その中でも特に何が重要なのか。あらためてみんなも考えてみたらいいと思う。マジで。てか、

むしろちょっと(書いたことで)ホッとしたわ。

追記。

今バックアップしようとしたら、

 115枚が「未バックアップ」だった。

怖い怖い。

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2023年11月10日 (金)

尿路結石経過観察

あの地獄の痛みからおよそ一か月、市民病院に行ってきた。予約は、診察が9時から。その前のレントゲンは8時半から開始だったので、気持ち早めの8時頃家を出た。

病院直前の交差点で軽く渋滞し、ヒヤリとするも何とか8時25分にレントゲンの受付をすることが出来、かなりスムーズにさして待たされもせず診察もしてもらった。

前回と同じ先生。ホッとする。

ここで訊いておいた方がいいことは全部訊かなければ、と思いつつ、先生の言葉も忘れないようにしつつ。

軽く箇条書きすると、、

・レントゲンでは出てるか出てないかわからない
※じゃあなぜ撮ったんだって話だけど、CTよりは安いんだわな

・僕の結石は「11m×2m」で、「大きい方ではない」そう

・角度的には、「出口に対してまっすぐの配置だった」
※前回のCTの情報から
ので、出る可能性は低くなかった

・現時点では出てるか出てないかわからないので、あと1か月様子を見て、次回CTを撮りましょうということになった
※それまでに同様の激痛が走れば「確実にまだある」ということになる

・今回CTを撮ってもらう選択肢はないかと尋ねたら、「もしかしたらもう出ているかも知れない」とのこと。人によってはチンチン通るときに気づかない例もあるらしい。
※大きさ的にありえる大きさらしい

・今ある場所は、「腎臓と膀胱の間の尿路」らしい。臓器の名前はないのかと思った

・レーザーで割るのは、結構な痛みらしい。必要とあればやるけど、今の大きさではそこまでじゃないらしい。大きいのは「2cmよりもっと大きいのがある」らしい

・レーザーの痛みは、「骨を叩く」ような痛みらしい。相当痛いらしいけど、尿路結石の痛みよりは弱いらしい。てか、

 大きくない場合、どこにあるかわからないものを叩いて壊す感じになるので、何度も簡易的なレントゲンを撮りつつ進めるらしい

・盲腸の痛みは、「鈍痛」で、結石とは痛みの質が違うらしい。あと痛みの強さも、結石の方が痛いらしい。
→生徒諸君!!に出てきた盲腸のシーンの「痛そうな感じ」は、結石より弱かったんだな~と思った

・薬は前回のが残っているので追加で出してもらわなかった

・痛い場合、痛み止めを飲む以外に出来ることはないとのこと。つまり、痛み止めの座薬等があるうちは、病院に来てもあまり意味がないらしい。ただ、

 それが必ずしも結石が原因の痛みである保証はないので、もし「異質な激痛」と思ったら、急患に来てもらって構わないとのこと。

・痛みが来た場合、おなかをグリグリさすったり押したりして石を動かせないか訊いてみたら、「よほど強くやらないと動かないと思います」と言われ、「やってもいい」とも言われた。ダメ元でやってみるつもり

・次回は12月12日8時45分からCTを撮る

・食事制限はない

・価格は保険込みで1090円だった

・・・こんな感じだった。

現状だけで言ってしまえば、ぶっちゃけ「変化なし」。痛みがないなら、

 「尿の流れに干渉しないところ(例えば壁際にへばりついてるとか)」にある場合、そのままずっと痛むことなく出ることも無いことがあるらしい」

「まだ出てない」と思い続けるのはストレスではあるけど、
※水も飲みまくらなきゃならないし
それ以上に「痛いのは嫌」なので、このままならこのままの方がありがたい。

CTはお金かかるけど、とりまあと一か月、様子見は延長することとなった。

・・・

以下蛇足

今回立体駐車場に車を止めたのだけど、ふと気づくと柵の向こうが普通に見えた。

 これはデジラマ背景が撮れるかも!?

テンションが上がる音がする。「キラーン!」って感じ。

再三書いているけど、「視点が高い背景」は、かなり希少性が高く、プラモを高い視点から撮るケースが多いことを鑑みると、ニーズもかなり高い。
※あくまでデジラマクリエイター視点で、だけど。つまり世界中で2,3人しか居ない中のニーズだけど

特に市民病院の立駐は7階建て+屋上があり、例えばイオンや大きめのスーパーよりもかなり高いところまで「視点を運ぶことが出来る」。

おもむろに屋上まで移動し、
※天候は曇り。雨は降ってなかった

 スゲェ撮りまくった!
※つっても71枚だけど

何気ない町並みであっても、いざそれをネットで探そうとすると、存外フリー素材は少ないし、あっても画質が悪かったり、枚数そのものはごくごく少なかったりする。

ロボットアニメの素材としては、特に日本を舞台にするエヴァ以外はそこまで適正が高い景色とは言えないかも知れないが、
※パトレイバーは都会だし

 角度、光源、スケール、境目、ピントが合っていれば、たとえモビルスーツであっても結構しっくりと収まってしまうものなのだ。

病院、行って良かったわ。充実の休日スタートになった笑。

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2023年11月 6日 (月)

つれづれに

スゲェ細かいことを含め。つれづれに、テキトーに、なんとなく、、、。

●歩道と道路の間のブロック

幅20cm高さ15cm、長さは歩道に沿ってるので、長いものなら10m以上という、あのグレーの、「子供が思わず上を歩きたくなってしまう」アレである。

あれを「乗り越える」シチュエーションを考えて貰いたい。

横断歩道がないところで、道を横断しようとする際は割と「僕の住んでいるところでは」頻繁に訪れるシチュエーション。都会とかはあまり無いのかも知れないけど。

で、そこでふと気付いてしまった、僕は世界の摂理を肌に感じてしまったことがある。

人生というのは限りがある。たとえばA地点からB地点まで移動しようとする際、特に意図もなく回り道を選ぶ人は居まい。
※健康や体力作りや、ヘビ嫌いな人が以前最短ルートでヘビを見てしまってトラウマになってそこが通れなくなったなどは除く

つまり、基本人は「楽なルート」「楽な選択」をするものであるし、それが当然であるとも言える。

 ブロックはまたいで乗り越えた方が良い。

思わず「ブロックの上に一度足を乗せ、そして乗り越える」という選択をしてしまう人も多いのではないか。何気ない生活のワンシーン。そんなことを気に止める方が疲れると考える人も多いのではないか。

 だがそれは損なのである。

「ブロックをまたぐ」場合、「足を高く上げる必要がある」。ともすれば「ブロックに足を乗せる」よりも大きくまたぐ必要があるかも知れない。しかし、その際の体の位置は、決して大きく上昇しない。太ももを大きく上げて、ブロックを通過するはずだ。

一方ブロックに足を乗せる場合、「体の位置は相応に高くまで移動する」。つまり、

 そこで上半身分の重さの位置エネルギーを余分に消耗する!

僕の体重はたぶん68kgくらい。上では上半身と書いたが、実際に位置エネルギーとして消耗する重さは、たぶん50kg近いだろう。

 足の乗せずにまたげはその分は消耗しない!

またひとつ世界の摂理に気付いてしまった、、、。天才はツライな、、、フッ、、

●UNEXTでモニタリングが更新されなくなった

番組が終わったのかと思ったらそうでもない。ちょっともどかしい。

さらに10/31で番組自体が消えた。かなり寂しい。

やはり録画しておいた方がいいのかなぁ。

●ゴジラ見に行く予定

覚えてたら、だけど。11/3からの山崎貴版。てか、山崎監督は処女作から見てるけど、まさかゴジラを撮る監督になるとは思わなかったな。まぁ三丁目の夕陽でそれを臭わせるシーンはあったけど。

確認したら初日は20:10から7番スクリーンだった。
※イオンシネマ

これは見るしかないかな。

●現実主義勇者の王国再建記

一つのネタにするか迷ったけど、軽く触れるだけにする。

UNEXTのアニメで、全26話くらい。割と長め。

異世界転生物で、武力ではなく知力と知識で王国を再建する話。

プロットは一見新鮮に見えて、実際はそこまで希有な印象はない。まぁ頭が良くて力も強い主人公も過去には居たわけで。
※陰陽師のやつとか

作画はやや悪いくらいで、声優は問題無し。結構面白いと思ったのだけど、

 気付けば何度も寝オチしている。

つまり、途中で寝てしまうくらいはつまらないと言うか、「魅力が弱い」ということなのか。

序盤でいきなり王様になり、王女様と婚約。知的な戦略は、どこかミステリーっぽい手触りもあり、つまらなくはないと思うのだけど、寝てしまってることを考慮して、

 クリス評価は★★としておく。

途中で寝てしまっても、巻き戻して見返そうと思わないくらいの魅力なんだよな。やっぱ作画が良くないのは大きいかも。

●尿路結石その後

まだ出てない。てか、昨晩久々に下痢になったのだけど、

 スゲェ不安になる。

まぁ出したら収まったから「ただの下痢」だったってことだけど。

7日に経過観察で市民病院に。2日には抜歯の経過観察も。気温差が激しく、ちょっぴり風邪気味を感じたりする今日この頃。

 極力油断しないようにしたい。
※それでも食らうときは食らう。それは致し方ない

●ゲームをなんかやりたいのだけど、、、

仁王2は決して悪いゲームではないと思うのだけど、自分のスタイルが否定され、リビルドを視野に入れざるを得なくなっている現状、

 複数のセーブが出来ないもどかしさに息苦しさを禁じ得ない。

ステータスの振り直しは、僅かなコストで簡単に出来る。しかし、それをやってもし合わない場合、元に戻すには「かなり大量のメモを必要とする」。ステ振りだけでなく、それに伴ってスキルポイントも変動するだろうし、何を覚えて何を覚えてなかったかを全てチェックしなければ、元に戻すことは叶わない。

また、ずっと同じスタイルで「1」から遊んでいるので、今からその使い勝手を再構築するのも大変。あと、

 ホントに「重くて堅いスタイル」が正解なのか

とも思う。今は雑魚の攻撃ですら簡単に絶命するくらい柔らかいのだけど、例えば「3回の攻撃で死ぬ」のが「6回の攻撃で死ぬ」ようになったところで、飛び道具メインのスタイルを全て棒に振るほどのメリットとは、正直思えない。移動も遅くなるし、気力も消耗しやすくなるし。

以前「2」の良さを「妖怪技があるから」としたコメントがあった。が、僕はほぼほぼ妖怪技を使っていない。武器こそ前作からシフトしたけど、それでも「それで倒してるわけじゃない」。たまに使う、と言う程度の頻度。その上で、前作の「飛び道具戦法」を、詐欺のような回避とガードで使えなくされた。

 完全に「戦術を変えて進めなければならなくなった」、、、のに、変えずに進めようとしている。

いびつでストレスフルな展開。ただ、「もしもう止めるなら」、ガッツリ防御盛り近接攻撃にシフトしてもいい。

 なかなかその決断が出来ないのだが。

●時間が経つのが早いということは、、、

・ゲームの進行が早い

久々メトロイドをやったら、一晩で一つ目のボスを倒した。サクサク進む。古いドラクエとかなら、サクッとクリア出来そう。それもまたよしなのか。

・薬がすぐ終わる

5日分出してもらったけど、もう飲み終えた。以前なら「最後の2日分は飲まなくてもいいかな」と思ったような量でも、今は「もう無い」。

・髪が伸びるのが早い

床屋は面倒。でも行かなければ、、。

・抜歯の治りが早い

止血までは時間が掛かったけど、それは「1時間で止まる」と言われたのが「24時間掛かった」からであり、気付けばほぼほぼ傷跡は埋まっている。そして、一週間後が明日くる。

・給料日(お小遣い日)がすぐ来る

僕は月3万円のお小遣いなのだけど、大きな買い物をしなければ、基本はお菓子とピッコマの課金くらいしかお金を使わない。最近は特にジュースの摂取量が激減しているので、
※水を大量に飲むようになったため
その面での出費も減った。

まぁ「老後」や「いざという時(事故入院とか仕事ができないような大病とか)」を考えてないから、余計気楽に時が流れてるのかも知れないけど。

逆に言えば、「何かを待ち焦がれる」「楽しみにする」モノが無くなったから、余計早く感じるとも思う。新作ドラクエの発売日とか、マンガの新刊とか。

 「楽しみにするもの」が無くなっても、「楽しい事」が無くなったわけじゃない。

「待たなくてものべつまくなし供給される」。エロ動画を必死にネットで探さなくても、UNEXTで見ることが出来る。プラモを探してショップを巡らなくても、ネットで写真を拾って加工できる。本屋に行かなくてもタダで読めるマンガはしこたまあるし、映画を観るのにビデオテープを入れ替える必要もない。

 「楽になっている」。

が、「楽しさが増している」のとも違う。「楽しくないわけじゃない」だけで、「強く、鮮烈な楽しさは減っている」。

ドキドキやワクワクが欲しいのだよな。何だかんだ言って。

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2023年10月30日 (月)

今度は歯!

4日ほど前に歯茎が痛くなり、でも今回が初めてじゃなかったので、一旦様子見。しかしその痛みは一向に改善の傾向はなく、加速するばかり。

休日にいきつけの歯医者に予約を取り、おそるおそる行ってきた。普段はまず院長先生ではないのだけど、今回は院長先生が見てくれることになり、

 ちょっとだけテンションが上がる。

僕の行きつけのおがわ歯科の院長はまだ40歳ちょっとくらいで若く、見た目は葉加瀬太郎や秋元康を少しかっこよくした感じ。僕はこの見た目も好きなのだけど、それ以上に好きなのが、

 決断の早さ。

以前別の歯を抜くときも、「抜いた方が楽になる」「抜いた方が(歯茎の)治りが早い」と、抜歯に対してかなり前向きな決断をする。ちなみに、「抜歯に前向き」なのには二種類ある。ひとつは、

 それくらいしか選択肢がない高齢の歯医者

そしてもう一つが、

 いくつもの選択肢から最善を選んでなお抜歯になってしまうと告げる歯医者

歯は極力抜かない方が良い。だがしかし、それによって痛みがずっと治まらないとか、別の感染症を引き起こすリスクが高まるのであれば話は別だ。歯医者としての矜持もあるだろうが、痛くて眠れないような状態から解放して欲しくて来ているわけで、

 そこで先生の側が戸惑われても困る。

「抜きましょう!」とバッサリ。

今回は歯周病がひどく、まずレントゲン。からの、

 「かなり悪いです」

それ、凄く聞きたくない言葉。でも言う。「言う必要がある言葉」だから。

炎症は鼻の方まで伸びていて、蓄膿症を併発しているという。ひとつひとつ順番に歯を叩いていくと、ある歯で激痛が走る。

 つまり、虫歯ではなく、歯周病=歯茎の病気。それもかなり進んでる状態。

僕が「前回来た時も怪しいと伝えたのですが、、」と言うと、

 一気に進んだ

のだとか。勘弁してくれと思いつつも、後悔しても始まらない。抜くことにした、、、のだけど、

 その後打った麻酔の痛さ、ヤバヤバのヤバ!

軽く書いているけど、僕は基本的に注射が平気な方だと思う。気持ち的に痛そうな顔をしたり、指で太ももをギュッとつねったりすることはあるけど、それは「刺さる瞬間の痛みを分散しようとする」から。

 ぶっちゃけ本当にガマン出来ないほどの注射の痛みなど、ほとんど無いのだ。

が!!!

 今回のは過去最悪最強最大の痛みだった!

普段歯医者に行く場合、治療するのは主に「虫歯」だ。虫歯とはつまり「歯が悪い」。なので、その神経が通ってる歯茎に麻酔を打つことそのものは、実はそこまで強烈な痛みではない。がしかし、

 今回はその歯茎が悪い。つまり、

「虫歯の時にさほど悪くない歯茎に麻酔を打つ痛み」と、

「歯茎が悪い(痛い)時に、そこに麻酔を打つ痛み」。

 どっちが痛いか、考えるまでもないだろう。

たとえて言うなら、通常の麻酔の痛みを「1」とするなら、今回のは、

 「23」くらい痛かった。

痛みで気を失うかと思った。ちなみにコロナのワクチン接種の注射は、この同じ尺度だと「0.05」くらい。全く痛くないと言ってイイ。こないだ尿路結石の時に刺した注射(点滴の時と股間のヤツ)は、通常の麻酔と同じ「1」くらい。

計3回のうち、一番痛かったのが2発目。1、2と続けて打って、「あと1回痛いから」とバッサリ言う先生。たぶんS。

 まぁ2回目の「23」を思えば、「3」くらいだったけど。

ともかく、その後「ギュリギュリ」音を立てて僕の奥歯は抜かれた。で、ガーゼを噛まされ、「1時間程度で止まると思いますが、個人差が、、」と言われたので、2時間ほど噛み続け、その後ティッシュに切り替えた。

 が、一向にトイレで捨てる唾液が無色透明ピュアなカラーにならない。

うーむ。と思いながらもしょうがない。ちな今日翌日で経過観察に行ってきたら、

 血は飲んで下さい。唾液を「ぺっ」ってやると患部が引っ張られて良くないので

と先生が。それ、昨日聞きたかったわ。

ともかく、最初に歯医者に行ったのが2023/10/24午後0時。2時間ガーゼのあと、ティッシュに換えてずっと噛み続け、途中一回ティッシュも交換。明け方、

 夢の中で「お餅」を食べるシーンがあり、それをいくら噛んでもかみ切れないシーンが。

ふと我に返ったら、

 必死にティッシュを噛んでた。ちなみに反対側の歯で。

それ以降ティッシュは噛まず、
※出血も穏やかになってきてたので

 ずっと不味い唾液を飲み続けつつ、仕事行ったり歯医者行ったりした次第。

とりま一週間後にまた経過観察。痛みは前ほど酷くはないけど、特にその歯の辺りは使ってないし、昨晩は雑炊にしてもらって「飲むように食べた」。
※朝は菓子パン食べたけど

頭の中で「白血球ガンバレ」と祈ったりもしたが、血を固めるのは白血球じゃなく、血小板だったかも、と今になって思った。

・・・

散々な状態だけど、僕はポジティブなので、プラスに目を向ける。

・今はどこも痛くない

・薬は十分に出してもらっている

・とりま熱もない

・生きている

ま、そう言うこともあるって感じだな!

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