書籍・雑誌

2016年7月18日 (月)

Dマガジン

2周年記念だかの企画で、8月末まで「創刊号」を読めるというのをやっていて、ファミ通はもう何度か目にしてるからという理由で、

 週刊アスキーの創刊号、つまり「EYE・COM」の創刊号を読んでみた。

特集記事が、、、ちなみに創刊は1989年。僕が19歳の頃の特集記事が、、、

 「すべてがわかるワープロ大特集」

正直言って「保存出来るなら保存したい」ほどの内容で、もし見られる環境にある人は、ぜひ、何なら一ヶ月間無料を使ってでも読む価値があると僕は思いましたね。

 古くて新しいデジタルってのは、ホント面白い!

コンテンツからピックアップして転載すると、、、

・とても魅力的なパソコンワールドを、一度のぞいてみませんか?
・キラリと光るCDは、将来有望なコンピュータの記憶メディアだ
・CD-ROMが付いた32ビットパソコン、富士通FMタウンズ
・最新の実用ソフトやゲームソフトを紹介「アシストカルク」「井崎修五郎の競馬必勝学」
・気になるハード、ソフトを冷静な目と独断で徹底追求「リアルなゴルフゲーム遙かなるオーガスタ」「小型軽量ブックサイズのダイナブック」
・パソコン通信は面白くて、楽しくて、役に立つ!

どうです?面白そうでしょ?

宮沢りえがタウンズの上に笑顔を見せてるとことか、「ついに来た!!あのルーカスが作ったHABITATがこの冬日本上陸だ!!!」とか、

 スゲェイイ感じ。

ハビタットは確かに先進的だったんだよね。入ってみればLINEとかアメーバピグみたいなもんだもの。どちらもよく知らないけど。

ファミコンホームバンキングとか、アメリカではファミコンがネットワークに繋がる!?みたいなものも時代を感じさせるし、ゲーム紹介で「ねじ式」とか言われて今何人の人がわかるんだろう、みたいな「38万光年の虚空」とか、当時ですらスルーしてたわ。

新製品情報のホットアイでは、

・機能充実の新しい電子手帳
・えっ!!ビデオから写真ができるってホント?
・どこでも参上します、らくらく出前ビデオ
・モデム内蔵。これはパソコン通信に便利だ!

「一歩先行く人の一歩先行く32ビットマシン」のコメントには、「近ごろ、20万円を切る16ビット機も発売されたりして、16ビット時代に突入したんだなぁと思っていたら、、、」

とか。さっき書いたダイナブック、「小さい。薄い。軽い。・・・欲しかった!」の表題で紹介されたJ-3100SS。こんなに小さく、薄くていいんだろうか。って書いてあるダイナブック、

 RAMが初めから1.5メガバイトも入っている。これは相当強力。

 かな漢字変換もスムーズにできる

 サイズは、幅310×奥行き254×高さ44ミリ

 重さはなんと!わずか!2.7kg!!

価格は198000円税別ポッキリ!

いやはや、、、長生きはするもんですね。

ちなみにビジネスソフトのランキング一位は「VZエディタ」。ロータス123やまいと~く、花子、忍者、サクセスとかが目に染みます。

ゲームソフトランキングは、一位ファミスタ89。他はマザーやテトリス、スーマリ3、ケルナグールとかが入っていて、「ファミコンかテトリスか」という感じ。

まぁつっても僕と同世代の人にしかフックしないネタではあるかな。

・・・

それともう一つDマガジンから、今週と先週のファミ通、角満のコラムでプレステVR、、、というかVRかな、のネタがあり、なかなか良かった。

お台場にある「VR ZONE」のレポートだったのだけど、「高層ビルの谷間に設置された細い一本橋を渡ってネコを救出するコンテンツ」のリアクションが、

 高所恐怖症ではなく、頭で理解していても、脳が騙される

鼻歌交じりで体験しても、次の瞬間ガクブルになっている。同行した女性編集者が、角満をゲラゲラ笑いながら見ていたにも関わらず、自身がやる段になって、、、

 恐怖のあまり一本橋に腹這いになって匍匐前進するという荒技を繰り出し、「すばらしいリアクションで、開発者冥利に尽きます!」と所長に絶賛された。

 ・・・うーんやってみてぇ!!!

アニメチックな女性ポリゴン人形が操作説明をしてくれるシューティングゲームでも、隣に座ってる彼女が気になってついついチラ見してしまうとか、

 無意識のうちに手を伸ばしてしまうとか。

「サマーレッスン」は正直スルーかなって思ってたけど、同じ開発プロデューサーと聞くと、ちょっと「いいのかも」って思ってしまう。

翌日「なんか脚が筋肉痛なんだけど・・・」ってのもスゴイ、、っていうかちょっと怖い。でもやってみたい!

一瞬で飽きるかも知れない。長時間遊べないかも知れない。でも、たとえば知り合いがいたとして、たまたま自宅に来ることがあったとしたら、

 これをやらせない手はないよな、って思った。

単位時間辺りのコストパフォーマンスや生産性を重視する僕だけど、同時に密度の高さも軽視したりはしない。たとえ所用時間が5分であっても、タイソンがノックアウトされた試合を50万円で見たリングサイドの席は、十分な満足があったと思うしね。
※僕が見たわけじゃないよ?

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2006年9月19日 (火)

リプレイ

以前あれほど小説のことを書くのはどうかという話をしたのにまたそんなことを、、、と思われるかも知れないがまぁ今回の話は至ってライトな、原作なんざ知らなくても全く問題ない話。
※僕の記憶だけで書いてるから結構適当。間違いがあるとは思うけどまぁ致命的じゃなかったらスルーしてくり。

要するにある男がいてその男がある年齢のある月ある日ある時刻に唐突に過去に戻ってしまう。肉体は赤ちゃんに、でも記憶と精神はその時のままで・・・。
男はとんでもないことになったと思いつつあらん限りの記憶を頼りにギャンブルで大もうけしたり、愛と官能の日々を過ごしたりする。とにかく全ては一度見ていることなのだ。

しかし、大金持ちになって何もかも満たされる毎日は唐突に終わりを告げる。そう前回自分が自分でなくなった時刻に再び過去へと戻ってしまう。しかし今度は前回と違って赤ちゃんじゃない、小学生の頃だ。

次の人生では男はがむしゃらに勉強してこの不可思議な現象を解明しようとする。既に丸々3人分の知識がある男は飛び級で大学に入ったりもする。八方手を尽くし医者にも厳戒態勢で健康を管理させるが、結局「その時」が来たら男は再び過去へと巻き戻されてしまう。

ある時今までの世界とほんの少しだけ違う箇所を見つける(例えばスターウォーズの監督が別の人とかそういうの)。男はひどく狼狽すると共に、その原因に出会ってみたくなった。するとそこには同じ境遇の人間がいた。

とまぁこんなストーリーなわけですが、あれほど小説嫌いだった僕が最後まで一気に読んだ数少ない作品であると同時に、今でも時々頭をかすめる「夢物語」であったりもします。

僕は小学生の時の将来の夢に「超能力者になりたい。無理だけど」と書くほど夢見がちかつ現実的な子供でした(まぁ小五でヒゲも生えてきたしメガネも掛けてたし、小六で「俺たちももう若くないんだし・・・」なんて友達に愚痴をこぼすような子供でしたけど)。とにかくもし超能力があったらあんなことをしたいこんなことをしたいというのがいっぱいあったのです。まぁその裏にはドラえもんの影響は無視できませんけど。

で、その流れはそのままリプレイにも繋がります。

 「もし今自分が昔に戻ったとしたら・・・」

まず当然のように金策に走るでしょうがいつどのように、と考えると意外とすんなりとは行きません。まぁここで競馬なり競艇なりといった賭け事に勤しんでらっしゃるような方なら、「○○年のダービーだけは親の顔を忘れても忘れられない!」ということもあるのでしょうが、自分には生憎そんな記憶はない。じゃああそこで無駄遣いしたのを抑えようとか、なんだかとっても地味な自分に気付いたりもします。

そして次に浮かぶのは破れた恋の話でしょう。何とか自分自身を鍛え、何とか今よりいい男としての人生を歩みたい。曖昧な気持ちの期間をすっ飛ばして最初から真摯かつ情熱的にアタックし続ければやがて白でも黒になるのでは、とも思ったり。あの日あの時の自分に生き方を変えるチャンスを与えたい。

タイムパラドックスというのはリプレイに限らずたくさんの作品として世に送り出されています。一番有名な映画は「バックトゥザフューチャー」でしょうけど、他にも「ペイチェック」や「バタフライエフェクト」「タイムライン」など、因果応報の妙味か面白い作品が多いような気もします。古くはウェルズの「タイムマシン」もありましたね。

今の自分に100%の満足があるという人はたぶんこの世にいないでしょう。アラブの石油王だってもしかしたら「ぢ」の痛みに悩まされてるかもしれないし、叶姉妹だって絶対永遠に続かない自分たちの美貌に畏れがないはずはないと思います。だからいくら過去に戻れるからと言ってその人生が幸せになるとは限らない。大金持ちになったら幸せってことはないと思うんですよ。小室哲哉とかいるし。

重要なのはこれからの人生における自らの選択。もし今の自分が「覚えてはいないけど未来から巻き戻された自分」だったとしたらどうでしょうか。今後の自分の決断した他愛ない答えが、未来の自分を大きく歪ませる事もあるかも知れない。

リプレイの主人公はどんどん巻戻る年齢が近くなっていき、最終的には数日、数時間、数分、数秒・・・。大きな衝撃とともに時計は新たな時を刻み始めました。その時の高揚感たるや・・・。僕らももっと毎日をワクワクして生きていきたいですよね!

※上で挙げた映画の話を少々・・・。

「ペイチェック」はジョン・ウー監督のお気楽アクション映画。パールハーバーのベン・アフレックとキルビルのユマ・サーマン主演。未来を見ることが出来る機械開発した主人公はその開発を依頼した依頼主との当初の契約通り、情報漏洩を防ぐために記憶を消されるのですが、いざ戻ってみるとどうもおかしい。振り込まれているはずの金の代わりになんだか意味のわからないガラクタのような物が数点自分宛に送られていただけ。そしてなぜだか命まで狙われるように・・・。

しかしその限られた手がかりを手に追っ手から逃れていると、どうもそのガラクタがただのガラクタではなく、まるで誰かが「そうなること」を知っていたかのように追っ手から逃れる手助けとなるものばかりだった・・・。

主人公は見た目性格ともに軽くて見ている者が不必要に不安になるのにいいブレーキとなるし、ユマ・サーマンもなかなか才色兼備な役所がハマっていい意味でジョン・ウーらしい映画になってるっていうか自分は彼の作品をそれほど見てないんだどさ(^^;。ツッコミ所がないわけじゃないけど、とにかく気軽にタイムパラドックスを楽しみたいという人、特にカップルで見ても楽しめるんじゃないかという佳作です。つか以前もブログで紹介したことあるかもしれないけどさ。

「バタフライエフェクト」は、ある場所でチョウチョが羽根をひらつかせた影響で地球の反対側で台風を巻き起こすという因果関係というのはどこでどう繋がってるのかわかったもんじゃねぇよ、というテーマのタイムパラドックス映画。つかこちらはペイチェックと比べるとかなりシリアスというかちょっと怖いくらいの雰囲気があるので、あんましお気楽映画を求める人にはオススメできないけど、ある意味リプレイにも通じる繰り返しのシーケンスはプロットとして非常に面白くそして「巧く」仕上げてある。

話がハッピーエンドじゃないので個人的に好きかと言われれば正直微妙だけど、逆に「ハッピーエンドじゃなくても面白い映画が見たい」という人には、諸手をあげてオススメ出来ると思う。逆にリプレイを読んだことがある人だとちょっぴり二番煎じ的な臭いをかぎつけちゃうかも知れないけどね。

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2006年9月 6日 (水)

小説のこと

常連のBlue Tasuさんの熱烈なるオススメにより、手に取った「サーラの冒険」っていうかこれは別に誰かに僕がお勧めするわけじゃない。っていうか僕がいくらその内容が面白かったからと言って、それを今自ら探して読むのは正直たやすいことではないと思うからだ。事実僕自身最新刊である6巻こそ店頭で見つけて購入したが、5巻以前は未だ見たことがない。だから今日ここで話す内容は、主に具体的なそのストーリー等の魅力ではなく、人にオススメすることの内側みたいな話だ。

小説はマンガと違って「絵」による魅力が薄い。中には魅力的なカットがそのイメージを大きく膨らませるケースもあるが、そのほとんどはあくまでもストーリー。話の善し悪しだけが読者に価値を見いださせる。だからその「話」にそりが合わなければ、例えば「絵はいいけど話は、、」とか「声優はいいけど、」「BGMはいいけど、、」という逃げが出来ない分、よりその嗜好はシビアに出てきてしまう。

それはどんな小説でも同じことだと思う。サスペンス、ラブロマンス、ジュブナイル、ファンタジー・・・どんな小説でも読み手に下地がなければマンガや映画以上に受け入れるのが難しくなってしまうものだと思う。それはいくら当人が著しい感銘を受けたから変わるという物ではない。

少し具体的な話に入ると、この「サーラの冒険」はソードワールドというテーブルトークRPGのサイドストーリー的な内容だ。ソードワールドはぶっちゃけてしまえば「和製剣と魔法の世界」。ドラクエやFFというライトでミーハーなファンタジーというより、むしろ遙か昔のパソコン版のファンタジーやロードオブザリングのようなちょっぴりハードな臭いがするものだ。

この「ハードな臭い」を誤解なく説明するとするなら、シビアとかシリアスとかではなく、むしろ「本格的な」とか「好きな人のための」というニュアンスを汲み取ってもらいたい。要するに「そちらを向いている」かどうかが非常にウェイトを占めるものなのだ。その点ある意味ミリオンセラーになるようなハリーポッターなどとは一線を画するかもしれない。

例えばそれはちょっとしたディティールにも見て取れる。ファンタジーは世界観が重要だからその風景描写、風や土のにおい、鳥や獣の声という「雰囲気」に非常に行が割かれる。正直僕からすれば、そんなことより当人たちの心理描写や、言動、挙動の方がずっとキャラクターに入り込みやすいのではないかと思うのだが、そこはそれ「ファンタジーはそういうもの」から立脚している以上いたしかたない。

先日集中的に読んでいたつよきすノベルは、そういった意味で言えば全く逆だ。情景どころかヘタしたら誰が言っているかわからないようなセリフの羅列があったりする。それはともすれば読者を易々と置いてけぼりにするが、一方でテンポと加速感を生み出す。ファンタジーが情景描写で読み手の脳裏に世界を構築するのとは非常に対照的だ。

だからそういったイメージを楽しめる人になら、このサーラに限らずファンタジーのRPGはかなり受け入れやすいものとなると思う。もちろんこれは僕の推論でしかないが、例えば旅行に行く前にいろんな風景や食べ物、娯楽施設等にイメージをつよく馳せることが出来る人の方が、小説は楽しみやすい、と思うわけだ。

で、

話をより具体的にしていくと、僕は結局この本を1冊なんとか読み終えることが出来た。「なんとか」というのは、その世界に対して自分の中で構築するまで、本で言えばわずか四分の一程度の分量だとは思うが、自分の中にない架空の町や洞窟、登場人物のキャラを立てるのにそれだけ時間がかかってしまったのだ。
※だから既存のゲームやアニメなどで既にその世界が構築されているようなノベライズの場合は、かなりこれが変わってくると思う。要するに楽だと思う。

しかしそれがしっかり出来てしまえば話は別だ。このノベルを評価する人の多くがきっとそうであるように、彼らの冒険、彼らのセリフ、彼らの楽しさや苦しさ、いろんなことを共有したいと思うだろう。いや、思い続けるに違いない。それだけキャラを受け入れるということは深く濃いことなのだ。
ここで話を少し大きくする。

娯楽に限らず経験に依存する事象というのは(以前も書いたかも知れないが)すべからくスタートが存在する。親や兄弟が大好きで子供の頃から頻繁に触れていたり、学校で流行っていたり、好きな人の趣味だったり、友人の薦めだったり・・・。先天的に感銘を受けてその道に入る人が絶対いないとは言い切れないが、その人であってもきっかけは必ず存在するはずだ。

僕のブログは主にゲーム、マンガ、映画、アニメ、プラモというような比較的若年層を主体に訴求する娯楽が中心だが、それはとどのつまり僕の中の「子供っぽい部分」のウェイトに起因する。何が楽しくて何がつまらないのかがよりわかりやすくストレートなものに僕は心を惹かれやすい。映画でもハリウッド系のもの、マンガでもミリオンセラーになるようなもの、音楽はミーハーなJ-POP中心とそこにあるハードルはどれも低い物ばかりだ。単純に僕がそういうものが好きということもあるが、同時にそれは「伝えやすい」ということでもある。

きっかけはとても重要で、より強いアピールによってより高いハードルを超えることはあるだろうと思う。信頼や義理で超えるケースも否めない。だが、重要なのはそれを超えた先にある「楽しさ」だ。高額な周辺機器とアクセスの為の知識、毎月の金銭的負担を超えてなおFFを始める、続けるのは、その先にある楽しさがとても輝いていたからだ。いつもの友人の嗜好とは距離があるとわかっていてもせつせつと「つよきす」の楽しさを伝え続けたのは、僕にとってそれが偽らざる面白さを抱いていたからだ。

そして、

たった一編のノベルを「送りつけてでも読ませたい!」と思うのは、その輝きに絶対の自信があったからに他なるまい。

ここで僕がサーラに関してどう感じたのかを詳細に語ることはしない。が、強い熱情に抱かれた作品が、取るに足らないものであるはずはないのだ。それはきっかけとして必要十分であるし、事実僕の中で結実した。

コミュニケーションとは、そんな「ちょっとずつ自分を広げていく楽しさ」が根底にあるのかも知れないね。

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