VOL.10 ファンシーフリーファイル宣言 (本末転倒からの脱却という大義名分、あるいは言い訳として) text:永田泰大  このサイトの管理者であるオリタ君と僕に共通していることのひとつが、サービス精神である。  それがいいことなのか悪いことなのかわからないけれど、何が求められているのか、何をすべきか、どういうふうにやるべきか、ということを出発点にしてしまう性質を僕らは持っているように思う。  考えてみるとそれは当たり前のことだ。なにしろ僕らは未熟者なのである。  無条件に誰かを惹きつける力を僕らは持っていないのだから、関わってくれる誰かに向かって、僕らは当たり前の礼儀としてもてなそうとする。  このコラムを頼まれたときに、僕はオリタ君から「なんでもいいから書いてみない?」と言われたわけだけれど、その瞬間にぼくは(じつにくだらなくてバカバカしい種類のものではあるけれどさ)サービスを始めていたのだと思う。  そんなわけで何回かバカバカしいテキストを書いてきたわけだけれど、このコンテンツを何回かのぞいていただいているかたは心底ご存じのように、更新される速度が世にも遅い。非常識なほど遅い。見るに見かねて注意されるほど遅い。象亀のあくびよりも遅い。カール・ルイスより遅い(普通)。むしろ牛歩戦術である。税金対策である。  つまり、旺盛なるサービス精神からなる小細工が、根本的なサービスの欠落となってしまっているのである。朝顔につるべ取られてもらい水とはこのことである。  それで、僕もいろいろと考えたんだけど、もう一度最初のサービス精神に戻らないといけないんだと思う。だって、どうかと思うもの。  真面目な話、けっきょく僕はいまのところなんらかの文字を綴っていくことを仕事の一部にしているので、期限のあるものから手をつけていってしまう。このコンテンツには(自分なりのモラルはあるつもりなんだけれども)やはり明確な期限はないので、海亀のごとき非常識な事態になってしまう。  ここを何人の人が見てくれているのか、よく知らないし、それはこの際問題じゃない。とにかく誰かが読んでいるのだから、もうちょっと常識的な更新をしようじゃないかという、ごくごく当たり前の話だ。つまり、その、すいませんでした。  要するにこれからは、もっと適当に、どんどん書いていこうと思うのです。ネタを決めて、デジカメを借りて、撮影して、プリントアウトしたものをみながら原稿を書くという従来の流れでは、地球上に存在するあらゆる亀に負けてしまうことになりかねません。  だから、次回から、フォーマットや、ネタのクオリティーや、過度のサービスにとらわれることなく、なんかしら自由に適当に書くことにする。まるで意味のないことや、ちっともおかしくないようなことや、妙に力んだようなものも気にせずに書くことにする。  それで変な話だけど、あんまりここを読む人が増えなきゃいいなあという気すらしている。オリタ君には悪いんだけれども。  さて、僕はオリタ君に「コラムのタイトルをつけてくれ」と言われたとき、なんでも書けるようにとタイトルにまず“フリー”とつけた。ドナルド・バードの大好きなアルバムを思い出して“ファンシー・フリー”と広げた。Fがふたつ続いたのでついでに“ファンシー・フリー・ファイル”にした。  タイトルに恥じないよう、もっと自由に、適当に、そして何よりも常識的な速度で書いていきたいと思います。  よろしくお願いいたします。  ええと、がんばるぞ。 このコラムの筆者、永田氏に励ましのお便りを出そう! メールはFFF@mochiya.nuまで! VOL.11 しりとり text:永田泰大  適当なことを書くことの象徴として、たとえば“しりとり”について書こう。  話は中学時代にまでさかのぼるが、暇を潰すことに全精力を傾けていた。寸暇を惜しんで暇を潰していた。すきあらば熱心に暇を潰していた。  だいたいそのときのバスケ部の仲間は6人いた。標準的な中学生が、どのようにして暇を潰していたかはよく知らないけれど、僕らときたら何もせずにボーッと過ごすということをしなかったように思う。  たとえば、トランプはありとあらゆるルールを試した。ポーカー、大富豪、神経衰弱、どぼん、スピード、51、ツーテンジャック、セブンブリッジ、などなど。6人が過去に蓄積した知識を集めると、代表的なトランプゲームはほとんど出尽くしてしまう。  すると誰かが古本屋からトランプの本なんていうものを買ってきたりして、ひどくマイナーなゲームなども試してみるようになる。スーパーマーケットなんていうゲーム、日本でどのくらいの人が知っているんだろう(あ、でもこの名前は僕らが勝手につけたスラングだったような気がしてきた)。  さて、いくつかのゲームを飽きもせずにやっていると、僕らは(とくに僕は)それにアドリブを加えてしまう。つまり、より僕らが飽きない方向へとルールをアレンジし始めてしまうのだ。とはいっても、世に残るトランプゲームのルールは熟成された名作ばかりだから、それ自体を曲げるわけではない(だいたい、やり始めたゲームのルールを変化させていくことはそれまで遊びをちゃらにしてしまう可能性があるし、瞬間瞬間の真剣味を薄れさせてしまう)。  だからたとえば全員にマッチ棒を20本ずつ分けて、勝負のたびにそれを行き来させる。それが硬貨や紙幣に変わることは、残念ながら中学生なので、ないわけだけれど、これだけでゲーム性は飛躍的に向上する。  さらに、マッチ棒がなくなったものに罰ゲームを加える。あんまりくだらなくて書くのもバカバカしいんだけど、たとえば部室で遊んでるときは、バスケットボールが詰まった籠の中にそいつを埋めて全員で上からバスケットボールを投げ込むとかさ。  そんなことを、夏休みの練習が終わってくたくたになったあとに熱心にやっていたわけだ。だって、練習が終わってから夕食までは暇だったからね。  いつまでたってもしりとりの話にならないけれど、気にせずに進めよう。  コントラクトブリッジの話を忘れていた。  アガサ・クリスティーの小説に『ひらいたトランプ』というのがある。これは、イギリスでとっても有名で、日本でとっても無名なコントラクトブリッジというゲームをトリックに使った推理小説で、お話のデキ自体は、そうたいしたことはないように記憶している。  ただ、そこに登場したコントラクトブリッジというゲームは、僕らが一度も試したことのないものだった。  ならば、ということで張り切って始めてみたんだけれど、いま振り返ってみると、あのゲームは14歳かそこらの中学生が簡単に遊べるようなものではない。しかし僕らは熱心だったから、『ひらいたトランプ』の巻末についていた(あまり親切とはいえない)ルール解説だけを元になんとか遊べるようになってしまった。  脱線ついでだけど、オールプラスティックのトランプセットに、ジョーカーとも違う、なんだかわけのわからない表のついているカードがあるでしょう? あれって、コントラクトブリッジの得点表なんです。いまもあのカードはついてるのかしら。  さて、そんなふうにして、僕と僕の友だちは僕ら固有の知識を蓄えていった。それは、トランプゲームのバリエーションが増えたというだけのことではなくて、トランプセットについてくる謎のカードがコントラクトブリッジの得点表であるだとかいうことも含まれている。いろんなスポーツでよく使われるグランドスラムという言葉が、元はコントラクトブリッジの役満を指すということをいま僕が知っているのも、そういうことだ。  もはや冗長気味という言葉で済まされないほど脱線しているけれど、気にせずに続けよう。なぜならこのテキストはフリーだから。  そのころ僕が得て、いまも役だっている事柄のひとつとして、“ババぬき必勝法”がある。まあ、必勝とはいかないんだけれど、運がすべてと思われているようなババぬきにだって、立派に勝ち方が存在するのだ。  もったいぶらずに書くと、隣の人がその隣の人から抜いたカードを抜き続ければいい。そのカードは、隣の人も、その隣の人も持っていない数のカードなのである。つまり、自分が持っている数のカードである可能性が、ほんの少しだけ高い。  だから、ババぬきに人生を賭けるような局面に陥ったら、隣の人が抜いたカードから目を離してはいけない。そして、これに対抗するために、自分がカードを抜いて合わなかったら、手札をその都度シャッフルしたほうがいい。毎回これで勝てるわけはないけれど、もしもババぬきを1000回やったら、勝率は明らかに違ってくると思う。  それで、僕がこのババぬき必勝法から得たものは、ババぬきに勝つということだけではない。ややこしい話だけれど。  ものごとには、楽しむ方法があるということだ。  自分しだいで、ババぬきに勝つ方法が見つかり、どんな状況にあっても(たとえそれが自分にしかわからない、ほんのわずかなものだとしても)少しだけそれを楽しむことが可能であるということだ。  さてさて、話はようやく少しだけ本線に戻ってくる。  トランプやテーブルや座れるような場所がないときに、僕らが興じていたのは言葉遊びだった。  もはやその例を挙げることをあまりしないつもりだけれど、たとえば何人かが横一列に並ぶ。そして、先頭の者は、無作為な言葉を隣の人だけに教える。ええと、たとえば「もめんどうふ」とか、そういうやつさ。すると、2番目の人は、それと似たような響きを持つ言葉を隣の人にだけ教える。「もめんどうふ」なら、「市民プール」とか、そういう感じだ。それを人数ぶん続けていって、最後に最初の言葉と照らし合わせる。  これだけの遊びなのだけれど、けっこう楽しかった。ゲラゲラ笑うといった類の遊びではなかったが、個人の機微というかセンスのようなものが混じるから、最初の言葉がどうよじれていくかを追いかけていくだけで十分に楽しめたのだ。  いまもよく覚えているのは「はっぽうさい」という言葉が、巡り巡って「マホメット」になったことだ。なんだか知らないが、これには全員がうなった。満場一致で名作の誉れを受けた。その証拠に、20年近く経ったいまも僕はそれをこうして覚えている。  で、しりとりだ。お待たせしました。  率直に言って、僕らはしりとりの達人集団だった。アストロ球団だった。日光猿軍団だった。  意味がわからないな。  ともあれ、ご想像のとおり、僕らはいろんなやりかたでしりとりをした。  通常のものはもちろん、歌しりとり、食べ物しりとり、動物しりとり、国名しりとり、 芸能人しりとりなどなど。  変わったものでいうと、“体にいいものしりとり”なんていうのもあった。これは、その人が「体にいい」と感じるものを挙げていくのだけれど、言葉をつなぐ楽しみのほかに、その人の世界観やアピール能力なども反映されておもしろい。だって、「あくび」とか「青空」とかって言われると、体にいいんだかなんだかわからないじゃないか。  もちろんそこにも楽しみ方や勝ち方が存在する。賢明だったのは、僕らが勝ち方よりも楽しみ方を優先させたということだ。  たとえば、絶対に勝ちたいならば、同じ言葉で終わるように言葉を挙げていけばいい。専門用語でいうところの“る責め(「る」で終わる言葉を連発して隣のヤツを困らせる戦法)”などを用いればいい。しかし、それはしりとりというゲームを終わらせることを意味する。それでは暇を潰すという基本コンセプトに反する。  それで僕らは個々に言葉のバリエーションを闇雲に増やしていった。延々と続く勝負こそがしりとりの名勝負なのだ。  たとえば僕は、「る」で始まる歌をいますぐ3つ歌える。人名は「子」で終わることが多いから、「こ」で始まる芸能人もたくさん言える。「プリン」と言ってしまったあとに「アラモード」と付け足すのは常套テクニックだ。  そして大切なことは、バリエーションを増やせば増やすほど、高い検索力が要求されるということだ。データは、使いこなして初めて意味を成す。そしてそれを攻撃的にではなく、防衛手段として機能させる。それが、しりとりだ。  「た」で始まる動物が回ってきた場合、僕の頭の中には「た」で始まる動物がずらりと並ぶ。瞬時にそれを、人が言いそうな順番に並べ替える。その先頭にあるものがいままでに言われてないかチェックする(語尾が「ん」であるものはリストからあらかじめ外されている)。そして僕は、素早く、かつ慎重に、「たぬき」と言う。それが、しりとりだ。  ラリーを続けることが全員のコンセプトである。ラリーを自分のところで途絶えさせることが、負けである。それが、しりとりだ。  だからしりとりの醍醐味は、誰もが言いそうな言葉を全員で言い尽くしたあとで、個々が個々のとっておきの言葉を言い始めたあたりに存在する。要するに、「たぬき」や「タコ」や「たか」のあとに、「たつのおとしご」や「タスマニアデビル」が言い出されたあたりである。「たにし」や「タイガー」は物議を醸すところである。「たけうま」はアウトである。  そういえば、食べ物しりとりがクライマックスを迎えたとき、Tという男が「お」で始まる言葉に窮してしまい、苦悶の表情を浮かべながら「・・・お肉!」と叫んだ。それ以来、接頭語をつけることは禁止された。だってそれじゃ「お魚」もアリだし、「お野菜」もアリだし、「おみそ汁」なんてのもアリで、わけがわからなくなってしまう。  こうやってルールを整えていくことも、遊びの一部である。そしてもちろん遊びは徐々にアレンジされて進化する。  特殊な例でいうと、“いそうな動物しりとり”である。これもかなり(全員の)センスが必要とされるのだけれど、いそうな動物を並べていくわけである。「テナガモモンガ」とか、「ニホントナカイ」とかである。そして、全員が納得しないようなら、それがどういう動物であるか説明する。全員が「なるほど」とうなずけば認められるし、しどろもどろになると負けになる。個人的に僕はこれをかなり得意にしていた。ちなみに僕の自信作は「アリクイクイ」という、アリクイを食べて生きる肉食獣である。  こうなってくると、もはやしりとりの範疇を出る。しりとりのルールを大枠に利用した違う遊びである。そうやって僕らは遊びをちょっとずつ変化させたり、遊びのルールを整えたりしながら暇を潰していったのである。  そしてやはり遊びは原点に戻ってくる。しりとりを極めた、しりとりの石原軍団である僕らが最終的に辿り着いたのは、“3秒しりとり”と呼ばれるノンジャンルの通常しりとりであった。  語尾が「ん」なら負け。一度出た言葉を言うと負け。それ以外なら何を言ってもかまわない。ただし、制限時間は3秒しかない。要するに、言葉を挙げた人間が、すぐに「1、2、3」と数え始めるわけだ。「ゴリラ。1、2・・・」「ラッパ。1・・・」「パ、パセリ! 1、2、3、アウト!」というわけである。  これはシビれる。ぜひ一度試してみるとよろしい。なにしろラリーどころではない。いきなりネット際でボレーの応酬である。ノーガードの打ち合いである。全員の頭のなかに言葉のリストがずらりと並ぶ。ノンジャンルだからそのリストの長さも尋常ではない。そして凄まじい速さで検索される。瞬発しなければ、3秒しりとりには勝てないのである。  しばらくまえにその中学時代の友人たちと顔を合わせたのだけれど、やはりというかなんというか、その後現在に到るまで、しりとりにはほとんど負けたことがないと皆言っていた。まあ、しりとりを本気でやる機会なんて滅多にないわけだけれどさ。  そのときに感じたのは、僕が現在編集者として働き、文章を書くようなことを仕事にするうえで、あの中学時代の経験はとんでもなく役立っているのではないか、ということだ。  少なくともその6人の中で、現在もっともあのときの経験を活かした仕事についているのが僕だった。とても幸運だと思う。  ああ、やっと話がきっかけに戻ってきた。  今日、昼飯を食った帰り道、職場の人間としりとりをやった。そのとき、例によってその場で新しいしりとりを思いついた。“言った言葉のジャンルが消えていくしりとり”だ。  たとえば「ゴリラ」というと動物はもう言えなくなり、「ラッパ」というと楽器は禁止、「パセリ」で野菜が消える、という感じだ。言えば言うほどバリエーションが狭められていく感覚はとてもスリリングで、過去に僕が編み出したしりとりの中でも秀逸なものであるように思う。  すぐに会社に着いたのでやめてしまったけれど、僕は歩きながら、これを中学時代の僕らに教えてあげたいなあ、なんて思っていた。  そのことでも書いてみよう、と思っただけなのだ。  ふう。  にしても、やっぱりこれはないよな。こんなはずじゃなかったんだけどな。ホントに、こんなふうに常軌を逸脱するほど書き散らかすはずじゃなかったんだけどな。  自由に、適当に、気楽に書こうと思ってたのに、なんだかぜいぜいしているよ。  いや、ホント、ごめんなさい。これじゃまた本末転倒だ。  次回からは適当にいくよ、オリタ君? このコラムの筆者、永田氏に励ましのお便りを出そう! メールはFFF@mochiya.nuまで! VOL.12 人口 text:永田泰大  仕事の合間に地下の自動販売機の前で後輩の編集者たちと雑談していた。休み明けということもあって、全国津々浦々の地元話に花が咲いた。  僕の田舎は佐賀県ということになっている。父親が去年退職して、自分の生まれ故郷である佐賀県に帰ったからだ。実際僕が生まれたのも佐賀県だけれど、じつは物心ついてからそこに住んだことはない。でも両親はふたりとも佐賀県出身で、子どものころからしょっちゅう祖父母の家を訪れていたから、佐賀が田舎であるということに違和感はあまりない。むしろ帰郷先が佐賀であるということは、ちょっと気に入っているといっていい。  休暇中の佐賀の話なんかをしていると、Hという男がふと「佐賀市って、人口どれくらいなんですか?」と聞いてきた。僕は知らないと答えた。書いたように僕は佐賀県にあまり詳しくないのだ。もっとも、佐賀に住んでいたとしてもそんなことに興味は抱かなかったと思う。  Hはそれを聞いて、「なんでそういうことを知らないかなあ」とつぶやいた。それは、「まったく永田さんはしょうがないなあ」というふうだった。  たしかに僕は、後輩たちから“思わぬ常識が欠落している男”として認識されている。べつにオイラは非凡な不思議人間なんだぜと主張するつもりはないが、僕自身それを認めざるを得ないし、むしろ反省しきりの部分もある。たとえば、まるで方向感覚がないこととか、銀行振込を毛嫌いしていることとか、しょっちゅうモノをなくすこととかさ(これについてはいつか書く機会があるかもしれない)。  一方でHという男は、寡黙なくせに悔しがり屋であるとか、事務処理をこなすときにすぐに魂のスイッチを切ってしまうとか、追いつめられると唇がとがるとか、横浜ベイスターズの熱烈なファンであるといった奇妙な面を持ちつつも、一応は“几帳面なしっかり者”として周囲から認識されている。  それで実際彼が僕に「まったくしょうがないなあ」と言うような場面はよくあるわけだけれど、今回はちょっと納得がいかなかった。  それでも、Hの「しょうがないなあ」はとても自然で常識的な振る舞いだったので、思わず周囲に問いかけてしまった。「地元の人口って知ってるもの?」  誰も知らなかった。  当たり前だ。  血相を変えたのはHのほうである。彼は「え!」と小さく叫んだあとで矢継ぎ早に質問し、満場一致で特異な者はHと決まった。  Hの落胆たるやない。  Hの言い分はこうだ。新聞のあいだに、ときどき“県民便り”というものが挟まっている。『新宿区民便り』とか、『佐賀県報』とか、そういうやつだ。特異なHは、『弘前市民便り』みたいなものを手に取っては、「やあ、先月より200人増えたな」とか、「ほほう、隣町は横這いだな」などと興じていたのだという。  やんねえよ。  驚いたことにHは、自分の町の人口が小学校のときからどのように推移してきたかを、さも当たり前のようにそらんじてみせた。びっくり人間大集合である。  ひとしきり座に笑われたあと、Hは落胆しながら「彼女に謝んなきゃなあ」とつぶやいた。どうやら彼は、自分の生まれた町の人口を答えられない彼女に向かって、非常識だとなじったらしいのだ。びっくり人間大集合である。  さらにそのシチュエーションを聞いて驚いた。じつはこの夏に彼女といっしょに自分の田舎に帰った折、Hの母親がその質問をしたらしいのだ。  「○○さんは田舎はどこなの? あらあら、そうなの。それで、人口は何人くらいなのかしら?」  詳細を想像するに、そんなような質問だったに違いない。  当然のことながら答えに窮する彼女。Hはそれを恥じるように思い、ついでに「**万人だよ」と代わりに答えてあげたのだという。それにしても、なんで関係ないの町の人口まで知ってるかな。  つまり、Hにとって、町の人口を知っているというのは人として当たり前のことだったのだ。まさにその瞬間までは。  それで僕が思い出したのは大学の先輩のことだった。  彼は、トイレで排便するときに、ズボンを下げるのではなく、完全に脱ぎきってしまうのがふつうだと思っていた。そして驚いたことに、脱いだズボンを首の回りに巻くのが常識だと思っていた。これまた大集合である。  なにかのときにそれが非常識であると指摘されたときの彼の驚きたるやすごかった。やはり「え!」と叫んで矢継ぎ早に質問して同意を求めた。満場一致でびっくり人間大賞の栄誉を得た。  そのあとの落胆ぶりに到るまで、ズボン先輩とHの反応はほとんど同じだった。  ここから僕があらためて得たことはふたつある。  まず、人の常識というものは元来個人的なものだということだ。世間ですり合わせらるることがなければ、自分の常識が一般的な常識と等しいと信じて疑わないわけである。  それゆえ、排便時のズボンの処置とか、住む町の人口の認識などといった、他者と比較する機会の少ないものに関しては非常識が常識として残りうる。いわばそれは氷漬けのマンモスである。アイスマンである。ガリガリくんである。  ええと、もうひとつ。  興味深いことは、そういった氷漬けの非常識は、ほとんどが親から受け継がれるということだ。  つまり、他者の常識と比較する機会がないような常識をどうやって身につけるかというと、それは幼少時代へ求めざるを得ない。Hの場合はまさしくそれであった。Hの両親は県民便りを好み、人口を口に出して確認する人であった。  ズボン先輩に関しては残念ながら確認していないけれど、おそらくそうなのだと思う。  想像するに、幼少時代のズボン先輩が、朝起きてむにゃむにゃとトイレへ駆け込む。ところがそこには先人あってドアは開かない。ドンドンとドアを乱暴にノックするズボン先輩。するとややあってガチャリとドアが開き、鼻歌混じりに彼の父親が現れる。いわばズボンパパである。そしてその姿! パンツ一丁なのだと思う。首に巻いたズボンをほどきながら出てくるのだと思う。  かくして、その非常識は雪解けを待つ。なにかの拍子で氷が解けたとき、彼は「え!」と小さく叫ぶことになる。びっくり人間大集合である。人間ポンプおじさんである。  書きながらぞっとするのは、それが僕の中にも存在しうるということだ。  そしてもちろん、あなたの中にも・・・。怪談風に終わる。 このコラムの筆者、永田氏に励ましのお便りを出そう! メールはFFF@mochiya.nuまで! VOL.13 いちご味の氷菓子 text:永田泰大  この夏、氷いちごにハマった。単純に氷いちごというと語弊がある。要するに、“ふんわりかき氷 いちご とちおとめ果汁使用!!”という氷菓子にハマってしまったのである。大げさな話ではなくて、ひと月に軽く1ダース以上は食べたと思う。  説明すると、“ふんわりかき氷 いちご とちおとめ果汁使用!!”というのはフタバ食品というところから出ている100円のかき氷である。セブンイレブンで購入することができるのだが、ぶっちゃけた話、これが美味しい。  ふんわりとした、シロップのかかっていない真っ白な氷の層をサクサクと掘り進んでいくと赤くほのかに甘いいちごの層にたどり着く。白い層と赤い層をサクサクと混ぜながら食べていくとそのバランスは絶妙である。構造上、食するにしたがって味は濃くなっていくのであるが、そこに人工的なくどさはなく、わずかに溶けだして流動化しかける変質の風味が加わって非常に気持ちがいい。クライマックスは食べ終わる直前にあって、流動化が極まった刹那、角を落とした氷の粒がキラキラと浮かぶピンク色のシャーベットを飲み干すときの喉ごしときたら!  例によって僕はこれをいろんな人に薦めてみたりしたのだが、痛感するのは美味しいものを美味しいと人に伝えることの難しさである。  構造の矛盾に苦労するのは、美味しいと強調すればするほど、過度の理想が伝えられた人の中にできあがってしまうことである。どれだけ美味くとも、それは100円の氷いちごに過ぎないのだ。だから、ここまで読んだ人がセブンイレブンに走ってしまうとたぶん期待したほどではなくて落胆してしまうのだろうと思う。すなわち、それは100円の氷菓子に過ぎないのだが、とっても美味しいのだよ、と伝えなければならない。なんだか勝手に話をややこしくしているような気がしてきたけれど。  とりあえず僕がハマったプロセスを記そう。そのように理解することがもっとも僕が感じる美味さに近いような気がする。  偶然、僕はその氷菓子を買って食べた。近所のセブンイレブンで買った。前述したように、とても美味かった。ぜひまた食おう、と思った。しかし、このとき僕は、“ふんわりかき氷 いちご とちおとめ果汁使用!!”という氷菓子そのものが際だって美味いのだとは思わなかった。そうではなくて、「最近の氷菓子は美味いなあ」とか、「じつは僕はいちご味の氷菓子が好きだったのだな」というふうに感じたわけである。それで僕は、ぜひまたいちご味の氷菓子を食べよう、と思った。さらに言うと、“ふんわりかき氷 いちご とちおとめ果汁使用!!”などという、どこからどこまでが商品名だかわからないような長い名前を覚えてすらいなかった。それで僕は違う日にふらりとどこかのコンビニでいちご味の氷菓子を買った。そんなに美味くなかったというわけではないが、あのときに感じた、また食べよう、という感覚には達しなかった。それでようやく僕が“ふんわりかき氷 いちご とちおとめ果汁使用!!”の美味しさに気づいたかというと、そう簡単に話は進まない。僕は、「こないだいちご味の氷菓子とっても美味かったのはタイミングがよかったのだろう」というふうに感じた。暑くて、喉が渇いていて、ほどよい甘さも欲していて、いちご味の氷菓子を食べるのには最適だったのだな、と感じたのだ。そして、またある日、僕は暑くて喉が乾いていた。それでまたいちご味の氷菓子を買って食べた。待ちに待った食感が訪れるはずだった。ところが、いまひとつなのである。この期に及んでようやく僕は驚いた。いったいこれは、どういうことなのだろうか。  つまり、多くの人がそうであるように、僕はいちご味の氷菓子に優劣があろうとは考えていなかったのだ。味や堅さに若干の差違はあるにせよ、とりたてて美味い氷菓子があるのだという概念がなかったのである。だからたぶん、“ふんわりかき氷 いちご とちおとめ果汁使用!!”をひとつ食べてみたところで、これは美味いね、くらいで終わってしまうのだと思う。当然である。人は、元来いちご味の氷菓子に対する相対的な基準などというものを持ち合わせてはいないものなのだ。  もちろん、いちご味の氷菓子と僕の相性がよかったということもあるのだと思う。それで僕は、どうしてあのときのようにいちご味の氷菓子に魅力を感じないのだろうかということを、やや深く考えてみた。そして、当たり前のように仮説をひとつたてた。最初に食べたいちご味の氷菓子が美味かったのではないだろうか、と。そういうわけで、(こうやって何度も試してみるのだから基本的に僕はいちご味の氷菓子が好きなのだろうけど)僕はセブンイレブンで“ふんわりかき氷 いちご とちおとめ果汁使用!!”を買った。たしかこれだろう、と思いつつ、ようやく“ふんわりかき氷 いちご とちおとめ果汁使用!!”を選んだ。これだった。これがそれだった。  そういうわけで僕は“ふんわりかき氷 いちご とちおとめ果汁使用!!”にハマってしまった。実際、いま自宅の冷蔵庫の中にも3個ある。いまのところセブンイレブンでしか売ってなくて、場所によっては売ってないセブンイレブンもあるから、ついまとめて買ってしまうのである。ちなみに冷凍庫で保存していてもふんわり具合が損なわれないこともこの商品の長所である。  余談だが、セブンイレブンのアイスボックスに常に“ガリガリくん”の在庫があるのは、セブンイレブンの社長だか創始者だかが大好物であるからだという話を聞いたことがある。ひいては、セブンイレブンの氷菓子に対するこだわりを垣間見ることができるエピソードである。“ふんわりかき氷 いちご とちおとめ果汁使用!!”のメーカーは、先も書いたがフタバ食品という。失礼ながら、あまり聞いたことのないメーカーである。セブンイレブンの氷菓子仕入れ担当者は氷菓子に対する並々ならぬ情熱を持っていて、数ある大手の氷菓子を差し置いて、本当に美味いと思える“ふんわりかき氷 いちご とちおとめ果汁使用!!”を選んで自社の流通に乗せたのだ、というのは美談を願いすぎる僕のわがままだろうか。  脱線ついでに書くとフタバ食品のいちご味の氷菓子はファミリーマートでも売っている。しかしこれには“とちおとめ果汁”が入っていない。したがって美味さも一段下がる印象がある。酷似した商品がなぜふたつあるのかはわからない。“とちおとめ果汁”を使うとたしかに美味いのだがコストがかかるため生産が中止されたのだ、というのは例によって僕の勝手な推測である。  ところでこの一件によって、僕にはいちご味の氷菓子に対する相対的な基準というやっかいな価値観ができてしまった。これまでは、何も気にすることなく氷菓子を食べていられたのだけれど、来年の夏からはそうもいかなくなるのだろう。この“ふんわりかき氷 いちご とちおとめ果汁使用!!”を基準にして、「これはあの美味さには至らない」だとか、「ついにあれを超えた!」だとか判断してしまうのだろう。それはそれで面倒くさいことだと思うが、喜びの副産物なのだとすれば避けられないし、僕は喜びがあるほうを好む。すべからく自分なりの価値観が新たに生じると、いいものに出会う喜びが生まれ、気にしなくてよいものを気にしなくてはいけなくなってしまう面倒くささが生じる。しかし、そういった価値観の集合こそが僕という人間であるのだろうから、僕は新たな価値観の誕生を祝福するばかりである。  どこかで脱線するだろうと思って書き始めたら、けっきょく氷菓子について最後まで真面目に書いてしまった。まあ、こういうのもあっていいよね、オリタ君? このコラムの筆者、永田氏に励ましのお便りを出そう! メールはFFF@mochiya.nuまで! VOL.14 クルマについて text:永田泰大  クルマについて書かなければならない。  メシを食いながらここのコラムに何を書こうかと話していたら、おなじみのぽっちゃり気味の青年に「さっさと書けばいいじゃないですか」と言われ、テーマが自由だとなかなか難しいんだよと答えたら「じゃあクルマについて書いてくださいテーマがあればいいんでしょうそれじゃクルマについて書きましょうクルマですよクルマクルマ」などと言われてしまったのだ。ついでに「オリタさんによろしく言っといてくださいよ最近来ないから寄ったら電話してくださいって言っといてくださいよ僕もパーム買ったって言っといてくださいよ」とも言われてしまったのだ。  さて。  困ったことになった。あれでぽっちゃりんはなかなか狡猾な男である。ぽっちゃり気味なくせにしたたかな男である。ビーフカレーを7割ほどたいらげたときに「ビーフカレー食いてえな」とつぶやくくせに底意地の悪い男である。  クルマは僕のウィークポイントのひとつである。  はっきり言ってクルマに関していえば僕は常識が欠落しているといっていい。なんも知らんといって差し支えない。  たとえばあるとき何かの待ち時間に知人と古今東西をしていて逆ギレしたことがある。古今東西が何かというと、任意のテーマに沿った言葉を互いに挙げていき、詰まったら負けになるという例のあれである。そのときのテーマはつまり「古今東西、クルマの名前!」という感じであって、しりとりに代表される言葉遊びの達人たるこの僕は思わぬテーマに苦境に立たされることとなった。というか、正直な話手も足も出ないかっこうである。  僕の不安をよそにゲームは開始され、「サニー」、「シビック」、「カローラ」などと常識的なクルマの名前がつながれていった。そして、知人は「ラシーン」と言った。  ラシーン?  その名前を僕はまったく知らなかった。それで、「それはなんだ?」と問うた。知人は「クルマの名前に決まってるだろう」と答えた。「そんな知らない言葉を古今東西で認めるわけにはいかん」と僕は言った。知人の反論は「そんなバカな話があるか、古今東西クルマの名前で、クルマの名前を言わずにどうする」という内容であった。それで僕は「挙げる言葉は対戦相手の認識を問わないのか」と返した。勢いで知人は「そうだ、テーマに沿った言葉を挙げ続けるのが古今東西のルールだ」と言った。追いつめられた僕は「じゃあゴルソバだ」と言った。当然のことながら知人は「そんなクルマはない」と言った。僕は「それはおまえが知らないだけだ、そういうクルマがあるのだ、ゴルソバがダメなら、ムキューマだ。カナカナだ。ベロニーだ!」と主張した。我ながら大人げない話である。  そんな感じでクルマに関してはおっかなびっくりなのである。  それにしてもなんであんなに人はクルマに詳しいのであろうか。たとえば話をクルマの名前に絞るにしても、カローラだとかシーマだとかムキューマだとか、よくもまあそらんじているものである。GTRとかCRXとかY2Kとか、よくもまあ細かに見極めるものである。  だいたい見極めるにしてもそれらはあまりに個性に乏しい。そのほとんどが同じようなライトと似たような窓と凡庸なドアを持っていて、なんだかおしなべて流線型である。これではまるで、みかんと夏みかんとぼんたんとグレープフルーツを並べて名前を覚えるようなものである。あだち充の描くヒロインを10人並べて端から当てていくようなものである。それはそれで髪型でなんとか区別することができそうである。あ、そういうことなのかな。  あと、話をややこしくしているのはあのモデルチェンジというやつである。同じ名前のくせに形を変えたりしていったいどういうつもりなんだろうか。そんな不条理なことがなぜ許されるのだろうか。リンゴを三角形に変えて紫色に塗ってそれでもリンゴと言い張るような暴挙になぜ世論は反発しないのだろうか。金にものを言わせて他球団の有名選手を集めてそれが巨人軍と言えるのだろうか。あ、なに、そういうことなのかな。  メーカー名もなんだか釈然としない。日産はいいけど、日産プリンスってなんだ? アンフィニっていうのはどうなんだ? ネッツってのはお店の名前? ワーゲンってどっちよ? あとベンツって会社の名前でしょ。みんな高そうなクルマ見て「あ、ベンツだ」とかって言うけど、それは違うんじゃないの? 街で松井選手を見かけて「あ、巨人だ」とは言わないでしょう? あ、でもミック・ジャガーを見かけて「ストーンズだ!」はありそうな気がするな。え、そういうことなのかな。  職場には多分にもれずクルマに金をかけている人々がいるがこれも理解できない。十分に移動と運搬をこなすクルマにそれ以上何を望むというのだろう。カーステとカーナビは百歩譲って許すとしても、車高を下げたりハンドル(ステアリング?)を変えてみたり、あげくにシフトレバーの握りの部分を妙な木製にしてみたり、タイヤの真ん中の銀のお皿の部分(ホイール?)を変えてみたりしてどういうつもりなのだろうか。こないだなんかSという男のクルマを何気なく見たら赤いクルマなのにボンネットだけ真っ黒になっていて大笑いしてしまった。なんでも軽量化なんだそうだが、何もボンネットを真っ黒にすることはないだろう。タコメーターがついてるのにわざわざもう一個でっかいタコメーターをつけてるやつもいる。何個つければ気が済むというのだろう。一個じゃぜんぜん回し足りねえもっともっと回してえとか、そういうことだろうか。だいたいそういうクルマに乗るとかなりの高確率で乗り心地が悪い。うるさくてドルンドルンしている。まるで速いコンピュータを買って、さらなる高速化を目指してどんどんカスタマイズしていって、それが原因でクラッシュして途方に暮れているパワーユーザーみたいだ。ああ、そういうことですか。  いや、わかっているんです。  彼らがクルマに詳しく、クルマに手をかけることを厭わないないことは十分に理解できる。それがクルマであるというだけなのだ。たとえば僕にしてみたって、いちいちデジタルリマスタリングされたジョンのソロアルバムを買い揃えていく意味なんてあまりない。ちょっとランニングを始めてみようかというときにランニングシューズを新調せずとも下駄箱の中には半ダースほど揃っている。そういうことなんだとわかってはいるんです。クルマの名前を覚えることだって、『ドラクエ』の呪文を暗記していることと大差ない。  僕がクルマに興味を抱かないのは未開拓であるというだけなのだろうと思う。しかるべきタイミングと境遇が訪れれば、僕だってクルマという分野を拓き始めるのだろう。なんだか流線型の中古車を買って、スピーカーを喜々として選んで、ハンドルなんかもMOMOとか書いてあるやつに替えちゃって、足まわりもいじっちゃって(こういう言い回しで合ってますか)、あとはなんだろうな、サス? カム? ボアアップ?  とにかく今はまだおっかなびっくりなのである。  こんな僕でもクルマの素晴らしい面を知っていて、ときどきそれに憧れたりする。それは、密室が移動するという快感である。その機能において僕は自分の欠落を感じ、羨ましく思う。好きな人たちと、好きな話をしながら、好きな音楽をかけながら、移動する。自宅以外に自室を持つかのようなその機能は素直にいいなあと思う。ことに僕は酒があまり飲めないから、面倒くさい計略や手続きなしにポンとそういう“好きなものだらけの”空間へ切り替えることができることをうらやましく思う。移動や運搬は既存のシステムで事足りているけれど、密室移動の快感はなかなか代用が効かないのだ。  そんなわけで僕はクルマに詳しくはないけれど、クルマに乗ることは好きである。ことに音楽の趣味が合う友人の後部座席に座って延々バカバカしい話をしながら目的地を目指すことはかなりフェイバリットであるといっていい。もしも渋滞になっても暇を潰すことはかなり得意である。なんなら助手席でナビを勤めてもいい。道はまったく知らないが(これに関しては項をあらためたい)、地図を見るのはけっこううまくやる自信がある。  ときどき自分がクルマを持つことを想像する。残念ながらそれは近い将来ではない。きっと多くの好きなものを周りに揃えたあとになるのだろうと思う。ちなみに普通免許を所持していることを最後につけ加えておきます。  ところでつぎのコラムのお題はオリタ君に決めてもらおうと思う。そんなわけでよろしくね、オリタ君? −−次回(FFF vol.15)のお題は… 【マッキントッシュ】です。 僕よりMac歴が長いわりに、イマイチ知識が偏っている永田君に 「マッキントッシュ」について熱く語ってもらいます。 果たして今世紀中に更新なるか!?、乞うご期待!! (オリタ) このコラムの筆者、永田氏に励ましのお便りを出そう! メールはFFF@mochiya.nuまで! VOL.15 マッキントッシュについて text:永田泰大  オリタ君が書いたように、僕のマックとの出会いは意外と古い。それは1992年のことで、僕は間違いなく大学生であった。振り返ると思わずめまいを覚えるが、そこでいちいちふらついていては始まらないので客観視しよう。ようするにそれは10年近く昔のことになってしまっている。  地方から上京した多くの大学生がそうであるように、僕はひどく自分が物を知らないような気がしていたし、実際いろんなことを知らなかった。ここでいうのは、生き方とかこだわりとか、そういったややこしい類のものではない。純粋に知識のことだ。  僕は情熱と時間に任せていろんなものを貪るように蓄積していった。そのモードに入りさえすれば、ほとんど事の善し悪しを問わなかった。右から仕入れていったん頭を通してチェックリストに印をつけて棚に並べた。およそジャンルを問わず、僕はそうであった。もちろんそれはいまも継続しているのだろうと思うけれど、当時のそれは半ば強迫観念じみていた。僕は自分の骨組みを支える肉片を捜しているようだった。特殊なことではなく、上京した多くの学生というものは少なからずそうであるのだと思う。  たとえば僕は、ぴあを愛した。当時はTokyowalkerや東京一週間なんてもちろんなくて、情報誌といえばぴあとCityRoadくらいしかなかった。もちろんネットがつながるのはずっと先の話だ。2週間に一度本屋に並ぶその本は、知識摂取の機会にあふれていた。むしろ当時は課題図書でさえあった。単館のレイトショーがあり無数のライブハウスがあり新作と復刻と路線図と索引があった。それでなければならないというような確信はどこにもなくて、確信がないからこそ僕は手っ取り早いひっかかりを求めていた。それがぴあだったということなのだろう。  同様に僕はSTUDIO VOICEを読んだ。そこで毎月組まれている特集のほとんどに当時の僕は門外漢であった。最近はあまりそういう性質を持っていないように思うけれど、当時のVOICEは摂取に貪欲な門外漢がひっかかりを求めるときに最もその機能を発揮した。  この話のポイントとなるSTUDIO VOICEのその号を、僕はまだ捨てずに持っている。雑誌の保管に無頓着な僕にとって、それはかなり珍しいことである。引っぱり出してみると、それは1991年の12月号ということになる。引っぱり出して眺めていたらまためまいがしてきた。  気を取り直して紹介すると、特集のタイトルはずばり“マッキントッシュの伝説”である。ものすごいタイトルである。いま提示されるとそのタイトルは一回転して経済的な特集とか管理職向けのサクセスストーリーのようであるが、当時のそれは純粋にマッキントッシュというコンピュータの紹介であった。特集は先駆者のテキストとクリエイターの生産物(多くはグラフィックアート)から構成され、ご丁寧に目的別の推奨購入パターンまで添えられていた。  めまいを堪えつつ、たとえば“デザイン・アート向け”の推奨パターンを引用してみる。  ・本体 Macintosh IIci(メモリ8M/ハードディスク100〜200M)  ・モニター 13'RGB Moniter  ・キーボード Extended Keyboard  ・プリンタ(モノクロ) Laser Writer NTX-J  ・プリンタ(カラー) FP-510 SPA  ・スキャナ GT-6000  絶句、である。どうですか。メモリが8ですよ。ハードディスクは200ですよ。ギガじゃなくてメガですよ。ていうかギガなんて言葉は存在すら知りませんでしたよ。入門用じゃないんですよ。プロ用の、しかもデザイン用ツールとしてのサンプルなんですよ。参ったもんだなあ、ホントに。めまいを通り越して呆れてきちゃったな。すっかり文体も壊れてきちゃったな。せっかく客観的に回顧してたのにな。思えば遠くへ来たもんだな。田舎のあの娘は元気かな。  気を取り直して冷静になるが、当時の僕にとってそのコンピュータは魔法の箱以外の何ものでもなかった。瞬時にして僕はその箱に魅了されてしまった。たった1冊の雑誌によってあっさりとブームを書き換えられるほど当時の僕は無知だったともいえる。ともあれ僕はそこに全能を垣間見たのだ。それが幻想かどうかすら問題ではない。  しかし、それはあまりに高価であった。レンタルビデオ屋でバイトする学生にとって、それはほとんど気絶しそうになるほどイクスペンシブであった。卒倒して失神するほどべらぼうであった。こんこんちきのすっとこどっこいであった。オニババ対なまはげのロッキーホラーショウといって差し支えなかった。いまや10数万円で十分なマシンが手に入る今からするとそれはあまりに大げさだろうと感じるかもしれない。しかし、はっきり言ってそれはクルマかマックかという二拓であった。もちろんクルマにはまったく興味がなかった。  そんなわけで僕はVOICEの12月号を穴が開くほど眺めながら「欲っスィー、欲っスィー」((C) ぽっちゃり青年)と狭い部屋でジタバタするにとどまった。まだ見ぬマックは叶わぬ東京の象徴であったというと陶酔がすぎるだろうか。  それからしばらくしたある日、吉祥寺に出掛けたときのことを鮮明に思い出せる。ペンギンカフェの上にこじゃれた洋服屋さんがあった(今もあると思うけど同じ店だったかどうか自信がない)。吉祥寺の果てしない中古CD屋巡りのあとにそこを訪れた僕は、その店のディスプレイを見て息を止めることになる。そこには全知全能の魔法の箱が鎮座ましましていた。それまで見たことのないRGBモニターの微細な粒子は、僕の脊髄を電撃で打ちのめしてショートさせるに十分な威力を持っていた。今にして思うとそれは、はっきり言ってスクリーンセーバーである。笑っちゃうけれど、僕はそのスクリーンセーバーのカラフルな映像を前に硬直していた。書いていたらなんだかとても幸せな風景のように思えてきた。僕はスクリーンセーバーを見つめて動けなくなっていたのだ。  店を出たとき、「欲っスィー」は「欲しい」に変わっていた。なんとも二十歳そこそこの青年らしい話である。  僕は電気街へ通うようになった。パソコン屋の壁に貼ってある(これは今も変わらない)セットの値段表を食い入るように見比べた。VOICEの推奨パターンはすっかり暗記してあった。僕は激しく悩んだ。自己内において立論と反論と楽観と諦観が火花を散らした。身悶えんばかりの果てしないプレゼンと妥協のすえに、僕は欲望の最低限を満たす組み合わせを選んだ。  Quadra700である。  当時の準最高機種だったと記憶している。メモリはたしか16メガも積んだ。ハードディスクはなんと、240メガだ! 夢のマシンだ! 宇宙にだって行くことができる! 光さえ僕の後塵を拝している! 遠路はるばる参拝客が引きも切らない!   さほど舞い上がっていたのである、僕は。なんとも二十歳そこそこの青年らしい話である。  僕は低頭平身し頭金を親に借りて、ロシアの国家計画のごとき遠大なローンを組んだ。あとは未来の僕に任せた。知らぬ間に引かれる口座の残高は銀行の悪巧みと決めつけた。なんだか知らんがいろんな理由をつけて「安いもんさ」とうそぶいた。そのようにして僕は、ついにマックユーザーとなった。  そこからもまた苦労の連続であって、わけのわからん解説書をなんとか解釈してみたり、まわりにマックユーザーがいなかったため知り合いの知り合いの知り合いの家を訪ねて行って自己紹介してマックを教えてもらったり、いちいち高い金を払って落書きを業者にプリントアウトしてもらったりと枚挙にいとまがないが、それはここに挙げることはやめておく。またいつか『初心者マックユーザー激闘編'92』を書く機会もあるかもしれない。  とにかく選択は間違っていなかったと、10年近く経った今僕は断言できる。その後マックはあっという間に市民権を獲得して値段を下げたが、それすら僕の後悔にはつながらない。ちなみに愛しのQuadra700は、数年前最初のiMacを購入するまで現役であった。もちろん今もラックの上の特等席に置かれている。さすがにしばらく電源を入れてないが、そのフォルムは今見ても美しいと胸を張れる。仕事上、人より少し早くマックユーザーとなった恩恵も少なからず受けた。なによりコンピュータの基礎を独学で学んだ意義は大きい。二十歳そこそこの僕に「間違ってないぞ」と伝えたいくらいである。  最後に、そのころ秋葉原で(やはり十年近く前の)オリタ君とばったり出会って挨拶したことを思い出したことをつけ加えておく。たしかそのときオリタ君はLCIIIかなんか買ってマックユーザーになったばかりでT-ZONEに寄った帰りだったと思うんだけどな。場所はたしかラオックスコンピューター館の向かいの当たり。そのときの僕に「十年近く経った未来にインターネットというものが普及して、おまえは今挨拶したメガネの青年のホームページでわけのわからんコラムを書くことになるぞ」と告げたら、二十歳そこそこの僕はいったいどんな顔をするだろうか? −−次回(FFF vol.16)のお題は 読者のSさんからのリクエストで… 【宇宙】です。 ちなみに、僕自身はそんなには「宇宙」にこだわりはなく、 以前、流星群が来たときに、興味なさげな発言をしたら、 「信じられない!」という顔をされたことがあります(オリタ) このコラムの筆者、永田氏に励ましのお便りを出そう! メールはFFF@mochiya.nuまで! VOL.16 宇宙について text:永田泰大  そもそも宇宙について限られたスペースで何かを書くということ自体が無鉄砲である。つまり宇宙についておもしろコラムを書くということ行為そのものがすなわち破れかぶれである。なんせ相手は宇宙である。敵は宇宙である。ライバルは宇宙である。奥様の名前は宇宙である。書き出しにしていきなりこの支離滅裂さであるが、どうにもやはり宇宙は別格である。なんだか書いてたら最終回のような気がしてきた。だって宇宙なのである。  とりあえずなにか宇宙に対して僕なりに敬意をはらうような意味でもって最低限の決まり事を設けるとすれば、このように前後の文脈をまったく無視して書くということだけが宇宙について書き進めることを助けてくれるように思う。だってこれは宇宙についての話なのである。  たとえば僕は何かについて延々と深く浅く広く狭く話していくということが好きである。といってもそれは適当に言葉を紡いでいればいいわけではなくて、それこそ答えの出ないようなものでも卒倒するくらい真剣に出口を求めて、話しながら糸をたぐっているうちに本当の意味で呼吸が危ぶまれるくらいのパワーでもって話していくことが好きである。多くの場合それは始まりにおいては他愛もないことであることがほとんどであり、話し手との関係や場の雰囲気なんかで突然驚くほどの加速をみせて闇雲に螺旋階段を駆け上がっていく。そしていつもそういう話をしたあとに思うことは、なんだか結論は出るもんだ、ということである。にわかには信用されないかもしれないけれど、実際にそれをやってみた人はわかると思う。何かについて本当に真剣に話して、議論が煮詰まって「まあ答えがあるわけじゃないけどね」あたりに落ち着いて、それでも諦めずにしつこくしつこく話していると最終的に答えは出るのである。はいこれホント。そんでもってさらに興味深いことは、そういう結論を結論だけかいつまんで第三者に伝えたところでまったくもって意味を成さないということである。いやマジでこれホント。  そのようにして話がなんらかの帰結を見せると、しばしばその帰結は新たな起点となってステージを変える。要するに解かれた謎がまた新たな謎のパーツとして機能し始めるのである。もはや自分がヤバい話を始めているような気にさえなってきたが、なんせ今回はテーマがテーマだから気にしないことにする。要するに話はどんどん大きくなるわけだ。 たとえばなんでもいいのだけれどポテトチップスの話をしているとしよう。そんでポテトチップスに対する話はいつの間にか消費と生産という話へ土壌を移す。つぎにそれはソフトとハードの問題に置き換えられ、さらに突き詰めて巡り巡っていくと、よくあるパターンであれば「それが生きるってことだろう」というあたりへ流れる。ただし、これを字面だけ追って軽んじてはいけない。ここで「生きるってことだろう」というのは、話を総括するわけでもお茶を濁すわけでも無理矢理に誰も異を唱えることができない地点に答えを導くわけでもなく、どうしようもなく選ばざるを得ない確固たる解答としての「それが生きるってことだろう」なのである。いわば「まあ、それが生きるってことでしょ?」というわけじゃなくて「それが生きるってことだろう!」ということなのである。なんだかわからないが書いてるうちにテンションだけは上がってきたぞ。  そんでもってポテトチップスから始まった話に生きる肯定を感じてしまった座の一同は、それが勘違いだろうと幻想だろうとその解答を本当に受け入れるわけである。それでつぎの日に意気揚々と日々を過ごすかというと、それはまたそう簡単にはいかなくて第三者から見れば全然意味ないじゃんということに往々にしてなってしまうのだけれども、それはそれでまったく構わないわけである。さて問題は座の一同がさらに加速してしまって「生きる」あたりの結論では満足しない場合である。要するに「もう一軒行くぞ、もう一軒!」というやつである。あ、断っておくけれどこういう場合は絶対にしらふである。もともと僕は酒が飲めないのだけれど、酒の入った座でこういうことを始めると「それが生きるってことだろう!」ということにはなんなくて「まあなんか生きていきましょーよ」みたいなことになってしまってダメである。話をもとに戻すとたいていの話は「生きる」ということへ流れ着いて、それでもまだ進むとなると、それがつまりやはり宇宙なのである。ええと、大丈夫かな、これ。  ともあれ話はけっきょく宇宙の話になるわけである。これはまた驚くべきことでもあるし、考えようによっては当然のことである。ポテトチップスの話も、好きなあの娘の話も、最近は蚊が少ないという話も、あいつのシャツの柄は理解できんという話も、iモードってどうなのって話も、結局はすべて宇宙の話になってしまうのである。あらら、ダメかもな、これ。無理矢理に鼓舞して続けるけれど、すべての話が宇宙へ辿り着いてしまうということは、すべての源を辿ると宇宙へさかのぼってしまうということと無関係ではないように思う。そして、酔っぱらいが自分が酔っぱらっていないということを証明するために突然自分の住所を諳んじ始めることのようにして僕なりに正当性を主張するために提出するとすると、それは単純に知識の問題なのではないかと思う。  世界はビッグバンから始まったということになっている。なんだかもう、書いてて笑っちゃうフレーズだけれど、一応真面目に書いています。ええと、世界はビッグバンから始まったということになっている。それは僕が自分で確かめたわけではもちろんなくて、そういうことになっているらしいと理解しているということだ。もちろんここに疑いを挟むことはできるのだけれど、実際問題それは不可能なことである。端的に言うとビッグバンを疑うためにはビッグバンを理解していなければならない。あるいはなんらかの霊感のようなものでもって自分だけがただ一つの真理を閃くという手もあるけれど、それをビッグバンと同じ土俵でもって比較するとなると結局はビッグバンを理解しなければならない。そこに至る苦労や途方もないし、誤解を恐れず言えば苦労がどうこう言うよりそれ自体に僕はさほど興味はない。つまり世界はビッグバンから始まったことになっているということがゲームの原初的なルールなのである。だから極端な話だけれど、明日どこかで国際的な学会かなんかがあって、そこでもって突然「ビッグバンはウソでした。デマでした。世界は向かい合う二匹の象の背中にあって、その象は巨大な亀の上に乗ってました。これからはこれで行きます」などと発表されてしまったら僕のポテトチップスの話はとんでもないことになってしまうのである。うわ、ダメだろう、これ。  本当にヤバそうなので多少スマートに行きましょう。つまり宇宙は神秘の源であって、強い憧れを抱かずにはいられないのです。おやおや、ぜんぜんスマートじゃないぞ。  たとえば数年前にペプシが「宇宙旅行プレゼント」みたいな企画をやりましたよね。あれを見て、僕なんかは本気で「行きたい!」と感じてしまうわけです。それは前述した「生きるってことだろう!」のニュアンスと同様に、「宇宙にでも行きてーなー」というものではなくて「宇宙に行きたい!」という強い意志を伴った選択なわけです。誰かがどこかで仕入れた出所不明の情報でもって「どうやら五千万円あれば宇宙に行けるらしい」などと言うのを聞けば、「・・・五千万円かあ」とやや遠い目をしていろいろ計算してみたりするわけです。それは僕にとって当然のことであるのだけれど、どうやら世の中においてはそれほど多数派というわけではないらしい。  たとえばこのサイトの主催者であるメガネくんことオリタ君は、そういったことに無頓着である。僕がいくら「宇宙ってドキドキするよね!」みたいに言ったところで「へー宇宙ねー」というくらいのことしか言わなくて、頭の中はCDジャケットの配色とマックのバージョンアップと週末の小旅行のことでいっぱいである。けしからん輩であると怒鳴り散らしてコーヒーテーブルをひっくり返してしまいたいところであるが、どうも最近こういう人って多い。というか、「え、そうなのか」という感じがしないでもない。  女の人はよくわからないけれど最低限ふつうの男の子であれば、秘密基地や推理小説や図鑑の断面図と同じようなワクワクでもって宇宙に興味を持つのが当然であろうと僕は考えていた。実際、どっちが先なのかわからないけれど僕は小さいころからそういうものが好きであった。代表的な星座の名前を当たり前のように覚えたし、プラネタリウムは映画館やボウリング場よりも遙かに未知なる魅力を持っていた。潮の満ち引きが月との引力のせいだと知って得も言われぬ神秘を覚えた。冬が夏に勝る決定的なものは鍋の美味さと夜空である。ポートピアはそれほどでもなかったけれど宇宙博には死ぬほど行きたかった。ネッシーや雪男よりもUFO特集のほうが怖かった。NASAの四文字には無条件でうっとりとしてしまう。物理は嫌いだったけれど、クオークとか素粒子の話になるといくぶん宇宙と地続きだから理解したくなる。光の速度に近づくと時間が遅くなるだなんて、いろいろ考えずにはいられないじゃないか。流れ星を愛している。銀河系が集まったものを銀河団と呼ぶんだって? 降参、降参。  ええと、かくもにぎにぎしくお届けしてきましたが、僕にとって宇宙とはそのようにして圧倒的に魅力を放つものであり、かつまた非日常的な憧憬ではなくあくまで日常に根ざした壮大な仕組みとして機能している道しるべなわけです。非常に前後の文脈なく書き殴りましたがやはり前後の文脈なく終わります。くり返しますが、この乱暴さが宇宙に対して書くという暴挙と引き替えにする僕の敬意なのです。つまり、宇宙リスペクト! だめだこりゃ。 −−次回(FFF vol.17)のお題は 【アイドル】です。 いわゆるアイドルタレントでも、自分にとってのヒーローでも ビリーアイドルでも、「アイドル」ならなんでもOK! テーマはいきなり柔らかくなります(オリタ) このコラムの筆者、永田氏に励ましのお便りを出そう! メールはFFF@mochiya.nuまで! VOL.17 アイドルについて text:永田泰大  アイドルといってまず思い出すのは小学校のときの下敷きである。たぶん高学年になるころだと思うのだけれど、プラスチック製の透明な下敷きの中に自分の好きな切り抜きの写真などを入れるのが流行った。マンガの口絵を切り抜くやつもいたし、スポーツ選手の記事を入れるやつもいた。しかし、もっとも一般的だったのはアイドル歌手の切り抜きであった。それはとくに女子に多かったが、男子が好きな女性アイドルの写真を下敷きに挟むこともさほど珍しいことではなかった。ところでそれが僕にはできなかった。  ではアイドルが好きではなかったのかというとそれも少し違うように思う。というのも、僕に応援すべきアイドルがいなかったことは事実だが、下敷きにそれを挟むクラスメートたちが僕に比べてことさら熱心だったとも思えないのだ。彼らはもっと気軽にアイドルの写真を切り抜いたし、部屋を訪れれば何かの付録のポスターが貼ってあったし、カバンには蛍光のペイントマーカーかなんかでアイドルの名前が(決まってローマ字で)記されていた。多くの場合それは熱狂的なものではなく、放課後に新しい遊びが流行るような気軽なものであったように思う。その証拠に下敷きの中のアイドルたちはある日突然別人に取って代わったりした。たぶん、小学校のとき下敷きに挟むアイドルなんて誰でもよかったのではないかと思う。  ところでそれが僕にはできなかった。理由というと至極明快で、恥ずかしかったのだ。かといって小学校時代の僕が際だってナイーブだったわけではない。自分で認識している限りでは、そのころの僕は至ってふつうの快活な小学生であった。腕白とはいわないがいまと変わらず娯楽指向が強かったし、ドッジボールに興じたし、子供だましの流行にあっという間に流されたし、ケンカもしたし仲直りもした。ところがアイドルの写真は恥ずかしくて下敷きに挟めなかった。  いまゆっくりとその理由を探してみると、それはクラスの好きな女の子を白状することと似ていたのではないかと思う。なんというか、ちっぽけではあるけれども男の子のプライドのようなものであったように思う。かといって好きなアイドルを公言するクラスメートたちを蔑んでいたかというとそれも違っていて、あっけらかんと信望するアイドルの名を上げてポスターを貼ったりする仲間たちに少なからず憧れのようなものも感じていた。喜々として情報を集める友だちたちは楽しそうだったし、中学高校と進むに連れて高まっていく娯楽性はときとしてはっきりと羨ましく感じるものだった。  しかしやはり僕は自分の恥ずかしさを無視することができなかった。現在に至ってもそれは変わらない。いまとなってははっきりとその「恥ずかしいという感情」が自分を形作る一部分となっているのを感じる。僕は、あのとき下敷きにアイドルを挟めなかった恥ずかしさをけっきょくいままで引きずっているということになる。なんだかちょっとくらくらする話だ。あのとき僕が楽しそうな友人たちの流行りに乗じて「えいやっ」と下敷きにアイドルの写真を挟んでいれば、いまの嗜好はなにかしら変わっていただろうと思う。  こう書くとなんだかかっこよすぎるような気がするが、それを長年続けた当人から言わせてもらえばちっともそれはかっこよくないのである。たとえば誰かと話していて「好きな芸能人って誰?」みたいなことになるとすると、僕はそこでいまでもこう答えなければならない。「いや、べつに、とくに」。これはもう答えとして最悪である。論外である。鼻持ちならない気取り屋である。木で鼻をくくったような態度である。骨川スネオである。出来杉太郎である。大きなつづらを選んでひどい目に遭うイジワルじいさんである。そしてそれを個人のレッテルとして自業自得と引き受けるとしても、それ以上にそこに居合わせる人たちに対して失礼である。座のテンションを下げることこの上ない。話の流れを重んじる僕だからこそ強く理解するのだが、そこはサラッと流すところなのだ。そんなところで個人的なポリシーを主張するべきではないのだ。「いやあ、田中麗奈はかわいいな」とか「釈由美子が気になって」とか軽く答えてつぎの人にマイクを譲ればいいのだ。何もかもわかっちゃいるのだ。ところが僕はいまだにそれができずにいるのである。  こんな僕ではあるが、つかの間のアイドル体験をしたことがあった。数年前にイギリスでスパイスガールズという5人組のアイドルがデビュー曲を大ヒットさせた。僕はその『イフ・ユア・ビー・マイ・ラバー』という曲をかなり気に入っていて、CDは買わなかったけれどケーブルテレビで流れるミュージッククリップを口ずさみながら眺めてたりした。そしてある飲み会かなんかで、「スパイスガールズっていいよね」みたいなことをペロッとしゃべってしまった。もちろんこれは口が滑ってしまったわけではない。僕は僕なりに恥ずかしくない要因をいくつかスパイスガールズに見出していて、無意識に周到なチェックをこなしたうえでそう口にしたのだと思う。それはずばりいって逃げ道を用意しての発言であって、そう考えてみると我ながら狡猾であり、腹黒くズルい発言である。どっちにしろ他人からすればどうでもいいことなのだろうけれど。  ともあれ僕がスパイスガールズに感じた恥ずかしくない要因は以下のようなものである。まずデビュー曲がキャッチーなフックを持つ優れたポップソングであること。日本人ではなく外国人であること。そして、個人ではなくグループであること。それらの要因を僕は勝手に逃げ道として、恥ずかしさを感じることなく「スパイスガールズっていいよね」と口にしたのだ。  するとその場にいた一人がそれに反応して、「ああ、そうなの。じゃあ店に余ったグッズがいっぱいあるから今度あげるよ」というようなことを言った。彼女はそのとき吉祥寺のタワーレコードでアルバイトをしていたのだ。後日、彼女はスパイスガールズのサンプルCDとプロモーションビデオと何種類かのポストカードをなにかのついでに僕に届けた。正直いってそのときはとくにうれしくもなかったが、なぜかポストカードがちょっと気になった。試しに、僕はそのポストカードを姿見のところに飾ってみた。  なんともいえずうれしい気分になった。  この期に及んで恥ずかしさからウソを言う気はないのだけれど、それはスパイスガールズを身近に感じたとかそういうことではない。アイドルを手軽にピンナップするという初めての体験がうれしかったのだ。昔からこっそりと憧れていたアイドルを身の回りに飾るという娯楽を、僕はいろんな周到さとちょっとした偶然によりこっそりと体験することができたのだ。人が見れば馬鹿馬鹿しいと呆れるような恥ずかしさを、人が見れば馬鹿馬鹿しいと呆れるような周到さでもって回避して、僕は初めてアイドルをピンナップした。誰かが僕の部屋に遊びにきてそのポストカードを見つけ「なにこれスパイスガールズ?」とでも質問すれば、僕は「いいでしょ?」と例の憧れ続けていた軽さでもって答えた。些細でも、馬鹿馬鹿しくても、それはやっぱり僕にとって初めての楽しさだった。  スパイスガールズが出したセカンドシングルはちっともいい曲ではなかったから、僕のアイドルごっこはすぐに終わった。けっきょくCDも買わなかったし、例のポストカードもいまはどこにあるのかぜんぜんわからない。そのようにして、僕は少しだけアイドルの楽しさを垣間見たのだ。予想したようにそれは娯楽としてはっきりと楽しかった。このコラムを書いたことを機会に、もう少しそういう楽しみを広げてみてもどうかしらとも思うが、けっきょく僕はそれをできないのだろう。なにしろ僕はそのように形作られてしまっているのだ。ときどきの立ち位置は変えられるにせよ根本的なスタンスを変えることはなかなか難しいのだと思う。にしても、ある日突然会社のパソコンの壁紙を奥菜恵かなんかにしておいたら会社のやつらは驚くだろうな。 −−次回(FFF vol.18)のお題は 【おとな】です。 年齢的にも社会的にも、もうすっかり“おとな”な エヌ氏の考える“おとな”とは如何なるもの!? 成人式のシーズンにもあわせたテーマでお送りします (オリタ) このコラムの筆者、永田氏に励ましのお便りを出そう! メールはFFF@mochiya.nuまで! VOL.18 おとなについて text:永田泰大  おとなになるということはどういうことなのか、あるいはそもそもおとなとはなんなのかということを考えるときにやっかいなのは、おとなになるということはどういうことなのか、あるいはそもそもおとなとはなんなのかということについて思うことが、おとなになるにつれて変わっていくということだ。なんだかのっけから早口言葉のようで申し訳ない。  たとえば僕はそれについてまず一応の答えを出した18歳の夏のことを覚えている。なぜ18歳の夏と限定できるかというと、それは僕が初めて行った夏期講習の最中だったからだ。話はいきなり脱線するけれども、このコラムを書くようになって、よくもまあ僕はいろんなことを覚えているものだと我ながら呆れることがしばしばである。もっともそれは僕だけに限ったことではなくて、多かれ少なかれ人はなんの役にも立ちそうにないくだらないことを割合きちんと覚えているのだと思う。たとえば小学校のときの大して友だちでもなかった女の子のフルネームとか、お祖母ちゃんの家の古い柱に掛かっていた緑色の蠅叩きとか、ずっと昔に語呂合わせして覚えた電話番号とかさ。そういうことって、平素はまったく必要がないからまず思い出さないけれど、必要とあれば意外ときちんと思い出すものなのだと思う。そこで怪訝な顔をしているあなただって、「小学校のときのクラスメートのフルネームを答えると、生涯賃金が倍になります!」とか言われたら案外簡単に答えられるのだと思うよ。  ともあれそのとき僕がおとなについて漠然と思っていたことは、幾分逆説的なことである。もちろん「おとなとは何か?」なんて真剣にテーマを持って考えていたわけではない。何しろ、そういう年頃っていろいろと後悔することが多いから、僕はぼんやりと、そういうことをなんとか未然に防ぎたいものだなあと思っていたのだ。後悔というと大仰だけれど、それはもう種々雑多なもので、実際に大仰なものからちょっとした気の迷いまで本当にさまざまである。要するに「進路をどうするのか?」といった割とその後の人生に影響を及ぼしそうに見えるものから、「昨日のあの一言はないだろう」といった馬鹿みたいなことまでを含んでいるということだ。端的な例で言うと、半年前の自分が写ってる写真を見て「うわ、かっちょわりい」と思うようなこと一切合切だ。  そういうことが日々あるたびに、そういうことはやめようと僕は思っていた。まあ、書くほどのこともないほど真っ当な反省だと思う。そして つぎにこんなふうに思った。昨日の自分を後悔するよりも、一昨日の自分を後悔するほうがまだましなんじゃないか、と。つまり、後悔を始めた地点から、後悔の対象となる地点までの距離が長ければ長いほど、いくらかましなんじゃないかと思ったのだ。おおざっぱに言うと、それが当時僕の考えていたおとなということなんじゃないかと思う。繰り返すけれど、「その距離が長い人ほどおとなである!」みたいに考えていたわけじゃない。どちらかというと、「そういう、より恒久的な嗜好が増えていくような成長をしたいものだなあ」という希望に近いものだった。またしてもくどくどと説明するけれど、なんでまたそんな漠然とした考えを思い出せるかというと、その考えはある特定の対象に関連づけて記憶されているからである。  それは服である。もっと限定するとジーパンである。そのころ(例によってくらくらする話だけれど15年近くまえのことだ)、僕らが遊びに出ていた街の片隅にハリウッドランチマーケットができた。僕はそこで初めて古着という概念を知った。何しろ当時はDCブランドブームの真っ直中だったから、そういうものが価値を持つのだということが地方の学生である僕にはいまひとつよくわからなかった。もちろんBOONなんて影も形もないころだ。しかし、僕はそこで売っている色落ちしたジーパンに興味を覚えた。具体的に言うと、欲しいと思った。うろ覚えだけれど、一万円で十分お釣りがくるくらいの値段だったと思う(もちろん当時は大金だ)。それでけっきょくどのくらい悩んだか覚えていないけれど、僕はそれを買った。あ、またしてもつられて思い出してしまった。そのころのハリウッドランチマーケットはとてもスカした店だったのだ。そんで、放課後学生服のままで僕らが店に大勢で入って「なんでこんな古びたもんにこんな値段がついてんだ?」みたいなことをしゃべっていたら、店の兄ちゃんに「買わないなら出ていってくれ」みたいなことを言われたのだ。だから仲間うちではあの店に行くことはちょっとした裏切りのような雰囲気があって、それでジーンズを買うときも少し後ろめたかったのだ。やれやれ、何から何までかっちょわるい話だなあ。おとなも何もあったもんじゃないや。  ともあれ僕は十代の後半に初めて501の古着を買って、それは以後かなり酷使されることとなった。くだらないDCブランドのシャツを買って、1年後にあまり着なくてもったいない思いをするのに対して、その501は以後ずっと現役であり続けた。それで僕は「こういう、より恒久的な嗜好が増えていくような成長をしたいものだなあ」とぼんやり思ったのだ。それは理想に近づくというよりも、そうじゃないとお金がもったいないや、という必要に迫られた感じだったように思う。かっちょわるい話が続いて申し訳ないけれど。  さて、そんなふうにして、おとなというものは移ろい続けていくものである。それをいちいち列挙していくとまた大変なことになってしまうのでそれはやめておくとして、割と新しい、個人的に思う暫定的なおとなについて書こう。ていうか、ここからが本編なのだろうか。もうなんだか毎回こんなでヤんなっちゃうなあ。    手短に行こう。それは例によって誰かと真剣に話していたときのことだ。前々回のコラムを引用するならば、結論がとにかく「宇宙だ!」となってしまうような熱心極まりない応酬のときのことだ。ステューピッドなトークのさなかだ。深夜を深夜とも思わぬ傍若無人な羅列の果てだ。コーヒーでガブガブになった胃袋を抱えながら「コーヒーおかわり」と言ってしまうような吸い殻だらけのワンダーパラダイスにおける一幕だ。毎度話が進まんなあ。ともあれ、「おとなってなんなのだ」ということになった。いきなりド真ん中の直球で男らしいというよりはバカバカしいが、そういうときってそれがバカバカしいとはちっとも思わないからタチがわるい。ええと、宇宙編で説明したように、そういう話をしていても、座が度を超えて熱心であると結論は出るものである。一過性に過ぎないにせよ、暫定の域を出ないにせよ、とにかく「おお!」ということになるものである。  そのときの結論はこうであった。「自分のために生きているのが子ども。人のために生きているのがおとな」。それがどんな場合も真実であるなどとはまったく思わないのだけれど、意外に当を得ている場合も多くて、正しいというよりは痛快で気に入っている。僕はあまり本を読まないので半端に引用するのはちょっと気がひけるけれど、沢木耕太郎さんの本を読んでいたときに「生命保険に入るということがおとなになるひとつの象徴である」というようなことが書いてあって、「そうなんスよ、沢木さん!」と共感したことを覚えています。  やれやれ、なんだかここんところ昔話ばかりですっかり老いぼれの世迷い言みたいなコラムになってしまっておるわい。腰が痛くてかなわんわい。もっとビビッドに時代を貫くような御題を頼むよ、オリタじいさんや? −−次回(FFF vol.19)のお題は 【借金】です。 ビビッド……うーん……と迷った結果 全く脈絡のないお題でおねがいします (オリタ) このコラムの筆者、永田氏に励ましのお便りを出そう! メールはFFF@mochiya.nuまで! VOL.19 借金について text:永田泰大  ふとした拍子に突然「あ、金貸してる」と思い起こすことはないだろうか。これは個人的なことかもしれないけれど、僕の場合「あ、金借りてる」というケースはあまり多くない。どちらかというと「あれ、返してもらったっけ?」のほうが多い。僕は借りた金を忘れるような不義理な男ではないのだ、と続くとなんとも男気あふるる感じでいい感じなのであるが、残念ながらそういうわけでもない。「ああ、ごめんごめんごめん」なんてことも、やっぱり年に何回かあるのである。  そもそも人は貸した金を覚えているタイプと借りた金を覚えているタイプがいるのだと思う。というよりは、どちらを覚えていることが得意なのかということだろう。僕の場合、というか割と多くの人がそうだと思うけど、どちらかというと金を借りていることに関してのほうが敏感なのである。敏感というか、ぶっちゃけった話、「ああ返さなきゃな返さなきゃな」ってな具合に、非常に恐縮しちゃうのである。  だから、貸した金よりも借りた金のほうをよく覚えている。だから「あれ?」となるのは往々にして貸してるときなのである。しかしここで注意しなくてはならない。借りた金は強く記憶しているようにしているが、ひとたび忘れるとなるとそれは本当に思い出すことが難しい。というか、借りた金を忘れている場合は、記憶し損ねているケースが多いのである。つまり、思い出すも何も端っから覚えていない。これは非常によくない。むしろ論外といって差し支えない。問答無用である。悪役商会である。青汁三昧である。  だからふと考えて恐ろしくなることがある。ひょっとしてけっこう僕は金を返しそびれていたりするんじゃないだろうか。もちろん僕は基本的に大金を借りるということをほとんどしないから、その人の生活を圧迫するほどの借金を抱えてはいないだろうと思う。しかし、だからこそ先方も催促することをためらうような微妙な額の金をすっかり忘れてたりするんじゃないだろうか。しかもそれがけっこうあちこちにあったりして、いろんなところにちょっとずつ迷惑をかけてたりするんじゃないだろうか。ある日突然方々から「あれそろそろ返してくんない?」みたいなプチ借金取りが押し寄せて、積もり積もってたもんだからえらく困窮するはめになるなんてこともあるかもしれないわけだ。ぶるぶるぶるぶる、こりゃまたどうすりゃいいんだろうか  と、ここまで書いて思ったのだけれど、ちゅーことは逆のパターンもあるわけだ。ちょっとしたお金を誰かに貸してて、曖昧に記憶しているからこそなんだかそれを思い出せないってことだってあるだろう。どうせ少額だから先方も僕同様につい記憶し損ねていて、双方ともに忘却の水平線へ封印なんてことがあるんじゃないだろうか。しかもそれがけっこうあちこちにあったりして、全部合わせると一財産になります、なんつー可能性だってあるわけだ。ある日突然方々から「ごめん借りてたよね?」みたいな感じで福の神が遠路はるばるわんさか押し掛けて、一夜にして巨万の富を築き上げて税金対策に頭を悩ませるなんてことだってあるかもしれないじゃん。ないかな? いや、ないな  などと書いているとすっかり自分が金の管理にルーズな男のような気がしてきたが、むろんそんなつもりはない。僕によれば僕の中で僕の収支はピタリと合っているはずなのである。いま必死に思い起こしているのだけれど、いわゆるローンやクレジットカードでの買い物などを除けば、先方に貸した金も先方から借りた金もゼロだというのが2001年5月現在の僕の借金状況であるはずである。そうであるはずである。念を押して2度書くあたりが不安の表れである  書けども書けども不安は尽きない。堂々巡りのしゃれこうべとはこのことである。だからこそこの場を借りてお願いしたいことがある。もしここを読んでいらっしゃる僕の知人関係の方で、僕に少額なりとも金を貸しているという人がいらっしゃいましたら、どうかひとつお願いですからためらわずこの機会に僕に催促していただけませんでしょうか。メールの入り口はこちらであります。さすがに「おとといお前に200万ほど貸したぞ」などという出鱈目は受け付けませんが、申し出に対しましては誠心誠意前向きに尽くす所存でございます。皆様方のご健康ご幸福を心よりお祈り申し上げております。本日はお足元のお悪いなかようこそいらっしゃいました。高い席からではございますが、終わりの言葉と代えさせていただきます。ところでオリタ君、金貸してなかったっけ? −−次回(FFF vol.20)のお題は 【システム】です。 もう思いつかないので、勢いで決定しました 解釈は自由!(オリタ) このコラムの筆者、永田氏に励ましのお便りを出そう! メールはFFF@mochiya.nuまで! VOL.20 システムについて text:永田泰大  システムについて書けと言われた場合、多くの人の頭の上にはクエスチョンマークが3つほど明滅を繰り返すはずである。もしも短気でプライドの高い人であれば「失敬する」と言って席を立ちかねないし、極めて人当たりのよい人であっても「あのう、それはどんなシステムに関することでしょう?」と問い合わせるのがふつうだ。  ところがこのサイトの管理者であり、無類の小旅行好きであるオリタ氏は「とにかくシステムについて書いてくれたまえ」と言う。いまだに数年前のPHSを使い続ける暗黒の短髪デザイナーとして著名なオリタ氏は「四の五の言わずにシステムについて書きやがれ」と言う。メガネくんのわがままぶりにもまったく困ったものであるが、過去に仕事でいろいろと無理を聞いてもらっている手前、むげに断るわけにもいかない。へそを曲げるとショルダーバッグから中古CDのディスクを取り出してビュンビュン投げ飛ばし始めるから、書けませんというわけにはいかない。長いものとメガネのデザイナーには巻かれなくてはならない。  それにしたって、つかみ所のない話である。  ひとくちにシステムと言ったって、たとえば「推奨システムは8.6以上」という場合と「フィジカルなダンス、メンタルなダンス、システムの中のディスコティーク」という場合では、およそすべての話の前提が変わってきてしまう。ちょっと思い立ってネットの検索サイトで“システム”を探してみたら、0.45秒で516万件もヒットしてしまった。僕がこのコラムを書くに当たって2ヶ月のあいだ悩み続け、「システムシステム……」とぶつぶつ呟きながら新宿界隈をさまよっていたのも無理からぬことといえよう。  ところで近所にSという鳥料理屋がある。最近できた店で、あまり上品とはいえない繁華街の外れにあるが店の雰囲気そのものはよく、何を頼んでもほとんど美味しい。極端に安いというわけではないが十分に納得のいく価格設定で、店員の態度もよく、とくに混雑するでもないから僕は知人とときどき訪れている。  つまりお気に入りの店と言って差し支えないわけだけれど、100点満点をあげられない理由がひとつある。過去何度かこの店を訪れたとき、3度ほど同じトラブルに遭遇したのだ。あっさり言うと、それは“なぜか注文した品が一品だけしつこく出てこない”というものである。  そんなことよくある話じゃないか、と思う人も多いと思うけど、述べたようにどうにもそれはしつこいトラブルなのである。たとえばビールのおかわりが来ない。よくある話だ。それで適当にそのへんにいるオニーサンだかオネーサンだかをつかまえて「ビールが来てません」と告げる。よくある話だ。そのオネーサンだかオネーサンはとても愛想がよく、「申し訳ございませんただいまお持ちします」かなんか言ってバタバタと下がっていく。ところがビールのおかわりが来ない。しょうがないからもう一度催促すると、同じように「申し訳ございません」〜バタバタ下がる、が繰り返される。しかし驚いたことにビールのおかわりは出てこないのである。  先日、ついに3度目の現象に遭遇して知人とやや真剣に話し合った。どうにも不可解である。失礼な話だけれど、たとえばこれが店員の態度が恐ろしく悪いような店なら話は早い。この店はなんだかなあ、ということになって再びその店を訪れなければそれで済む話なのである。しかしこの店の店員はかなりレベルが高そうに見えるのだ。そのうえ店の雰囲気もいいし、活気もあるし、店員の数もそこそこ多いし、入り口やレジで待たされることもない。ところがひとたび注文が滞ると、どうやらそれをリカバーできない。いろんな原因が考えられるけれど、我々の結論はこうだった。  「きっとシステムがよくないんだろう」と。  そんな感じでややあっさりと僕のシステムに関するコラムを終わります。少なくともここ最近で僕がリアリティーを持って感じたシステムは鳥料理屋に関するものでした。それじゃまた。 −−次回(FFF vol.21)のお題は 【霊】です…ベタですみません。 お盆に間に合うといいなあ…(←独り言) (オリタ:PHSユーザー) このコラムの筆者、永田氏に励ましのお便りを出そう! メールはFFF@mochiya.nuまで! VOL.21 霊について text:永田泰大  秋は気づくといつの間にか始まっていて、ほかの季節に比べると決意や覚悟とは無関係に深まる。思いがけず蝉の声は止んでいるし、図らずも夜明けは遅くなっているし、意識すると店内で流れる歌はしっとりとした調子になっている。この曖昧な季節はいつも僕に深刻な長袖Tシャツ不足の現実を突きつける。そして長袖Tシャツを買いに街へ出る僕は、いつだってなぜかウィンドブレイカーやジャンパーを買って帰ってきてしまう。かといってそれは僕のせいだけであるとも思われず、そもそも街には魅力的なウィンドブレイカーに比べて魅力的な長袖Tシャツが少なすぎるのだ。  それで僕はいつもこの季節、半袖Tシャツの上にウィンドブレイカーやジャンパーを引っかけて過ごすことになる。それはほとんど息が白くなるころまで続く。秋はやはり夏と冬の間にあって、どちらかというと僕にとってはそれぞれの極端な温度が居心地悪く同居する時間としてある。来る冬や過ぎた夏に対して考えることは多いけれど、いま行く秋に対してはさほど考えない。そろそろ鍋の季節だ、とは思う。今年の夏は泳がなかったな、とは思う。秋の中を歩きながら、僕は冬と夏について思う。  そして互いの温度を行き来しながら、僕はふと何かに気づく。胸中に引っかかる未消化なかけらを感じる。それはいったいなんだろう。僕を捜しているのは誰だろう。闇の中を手探りするように、僕は秋の街を歩く。街路樹は紅葉とは縁遠く、吹く夕風こそが合間の季節を告げる。僕はポケットから梨味のハイチュウを出して口に放り込み、思い出し損ねた何かに向かって歩き続ける。そして眼前の赤信号が青く変わった刹那、僕の背骨を稲妻がバリバリと貫く。僕の頭上に豆電球がチカッと点り、さらにその上にあるくす玉がポンと割れて中から鳩がクルックーと飛び出す。秋の街に洪水が押し寄せ、津波となって真っ二つに避ける。そして彼の地に天空よりなんらかの神が光臨し、極彩色の虹を放ちながら僕に向かって真実を告げる。ああ、我、悟れり。  そうでしたそうでした!  お盆までに霊について書くんでした!  てなわけでびっくりコラムの始まりである。もはや名物と化した言い訳グランドプロローグである。みなさん今年の夏はいかがでしたか? 海には行きましたか? お盆といえば怪談ですね! なんともはや季節感のないことこの上ない。面目次第もござらん。かたじけのうござる。今週は侍口調でお届けします。  侍口調はさておき、霊についてである。常套手段としては自前の霊体験をひとつふたつご披露すればつつがなくスペースを埋めることができるだろうけれど、残念ながら僕には世界へ向けて発信するほどのショッキングな体験がなく、無理に書いたところで「へえ、そういうこともあるのかもしれないねえ」あたりの感想しか出ないことは想像に難くない。平たく言えば霊感に優れないわけであるが、まるっきりないかというとそうでもなく、なんとなくそういった場に居合わせるといったこともないではない。なんとも歯切れの悪い文面で申し訳ない。  そんなわけで体験には乏しい僕だが、霊に関して否定的であるかというとそうではなく、そういう体験が豊富な人から不思議な話を聞くのはわりと好きである。最近そういうこともあまりないけれど、泊まり込んだ先でなぜか怪談大会になるなんてこともよくあった。もちろん僕が披露する霊体験は「あるのかもしれないねえ」程度のものではあるのだけれど。  そういう場で披露される怪談について思うのは、スネークマンショウではないけれど、いいものもあるし悪いものもあるということである。要するに、上手い怪談もあれば下手な怪談もあるということだ。上手い怪談がどういうものかというとこれはやはり本人の体験に限る。怖い怖くないはさておき、本人の口から語られるあまりにも日常と地続きなそれは、体験であるゆえに虚飾や演出がなく、何より語り部のエゴが見えないから事実がより重みを増して不思議な気分にさせられる。とくに思いもかけず大したオチもないままカットアウトされたりすると、「やっべー」ってなことになってしまう。  対して、下手な怪談は必ず「聞いた話なんだけどさ」で始まる。「俺の先輩がさ」とか「姉貴の友だちがね」というのも同義である。「バイト先の先輩の彼女の話だったと思うんだけど」みたいな始まりはもうアウトである。せめて誰から聞いたかだけでもはっきりさせてもらいたい。そういう話に限って語り部はオチしか覚えていない。だいたいのアウトラインしか覚えてないのに俺も俺もと話し始めてしまうからやっかいなことになる。「ところがそのあとに車で行ったらね、あ、違う、先に電話で確かめたんだ」みたいに話が前後してしまう。こっちはどこで息を飲んでいいのだかわかりゃしない。そしてもっともタチが悪いのは「ぅぁぁああああっ!!」と大声を出して終わり、というやつである。なんだか白装束の女が振り向く瞬間だか廊下をミシミシ誰かが歩いてきて部屋をノックする瞬間だかに突然「ぅぁああっ!」だか「へゃあらわああっ!」だかわけのわからん声を出して「びっくりした? びっくりした?」と得意満面で座にニコニコ問い合わせるようなやつである。なんだか書いてたらそれだけで意味もなく腹が立ってきたぞ。ああいうのはホントやめていただきたい。ついでに言うと、すっごくクオリティーの高い不思議で怖い話を聞いたあとに「で、その後どうなったの?」と根ほり葉ほり聞くのもやめていただきたい。不思議な話に後日談なんて要らないんだよ。その後のこととかがよくわからないからこそ不思議なんだよ。まったくもー。って、ひとりで腹を立ててもしかたがない。  ところで世の中には上手い怪談と下手な怪談があると書いたが、どちらとも判別つきがたいのが友人イクシマの怪談である。これはもう半ば名物となっているのだが、イクシマの持ちネタに『スカイラインと木村さんの話』という仲間内で有名な怪談がある。これがもう、非常に怖い。怖いのだが、本当に怖いのかどうかはよくわからない。というのも、ぶっちゃけた話、この『スカイラインと木村さんの話』がどういう話なのか、何度聞いてもよくわからないのだ。正直、3回は聞いたと思うのだけれど、どんな話なのかいまだによくわからない。商売柄、僕は人の話を聞くことには長けているつもりなのだが、ささやかに培った僕の読解力を持ってしても『スカイラインと木村さんの話』がどういう話なのかここに再現できない。だいたいのプロットさえも伝えられないし、いつごろの誰の話かも漠然としている。なんだか高速道路が出てきて、前をスカイラインが走っていて、そのスカイラインのブレーキランプが目玉に見えるだか目玉になるだかして、話の主人公だかイクシマ本人だかが、スカイラインのブレーキランプもしくは目玉そのものに向かって「木村さんごめんなさい木村さんごめんなさい」とお祈りして話は終わってしまうのだが、こうして書いていても本当によくわからない。そのへんが怖い。さらに、語る本人はいつだって真剣で、どうにかこの怖さをわかってくれとばかりに力説する。力説するイクシマがまた怖い。とくに顔が怖い。けっこう彫りの深い二枚目で、ふだんはあまり羽目を外さないような男だからまた怖い。こっちも今度こそ理解しようと真剣に聞くんだけど、聞いている誰ひとりとして理解できないから怖い。そしてよくわからないながらも話はどんどん進み、やっぱり最後は「木村さんごめんなさい木村さんごめんなさい」で終わってしまう。ぜんぜんわからない。ぜんぜんわからなくて怖い。  最後に僕がもっとも好きな霊の話を。僕が中学校のときに祖父が亡くなりました。祖父の家は九州にあって、葬儀もその古い家で行われました。僕らは家族で祖父に最後の挨拶をしました。それは僕が始めて体験するお葬式でした。お坊さんがお経を上げて、近所の人がたくさん集まって、特別な匂いがして、不思議な感じのする一日でした。とても天気のいい日でした。式が始まる前だったか、式が一通り終わったあとだったか、とりあえず親戚一同でその古い家の客間に集まってお茶を飲んで、少しくつろいだ雰囲気になりました。姉はみんなにお茶を出したりしていました。台所から客間に向かうとき、祖父がまつられている奧の部屋がちらりと見えます。当時、その部屋の入り口にはお葬式用の暖簾のような布がかけれらていました。姉が暖簾の下をちらっと見ると、そこに誰かが立っている足が見えていたそうです。裸足で、白い着物を着ていて、姉は忙しいさなかですからあまり気にもとめませんでした。たぶん、それは祖父だったのだろうと思います。後日その話を聞いても不思議とあまり怖さは感じず、なぜだかちょっとうれしい気がしました。何しろ、それはとても天気のいい日でしたから。  次回は季節感のないテーマにしたほうが無難じゃないかしら、オリタくん? −−季節ネタではプレッシャーをかけられないことが 判明しましたので(笑)、次回のお題は【睡眠】で。 控えめに年内掲載希望! このコラムの筆者、永田氏に励ましのお便りを出そう! メールはFFF@mochiya.nuまで! VOL.22 睡眠について text:永田泰大  とくに告知しているわけでもないのだけれど、本州に上陸する台風の数くらいにしか新作がアップされないのだけれど、友人のページに間借りしているわけのわからんびっくりコラムなのだけれど、更新するとやっぱり覗いてくださる人がいらっしゃるようで、本当にこれはもうありがたいかぎりです。さらにはわざわざ感想のメールなど届けていただける博愛な方もままいらっしゃって、作者としては速度の緩さに恥じ入るばかりです。本当にどうもありがとうございます。  それでもって睡眠なのだけれど、率直に言ってこれはもう、たいへんよろしい。おおいに作者の好むところであるし、望むところだといわんばかりであるし、どっからでもかかってきやがれという感じである。つまり僕はぐうぐう寝るのが大好きである。  是非はともかく、二度寝や昼寝は至福であるし、会社でやむをえず取る仮眠もなんなくこなす。いわば僕は睡眠のスペシャリストといって過言ではない。いきなり注釈すると、会社でやむをえず取る仮眠というのはいわゆる居眠りのこととは違っていて、極度の睡眠不足から本当に数時間だけ浅く眠ることを指す。週刊誌の編集者でもないかぎりうまく想像できないと思うけれど、多くの場合それはイスの上で行われる。僕の周りでこれは「イス寝り」という通称で通る。  やはり話は序盤に脱線するけれども、イス寝りのやり方というのは個人によって異なる。もっとも一般的なのは「イス3個寝り」と呼ばれ、その名の通りイスを3つ並べてごろりと眠る。場所とイスさえ確保すれば素人でも容易であって、軽く開き直れば熟睡することだって可能だ。いわば3個寝りはイス寝りの入門編だといえる。上げる必要はまったくないのだが、あえて難易度を上げるとするとつぎにくるのはやはり「イス2個+ゴミ箱1個寝り」であろう。もはやこういった通称さえないのが本当のところであるが、要するにこれはイス2個に身体の大半を預け、伸ばした足の先のみをゴミ箱の上に乗っけて眠るやり方である。やはりこれは寝返り時の足下がおぼつかないことと、寝る人の足下を支えるゴミ箱の狭いスペースに向かって周囲の人間が無理矢理ゴミを捨てたりするので若干危険が伴う。となると当然つぎにくるのは「イス2個」となるのであるが、これはひどく難しいように思えてじつは身体を丸めれば存外に易しい。カタチさえ決まってしまえばむしろゴミ箱を使うより安定するとの意見もある。そんな意見が本当にあるのだろうか。さておき、こうなってくると「イス1個」はどうなるのかということになるだろう。さすがにこれは無理かと思いきや、話のついでに記しておくけれども、じつはなんと可能なのである。しかしながらやはり至難であり、はっきりいって人を選ぶ。むろん、退屈な授業よろしくイスにふつうに座って机に伏せて寝れば誰にでも可能であるが、ものの本によればこれは「机つっぷし寝り」と呼ばれ、イス寝りとはその根本的な性質を違える。ちなみに作者は「机つっぷし寝り」をすると両足のふくらはぎから下が極度に痺れてしまうため絶対にやらない。否、「イス1個」の話だ。述べたようにこれは至難であり、むしろ奥義であり、びっくり人間大集合といって差し支えあるまい。この奥義を身に付けた人間は僕の知る限りふたりしかいない。NさんとSである。しかもSが入社すると入れ替わるようにしてNさんが退社してしまった。うがった見方をすれば、この技を結果的に一子相伝の奥義であるととらえることもできるだろう。さて、その秘術を成り立ちから説明するとすれば、まずイスの背もたれに思い切り寄りかかる人の姿を想像してほしい。つぎに、その人の背中をどんどんどんどん後ろへ反らしていく。そうすると、あなたの頭の中でその人はついにイスを支点とした1本のしなやかな枝のようになってしまうだろう。そう、それが「イス1個寝り」なのである。これはまさしく奥義である。僕なんぞには会得できないどころかまず理解ができない。だって、どうしてそんな格好で寝る必要があるのだろう。いちばんわからないことは、イス1個を支点として棒のようになって眠る男の周りには、だいたいにおいて空いたイスがいくつも転がっているということである。なのになんで彼はあんな無理矢理な姿で眠るのだろう。しかもときどきチェックしてみると、奥義を極めた人はイスを中心に少しずつ回転するではないか。つまり、時間を追って真上から観察すると、だんだんに北を指して回転するコンパスのように徐々に動いているのである。これを奥義と呼ばずしてなんとしよう。そしてさらに奇妙なことは、この伝説の奥義を極めたNさんとSが、そろいもそろって180センチメートルを越す長身であるということである。つまりイスを支点として機能させうるヒョロ長い長身の男のみがあの荒行を体得しうるということなのだろうか。やはりそこに因果関係はあるのだろうか。ていうか、イスは余っているのになぜそれを使わないのだろうか。  例によってわけがわからなくなってきましたが、クールダウンしながら脱線に付け足していくとすると、イスで寝る姿はやはり個人によって多少の差異がありまして、たとえばMさんなどはうつぶせで寝ます。Hは片腕で自分の目を隠します。Oはいつの間にかTシャツ1枚になります。自分の話をすると、僕はイスで寝る場合、どうしても両腕を持て余してしまう。身体の側面にぴったりとくっつけて「気をつけ」の姿勢で寝てみたり、お腹の上で組んでみたりしてみたがどうもしっくりこない。そこで僕が編み出したのは、両腕を胸の上で交差させ、右手で自分の左肩をつかみ、左手で自分の右肩をつかむようにして組むというやりかたです。こうすると腕が固定されるわりに力は必要とせず、意外に胸を圧迫しないためたいへん具合がよろしい。しかしこのやり方は周囲から見ると異常な寝方と映るらしく、ほどなく「永田のファラオ寝り」という神秘的な通称を拝することとなりました。最近はさすがにやらんけどね。  そういった特殊かつ無理矢理な寝方ではなくて、うっとりするような睡眠ということでいうと、たとえば休日の夕方である。昼間のスポーツ中継などをだらりだらりと観戦し、どんどん試合が終わっていって、けっきょく首位が7打差で独走するようならゴルフ中継くらいしか観るものがなくなっていって、日がかげってくるころになんだかうとうとと眠くなってきて、おいおいここで寝ちゃあいかんぞ、変な時間に目が覚めるぞ、などと葛藤しながらときどき無理矢理目を覚ましたりするのだけれど、最終組が17番ホールに入るころにどうにもたまらなくなってしまって、まあいいや、ということでふらふらと歩いていって、ばたんと布団に倒れ込むような眠りである。窓の外から遊ぶ子どもの声とかがときどき聞こえてくるようなふわふわとした落下である。どっちに寝返りを打っても気持ちがよいような柔らかいフェイドアウトである。これはもう、非常によろしい。そういう人に私はなりたい。  あるいは、何かの用事を終えて40分ばかり乗らなくてはならない冬の電車である。あまり馴染みのない地下鉄かなんかのホームで待っていると意外に早く電車が滑り込んできて、乗ると車両には乗客が数人。車両の頭かお尻の3人掛けの席のドアよりに座ると座席の下から少し暑いくらいの暖房。とりあえず読みかけの文庫本だかやりかけのゲームだかをバッグから取り出して読んだり操作したりするものの、ゴトンガタンという規則正しい揺れと音になんだかふわふわうとうとし始めて、左手の肘を金属の手すりにかけて枕のようにして頬を乗せる。つぎはゴショミガハラ〜ゴショミガハラ〜、などというあずかり知らぬ駅名を告げる車内放送がだんだんだんだん遠ざかり始めて気づくと軽い夢を見ている。螺旋は少しずつ下りていくが、それでいて電車の音は必ず聞こえていて、思えば意外に深く眠りに落ちている。ややしばらくそこの居心地を満喫し、何かに弾かれるようにバシっと目を覚ますとまさにそのとき目的の駅に差し掛かった電車がスピードを落とすところであった。ああ、そういう人に私はなりたい。  なんだか書いていたら本当にうっとりとしてきてしまったが、どうも僕はそういった、本来眠るべきではないようなところで思いもかけぬ睡魔に襲われてやや抵抗するが状況的にも時間的にもさほど問題がないように思えたのであっさりと降伏してふわふわまどろむ、といった眠りを好むようです。だいたい朝方に睡眠についてわけのわからんことを書いてないですぐにでも睡眠をとりたまえよ俺、とも思う。冬の遅い日の出が朝ベッドに入る罪悪感を緩和することに少しだけ感謝しつつ、また次回。年内にもう1回ぶん行けるかもよ、オリタ君? −−めでたく年内更新を達成したところで 勢いに乗ってもういっちょお願いします このコラムの筆者、永田氏に励ましのお便りを出そう! メールはFFF@mochiya.nuまで! VOL.23 名前について text:永田泰大  名前について考えるときにいつも気になってしまうのが「名前らしさ」というやつである。というのも、登録することや一般に浸透させることを目的とするのなら話は変わってくるが、名づけるというだけならば本来名前は自由であるはずで、いわばそれは言ったもん勝ちの世界であるはずなのである。ところが我々は何かに名前をつけたり何かの名前を聞いたりするとき、いつの間にか「名前らしさ」というものにしばられしまう。というよりもむしろ、「名前らしさ」というものからいかに逸脱するか、あるいはいかに「名前らしさ」のド真ん中をつくかということが、名前をつけるという行為の意義であるのかもしれない。  こりゃまたややこしくなりそうだわい、ということで早くも路線変更するが、このへんはさすがに我ながら手慣れたものである。日々コレ修正の我が人生である。3歩進んで2歩下がるのである。着流し姿でワンツーパンチである。ええと、要するに、たとえば『甘栗むいちゃいました』ってどうなのよ、ってことだ。お菓子の名前で「むいちゃいました」って言われても困るわけなんだけど、じつは困るのは最初だけで、ひとたび『甘栗むいちゃいました』が浸透すれば、「コンビニ行くなら『甘栗むいちゃいました』買ってきてよ」などと普通に使ってしまうわけなのである。そんでもって普通に使いだしてしまうと、『甘栗むいちゃいました』の第2弾として『ふっくらあずき できちゃいました』が出てもまるで驚かないし、『ひとくちおいも焼いちゃいました』が店にあっても、「ああ焼いたんだね」と思うくらいでまったくもって当たり前に商品として認識してしまうわけなのである。  つまり我々は、たとえばお菓子ならお菓子の「名前らしさ」という概念をいつの間にか作ってしまっていて、『甘栗むいちゃいました』と言われたときに「おいおいそれはお菓子の名前としてどうなのよ」と思ってしまうわけだけれども、『甘栗むいちゃいました』がすっかり定着してしまうと『甘栗むいちゃいました』というのはいつの間にかお菓子らしい名前というくくりに溶け込んでしまって、そうなるともう『チョコレート黒くしちゃいました』とか『ガムひらべったくしちゃいました』とか『生八つ橋はんぶんに折っちゃいました』とか言われてもなんの違和感も抱かなくなってしまうのである。というか、たとえば僕がお菓子の開発者だったとして、新製品として生八つ橋のお菓子を作ったとしたらきっとそのネーミングの会議で「『生八つ橋はんぶんに折っちゃいました』ってのはどうですかね?」とか言いかねないのである。言ったところキレ者と評判の上司から「ありふれてるなあ」とか言われて却下されかねないのである。  つまりお菓子の名前ということでいうと、『甘栗むいちゃいました』登場以前と以後では有史以前以後というほどの差があるということにほかならない。たとえば『甘栗むいちゃいました』以前であるならば、「『生八つ橋はんぶんに折っちゃいました』ってのはどうですかね?」という発言は論外である。キレ者と評判の上司も「真面目に考えたまえ!」と机を叩くに相違ない。ところが『甘栗』以後となると、『生八つ橋はんぶんに折っちゃいました』はすっかり平々凡々な候補となってしまって、キレ者と評判の上司なら「それより『生八つ橋折って折って折りまくっちゃいました』はどうだ?」と言って周囲から「いいッスねえ!」などと賞賛されてしまいかねないのである。ええと、なんの話だ、これは。  ともあれ、そんなふうにして、「名前らしさ」というのは少しずつその名前らしさの領域を広げていくということである。ところでその「名前らしさ」というくくりは曖昧であるからこそ突破が困難で、一般に強く認識されうる力を持つからこそ亜流を生んで名前らしさの領域を開拓する。『甘栗むいちゃいました』も大ヒットしたからこそそれがお菓子の名前らしさの幅を広げたわけで、これが泣かず飛ばずであれば、僕がもしも会議で『生八つ橋はんぶんに折っちゃいました』と提案したところで、ああもういいや、生八つ橋の話は!  何度路線変更してもわけがわからなくなってしまうけれど、そういうことって常々僕は不思議に思ってきた。「名前らしさ」って不思議だなあと思ってきた。たとえば『フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド』というバンドがあったけれど、これなんて要するに『フランキーがハリウッドに行く』っていうバンドのわけで、それを考えるとどうなんだろうと首をひねらざるを得ない。幸いにしてということもないけれど、『フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド』はさほど浸透する力を持ってない一発屋だったから名前の領域を広げることはなかった。しかし、これがスタジアムツアーを10年こなすようなスーパーバンドであったなら、きっと今頃は『ボブがオハイオで買い物する』とか、『恵子が五反田で墓参りする』とか『部長が酔いどれながら首をひねる』いうバンドがごろごろ出てきてたに違いない。そんなわけねえだろ、と思ってしまうのはいまが有史以前であるだけなのかもしれないのである。『光GENJI』がアリだから『忍者』がアリなのであって、『ウォークマン』のヒットがなければ『ディスクマン』をソニー製品だとは思わないのである。  ともかく、何かのジャンルには、必ずそのジャンルの「名前らしさ」というものが長い年月の中で形成されている。いつの間にか我々はそれを認識して、知らず知らずのうちに耳にした「名前」と「名前らしさ」を照合する習慣が身についてしまっている。だから、芳香剤なら『フワッと香ってトイレ薔薇色』ってな感じの名前で至って普通であるし、コンピューターなら『viboria 620si』がまっとうに思えるし、滋養強壮剤なら『ゴマガンダV』があり得るわけだ。『ガレビレッティ函館』はJ1昇格を目指す地域密着型のサッカーチームだし、『おかしなおかしな飛行船詐欺師』は1972年に全米で大ヒットしたコメディー映画だし、『デルデ・ミア』はサイコミュ搭載のモビルスーツだ。しかしながら、『びゅんびゅん走るよ』という車はないし、動物園のパンダが『GH-7000』だと困っちゃうし、太陽系に新しく見つかった惑星の名前が『うなぎマン』ではお話にならない。同様に、甲子園に出場する千葉県代表の高校野球部が『習志野トリプルボンバーズ』では違和感を覚えるし、『スター・ウォーズ〜おかしなおかしな飛行船詐欺師〜』がシリーズ最新作ならファンが暴動を起こすし、隣のクラスに転校してきた美少女の名前が?立花ガンダム』だということはあり得ない。ついでに言うと、首都圏を走る電車が『E電』ではダメだし、とあるOSの日本語版が『おにぎり』というのも論外である。名前とは、本来名づけた人の自由であるはずなのに、だ。  そういう意味でいうと、近年「名前らしさ」の枠を壊しまくって、本当になんでもありの言ったもん勝ちの世界になってしまっているのが、お笑いグループの名前ではないだろうか。意味、無意味を問わず、およそすべての言葉が当てはまってしまうような気がする。たとえば『ごろぼえん』でも『毒々ランド』でも『52+9』でも、ありとあらゆる無作為の言葉がお笑いグループの名前として十分に成立してしまうと思いません?   あと、なんでもありといえば、色。iMACの『ボンダイブルー』以降、商品の色を勝手に名づける風習が著しく浸透した。あれってホントに言ったもん勝ちだと思うんだけどな。だから僕も、これからこのびっくりコラムの左側にある青い色を『メガネブルー』と勝手に名づけることにするよ、オリタ君? −−次回のお題は、おそらく永田君とは縁の無さそうな 【コレクション】でお願いします 次の更新はバレンタインデーくらいかしら(はあと) このコラムの筆者、永田氏に励ましのお便りを出そう! メールはFFF@mochiya.nuまで! VOL.24 コレクションについて text:永田泰大  いったい自分がいつの頃から花粉症であるのか、模糊として自覚がない。ひとつ覚えているのは小学生の頃、天気のよい昼間に目と鼻のひどいトラブルとともに頭痛に襲われ、布団の上でじたばたしながら天井の木目を見つめている場面である。か細い糸をたどってみるとあれはどうやら徳島の家で、ということはそれは小学校の2年生から6年生までということになる。あれは、花粉症だったのだろうか? あれは、春だったのだろうか? なんにせよ、それはもうおぼろげである。  たしかに僕は鼻が弱かった。小学校の頃に何度か耳鼻科通いをした記憶がある。しかしそれは花粉症というわけではなく、健康診断で鼻炎と指摘されたからであった。小学生の僕は何度か耳鼻科へ通い、ついぞ完治の宣告を受けることなく毎度中途で通院をやめたわけだが、かえりみるにそれは無理からぬことと思う。だって、耳鼻科通いの果てしなきは歯科通いに勝る。というのも、僕は耳鼻科で担当医にきちんと診断されたという記憶がないのだ。  耳鼻科を訪れると僕は、診察券を窓口の診察券入れに放り込み、無口な大人たちでいっぱいの待合室に席を探す。ソファは厚ぼったいビニール製で、冬は冷たく夏はべとつく。そこでたいてい漫画本など読む。カバーの取れた古びた漫画本で、それはいつも誰の嗜好も感じさせない無頓着なラインナップであることがほとんどである。いよいよ待ちくたびれたころに名前を呼ばれ、無表情な医者の前のいすに腰掛けると、医者は僕の両の鼻孔を挨拶程度に持ち上げてみせ、「通ってよし」という感じでカルテに2秒ほど何か記す。それで僕は立ち上がり、いくつかの怪しげな機械が並ぶ順路を何かの修行のように巡る。両鼻に蒸気を吹き込む二股の管。黒いゴムの妙な触感。機械が作動するブウンという低いうなり声。ほの暗くともる古くさい電球。終わると鼻に液体を通され、それを口から吐き出す。何度かそれをくり返し、ティッシュで口と鼻をぬぐいながら逃げ出すように診察室を出る。待合室に戻ると、もといた僕の席には必ず誰かが座っている。しかたなく僕は違う席に座り、漫画本の続きを読もうとするが、3回に1回はその本すら誰かが読んでいる。小学生ながら精一杯途方に暮れていると、やがて看護婦が名字を呼ぶ。窓口に着くか着かないかのうちに看護婦は「247円です」と世にも中途半端な額を請求する。何枚かの硬貨をプラスティックの皿に置くと、小銭と診察券が帰ってくる。僕はホッとして下駄箱から靴を抜く。それが、ずっと続く。治療は終わらない。ずっと、ずっと、続く。もしもあのとき僕がフェイドアウトしていなかったら、いまでも僕はあの巡礼を続けているかもしれない。それほどに耳鼻科通いは果てしがない。  いったい、あれは花粉症ではなかったのだろうか。そもそも当時に花粉症という言葉はあったのだろうか。花粉症が近代に特有のアレルギーだというのは本当だろうか。いずれにしろ、あの医者は何も答えてはくれないだろう。彼の仕事といえば、僕の鼻孔をちょいと持ち上げてカルテに何か書いてみせることしかないのだ。  子どもの頃耳鼻科に幻滅した僕は、その報いか知らないが、毎年花粉症に悩まされている。こうして書いている傍らにも、保湿タイプのティッシュが常備されている。小学生のころに巡礼をまっとうしていたら、僕の鼻は強くなったのだろうか。こうして鼻をかんだりくしゃみをしたりすることもなかったのだろうか。それにしても、は、ひゃ、っくしょん! 今年は花粉の飛びが早いのでは、ないだ、ろうか。春の嵐も、は、は、ひゃ、いっくし! 吹かないうちから、は、症状が、ふぁ、はぁ、例年になく、は、は、はっくしゅ! は、はゃくしゅっ! はやくしゅっ! はゃくしる!  はゃくしろ! はやくしろ! はやくしろ? え? はやくしろ? 早くしろ?  そうでした、そうでした!   バレンタインデーまでにコレクションについて書くんでした!  いやあすっかり忘れてました!  そんなこんなでびっくりコラムの幕開けである。しだいに手が込んできて、もはや新たな重荷となって自分の首を絞めつつある言い訳マジカルイントロダクションである。本末転倒とはこのことである。谷口転倒とはバルセロナオリンピックである。バレンタインデーはおろか、いまや時代はホワイトデーであって、厳密に言えばそれもまた過ぎ去りし日と化した。みなさんはいくつチョコをもらいましたか? 花粉症にはヨーグルトが利くみたいですね! なんともめちゃくちゃな季節感のうえ、本題にはいまだまったく入ってないということでまことにかたじけない。まろは申し訳なく思うでおじゃる。今週は、お公家さん口調でお届けします。  お公家さん口調はさておき、コレクションについてである。となれば、まずは僕のコレクションの紹介から始めるのが筋であろう。まず、なんといっても僕の自慢はナイフコレクションである。ナイフというものは大別すると3つあり、すなわちアーミーナイフとサバイバルナイフとスペースナイフである。アーミーナイフはその名の通り軍事用のものが一般に広まったもので、世界中にコレクターも多くなかなか高価である。僕も2、3持ってはいるが、あまりに重厚で携帯に向かぬため、本格的に入れ込むことはしない。サバイバルナイフはその名の通り生き抜くためのナイフであって、激しい生存競争が繰り広げられる現代においては必需品といって過言でない。僕がナイフを集めるきっかけとなったのもこのサバイバルナイフであった。以来、少ない小遣いでこつこつと買い足し、いまではざっと3ダースくらいになった。そして、いま僕のコレクションのメインとなっているのが3種類目のスペースナイフである。これはその名の通り宇宙のナイフであって、月やガニメデといった衛星用のものから、金星や冥王星といった惑星のものまで数千種が存在するといわれる。スペースナイフの中で最後に行き着くところは恒星用のナイフであって、中でもシリウスと呼ばれる青白いナイフはオークションで数万ドルの値がついたと言われる。いやはや、賢明な読者はお気づきのことと思うが、以上はすべてデタラメである。書いていて自分の人格を疑ってしまうほどにナイフの記述は瞬時の思いつきに過ぎない。いや、僕は元来、ものを集めるということをあまりしない人間であって、ナイフコレクションなどという本格的な趣味にはまるで向いていないようなのである。  つい見栄をはってしまって恐縮であるが、僕がささやかに集めているのは古銭なのである。なんとも日常的なコレクションで申し訳ない。古銭といってもいろいろあるが、僕が集めるのは現代に通用する硬貨である。つまり、我々が平素財布に入れている、1円、5円、10円、100円、500円といった硬貨である。それがコレクションになるのかといぶかる向きもあろう。しかしながら、硬貨は年代によって意外な希少性があり、ものによっては額面の何倍もの価値を持つのである。たとえば昭和43年の50円玉は穴の周りの文様が若干異なるものが存在し、未使用のものであれば五千円近くの値がつく。さらに昭和50円の500円玉は、と続けていきたいところであるが、じつはまことにもって申し訳ないことに、上に記した古銭話はまたしてもデタラメであった。これはまたいったいどうしたことであろうか。古銭を集めてもない男がなぜに古銭を集めていると法螺を吹くのであろうか。  告白すると、僕はそういった一般的なコレクションとは縁がないのである。そうではなくて、ついつい誰も集めていないものを集めてしまうというやっかいな性質を持っているのだ。その代表例がコンビニのレシートである。セブンイレブン、ローソン、ampmといった全国的なものはもちろん、ポプラやパンプキンといったマイナーなものまで、ついつい買ったあとのレシートを集めてしまうのである。集めたレシートをどうするかというと、日付別に分類してファイルに綴じるわけである。僕は上京してすぐにこれを始めてしまい、ファイルはいま13冊目に突入しようとしている。ところでお釈迦様でもお見通しのように、これまたすべてがデタラメである。お天道様はご存じであるように、徹頭徹尾思いつきなのである。  いったいぜんたい何が言いたいかというと、要するに、僕にはコレクションがまったくないわけなのである。本格的なものも、一般的なものも、特殊なものも、僕はまるで集めるということをしないのである。つまり、ここからがこのびっくりコラムの本題であって、まわりくどいというか書き手の真意がつかめないことこのうえない。最終的にすべてがデタラメになりそうな勢いであり、読み手のみなさんに至っては疑心に満ちた面倒くさい雰囲気に包まれているのではないかと思われます。心中お察しいたします。皆目検討もつきません。なので、本心から宣言しますが、デタラメコーナーは終わりです。ここから先にウソは書きません。インディアンです。  インディアンはさておき、僕にまったく物欲がないかというとそれも違っている。背骨のあたりを必殺の電撃で貫かれて買おうか買うまいか右往左往したのちにけっきょく買ってしまって大満足、なんてこともしょっちゅうある。どうせこれを買ったからにはこっちも買いたくなってしまうなんてこともしばしばである。ふたつ買ったら3つ目が欲しくなるということもやはりあって、そろった3つをしかるべき場所に並べてうっとりするなんてこともなくはない。ところが、たいていそのへんで終わりである。大雑把に言うと、僕の買い物は3つで終わりなのである。むろん3つは便宜上の数値であるが、遠くない数であるようにも思う。  思うに、3つまでは物欲のみで動けるが、それ以上となると別なるエンジンが必要となるのだ。それを人は収集欲と呼ぶのかもしれない。何しろ自分にないものだから推測するしかないわけだが、そろえたいとか集めたいとかコンプリートさせたいとかいうエンジンが備わっていない限り、ものというのは集まらないのだと思う。「欲しい」ではなく、「全部欲しい」と強く思わない限り、コレクションは完成しないどころかそもそも始まらない。たぶん。  少なくとも僕は、ひとつひとつの単純な物欲でしか動けない。むろん一時的な収集はある。あのころは靴ばっかり買ってたなあ、という熱病的な時期はある。しかしそれはやはり恒久的にならず、その意味で「3つ」レベルのものにしかすぎない。  ところで僕はその一因をかいま見たことがある。それだけがすべてではないと思うが、自分なりに合点がいったことがある。それは、幼少時代の引っ越し経験である。数えてみると、僕は物心ついてから一人暮らしを始めるまでに4回の引っ越しを経験している。しかもそれはいずれも近隣へのものではなく、方言がいちいち変わるほど遠方への引っ越しであった。  コレクションに及ぼす引っ越しの影響は大きく言ってふたつある。ひとつは荷物の整理である。有り体に言ってしまうと、引っ越しのたびに無駄なものは捨てられてしまうのである。たとえばそれが十代後半ともなれば話は違ってくる。自分のものは自分で守り抜くことができるからだ。しかし、小学校低学年の男子であれば取捨選択の権利はある程度親に帰属する。はっきりと覚えているのは超合金と呼ばれるオモチャの数々である。千葉にいたころ少しずつ買ってもらって集めた本当にささやかな僕のコレクションは、引っ越し先には届いていなかった。移るまえ、近所の子供にあげてしまったのだ。それを推進したのは母であったが、そこに僕の意志がまったくなかったわけではなかった。母は「これを○○ちゃんにあげてはどうか」と僕に聞いた。たぶん僕はうなずいたのだと思う。だって、小学校時代の転校というのはある意味で絶望に似る。どたばたとあらゆるものが段ボールに詰められる喧噪の中で、そんなことはどうだってよくなってしまうのだ。ちょっと飽きてしまったようなものを「必要か」と問われたら、「よくわからないのでどうにでもしてほしい」という答えをしてしまうのが普通である。もしも引っ越しというものがなければ、ちょっと飽きてしまったようなものは押入の中にでも留まって、スペースの許す限りホコリをかぶり続けるのだと思う。でも僕は数年に一度引っ越しを経験することになったから、そのたびに、そのとき本当に必要なものだけを、守るように段ボールに詰めたのだ。  もうひとつは文化の違いである。子供時代の文化は地域によってまったく異なる。文化は町内単位で独自であり、普遍性とは極にある。ある場所で価値を持ったものがある場所ではまったく無意味である。わけてもそのころは全国の子供にブームを仕掛けるようなメディアがいまほど多くなかった。コロコロコミックは単なる分厚い漫画本に過ぎなかった。『ポケモン』もなかったし遊戯王カードもなかった。ヨーヨーはあったがそれは上がったり下がったりするヒモのついた丸いオモチャ以外の何物でもなかった。同様にコマはコマに過ぎず、交換やカスタマイズを動機にした商品を企業が仕掛けることはあまりなかった。そんな中、町内どころか県を移ることはすべてをゼロにすることにほかならない。流行りはすべて勉強し直しであり、ささやかに守り抜いたコレクションもまったくもってガラクタと化す。  そんなふうにして、僕にとって「集める」ということは次第に優先順位の低いものとなってしまった。それを幸運だとも不幸だとも思わない。何もかも自然なことであったように思う。  いつもに増して書き散らかしてしまった。こんなふうじゃイカンと少々反省しながらコラムを締めます。ただでさえ、ここを覗く知人から「長い、ウザい」と意見されてますし、次回からはもっとライトに行こうかと考えています。文字数とか決めて書いたほうがいいのかしら。それにしても自由に書くというのはやっかいだね、オリタ君? −−こっちが勝手に設定した締め切りを過ぎたとはいえ 最近はかなり快調に更新しているFFF 次回は経済ネタでひとつヨロシク このコラムの筆者、永田氏に励ましのお便りを出そう! メールはFFF@mochiya.nuまで! VOL.25 デフレについて text:永田泰大  子どものころに図鑑などで知った知識が、現実の世界で裏づけられるとひどくわくわくした。まざまざと思い返せるのは千葉に住んでいたときの庭にフンコロガシを見つけたときのことである。幼少、僕は昆虫が好きで、『シートン動物記』よりは『ファーブル昆虫記』のほうを圧倒的に支持した。いきなり脱線すると『アルセーヌ・ルパン』よりは『シャーロック・ホームズ』のほうに夢中だった。さらにいうと、『ルパン』の作者が書く『ルパン対ホームズ』におけるホームズは、どう考えてもカッコ悪すぎないかと子ども心に憤った。そんなことはどうでもよくて、僕は千葉の庭にフンコロガシを見つけのだ。冒頭、いきなりフンコロガシの話を始める暴挙に出ているというのに、そのインパクトあふれるフンコロガシの話があっさり脱線するとはどういうことだ。  有無を言わせずフンコロガシの話を続けるとすると、フンコロガシは、そこで本当にフンを転がしていた。僕はエキサイトした。つまりフンコロガシはエキサイティングだった。やれやれ、およそ3ヵ月ぶりとなる更新であるというのに、序盤の肝となるフレーズが「フンコロガシはエキサイティングだった」とはいかがだろうか。こりゃまたびっくりコラム健在である。  もはや当時の記憶だけが頼りだが、ファーブルは植木鉢の中でフンコロガシを飼育していた。そしてフンを転がすさまだとか、転がされるフンの意義だとかを詳細に記録し、仮説をたてて立証してみせた。僕はそれをわくわくしながら読んだが、それはどちらかというと遠い外国のおとぎ話であった。小学校の図書館から借りる本のほとんどは僕にとって自分の暮らす現実とは地続きではなく、その意味で『バスカビールの魔犬』も『キュリー夫人』も同様におとぎ話であった。ちなみにその傾向は外国を舞台とする本に強く現れ、これが『怪人二十面相』や『野口英世』になると、なんだか半端に地続きであるような気がしてうまく没頭できなかった。脱線ついでに続けると、その傾向は読書だけにとどまらず、さまざまな分野における僕の嗜好として二十歳くらいまで続いたように思う。  話がいっこうに進まない。いわば、ちっともフンが転がらない。叱咤して立ち戻るとしよう。どこまで話を進めたかというと、フンコロガシはエキサイティングだったというところまでである。自分で書いておいてなんだが、世にも脱力するフレーズであることよ。  なぜにフンコロガシはエキサイティングだったかというと、それはおとぎ話を現実に見たからだ。図書館での記憶がたしかなら、植木鉢の中のフンコロガシはフンを洋梨型に固めた。そしてフンコロガシは、洋梨型のフンの、くびれた細い部分に卵を産み付ける。それはそこ以外では空気が滞ってしまい、産み付けられた卵や窒息してしまうからである。くびれた細い部分で卵は孵化し、生まれた幼虫はフンを栄養分として成長する。いわばフンコロガシは我が子に最適化された苗床を作るため、後ろ足でフンを転がして洋梨型に固めていくのである。こんな話が現実に起こりうると誰が思うであろうか。しかしそれは、千葉の僕の家の前の庭に実在したのだ。それで僕はエキサイトした。フンコロガシはエキサイティングだったのである。  熱弁をふるっておいてなんだが、フンコロガシの話は一例である。僕はそのようにして、得た知識が現実に裏づけられるとひどくうれしがった。北斗七星のひしゃくの下の部分から北極星を見つけてエキサイトした。オジギソウの葉を触って本当にそれがお辞儀するとエキサイトした。高い山に登るとポテトチップスの袋が本当に膨張するのを見てエキサイトした。四角い電池のふたつの電極を同時になめるとビリビリしてエキサイトした。木の切り株の年輪の狭いほうが北を指していることにエキサイトした。テレビのブラウン管が本当に赤と青と緑の細かい光から成っているのを発見してエキサイトした。台風の目に入ると本当に暴風雨が止むことにエキサイトした。人は心臓を守るように行動するため周回する動作が基本的に左回りであり、映画館などは左側の席から埋まることを確認してエキサイトした。プリンに醤油をかけて食べると本当にウニの味がすることを確認してエキサ、いや、これはあんまりエキサイトしなかったな。  ともあれ、書物等で得た知識が実践さるることを僕は好んだ。しかしながら、そうでないことも多く、期待が裏切られることもしばしばであった。むしろ書物等で得た知識を現実に見たところ、そうでもねえじゃんというほうが多かったかもしれない。  勘のいい読者はお気づきのことかと思う。常識的な読者はなんの話だかわけがわからなくなっていることと思う。メガネのSOHOデザイナーはホラービデオを借りまくっていることと思う。そう、そうでもねえじゃん、というのはデフレのことである。  昔、インフレの説明には以下のような例が頻繁に用いられた。第一次世界大戦後のドイツでは、極度のインフレーションが進み、コーヒー1杯にトランク1個分の紙幣を支払わなくてはならなかった。こりゃまたすごいことが起こるもんだなあ、と僕は驚いたものである。しかるにデフレとはその逆であって、少年時代に僕が思うことといったら、フルコースのフランス料理が10円くらいになっちゃうのかなとか、あのバッシュが4円くらいになっちゃったりしてというようなことである。  ところが昨今のデフレはどうだ。デフレデフレと騒ぐわりに、高々ハンバーガー1個が100円前後になったくらいじゃないか。インテルペンティアム4搭載のコンピューターが10万円を切ったくらいで何を騒いでいるんだ。デフレスパイラルなんていう物々しい言葉に発展させてすごむくせにドライポロシャツが1290円もするぞ。  4円くらいにしろ、4円くらいに。コーヒーくらいはタダにしろ。ハンバーガーは2円。ビッグマックは3円。コンピューターは5000円前後の勝負だ。ドライポロシャツは10枚で25円だ。個人的な要望を混ぜるなら大型液晶テレビを700円くらいに。うちの家賃を32円くらいに。え、俺の給料が70円? うわあ、やめやめ、デフレ中止。  ともあれ、僕はいたずらに経済の混乱を願っているわけではないのですが、正直、デフレと呼ばれる現象の幅広さに知識とのギャップを感じたこともたしかです。まあ、「ゆるやかなデフレ」とか言われる時点ですでによくわからないのだけれど。あと、何気にデフレが略語であるのも気になります。ときどきこういう、新聞やテレビが当たり前のように認めてる略語があって違和感を覚えますよね。ベアとか。  というわけで、筆者がデフレに対してほとんど興味を抱いていないということを浮き彫りにして、このびっくりコラムを終わります。もはや景気の回復が先か、当コラムの更新が先かという状況になってきましたが、経済評論家風に述べるならば、更新の停滞は底を打った感があり、市場もこの発言を歓迎しているもようです。景気はどうですか、オリタ君? −−ぼちぼちでんなあ、 ほな、次いきまひょかぁ(にせ関西人) と、いうわけで次回のお題は 「社交界」でお願いします。 このコラムの筆者、永田氏に励ましのお便りを出そう! メールはFFF@mochiya.nuまで! VOL.26 社交界について text:永田泰大  僕が社交界にデビューしたのは、と書き出したいところであるが、残念ながら僕と社交界の接点はまったくない。恥ずかしながらこの私、現在に至るまで晩餐会も舞踏会も経験がない。ていうか、あったらこんなところにおもしろコラムなぞ書いてない。したがって社交界といわれたとき、頭上にポワワワ〜ンと浮かぶのは、豪勢なシャンデリアの下で貴婦人と男爵がオホホと扇子を持って語らう場面くらいである。絵に描いたような鳥の丸焼きとキャビアの乗ったリッツとキラキラ輝くシャンパンくらいである。蝶々のマスクをつけたレディに向かって蝶々のマスクをつけたジェントルマンが「踊ってくださいませんか」と誘う姿くらいである。厳密にいうとそれは仮面舞踏会である。  やや設定を現代に戻すとすると、社交界はいわゆるパーティーへ転じるのだろうか。よくアメリカの映画などである、突然に自宅を開け放って意味もなく大勢の人を呼ぶという、奇妙なあのイベントが現代の社交界なのであろうか。半球型の透明な器を持って「フルーツパンチをもう一杯いかが?」という例のあれであろうか。「紹介するわね、こちらがデイビッド」という不可思議なあれであろうか。「こんなところで何してるんだい?」、「こんなパーティー、つまらないわ」という謎のあれであろうか。「こんなところで何してるの? あなたのためのパーティーでしょう?」、「……騒がしいのは苦手だ」という必殺のあれであろうか。「お願いだから変なマネをしないでおくれよ、今日は大切なお客様が来てるんだ」、「風に当たってくるわ」、「待ちなさい、キャスリーン!」という賛否両論のあれであろうか。いったいぜんたい、これはなんの話だろうか。  俄然気になるのは、日本へ移すとどうなるかということであろう。もちろん、現代の日本においても上流の方々にいたってはそれめいたことをしかるべき場所でオホホアハハと開催されているのかもしれない。しかしながらもう少しリアリティーのある次元でもってそれに相当するものがないかと捜してみる。  社交界というものの神髄が何であるかと自ら問うたとき、それはやはり「社交」にあるのであろう。間違っても「界」ではなかろう。人と人が交流を深める場所としてのアハハオホホなのであろう。となればなんであろうか。それは合コンであろうか。しかしながらそれは異性の出会いを対象としており、性質が異なると判断せざるを得ない。語尾を下げてのクラブという見方もできる。ところがやはり語尾を下げてのクラブの本文はミュージックとダンスにあることが明白で、社交がサブに回るテーマであることに疑いの念は生じない。ところでなにゆえかように文体が硬いのであろうか。拙者は大正時代のおもしろ書生であろうか。おかしなおかしないんちき講談師であろうか。べんべん。  面倒くさいのでややゆるめるけれど、そういった意味でいうと、規模は小さくなるが「飲み会」というのがもっとも日本の社交に貢献しているのかもしれない。「鍋」というのも同様だ。こうなると俄然リアリティーがわいてくる。「フルーツパンチをもう一杯いかが?」は「まだビールでいい?」に転じれば自然だし、「紹介するわね、こちらがデイビッド」は「えっとね、中島。俺の2コ下」ってな感じだと理解しやすい。同様に、「こんなところで何してるんだい?」、「こんなパーティー、つまらないわ」は、「え、もう帰んの?」、「ん、明日早いし」になるだろうし、「……騒がしいのは苦手だ」が理解しにくければ「あそこの席、うるせぇなあ!」でわかりやすい。すると、「お願いだから変なマネをしないでおくれよ、今日は大切なお客様が来てるんだ」、「風に当たってくるわ」、「待ちなさい、キャスリーン!」っていうのは、「タケオ叔父さんにご挨拶なさぁい!」、「いまマンガ読んでるからあとで」、「んもぉ、ミキヒコ!」ってなことに、ありゃ、これぜんぜん違うじゃんか。  人が集まる場所にはオホホアハハならずとも、少なからず「社交」の意義があるのだと思う。その意味で「飲み会」や「鍋」や「花見」や「送別会」をリアリティーのある僕なりの社交界としてとらえるとすると、好みとしては大規模は苦手である。初めての人と社交を深めるのであれば、「4名様窓際の席へどうぞー」くらいのものが望ましい。そういやこの冬は鍋とかやらなかったね、オリタ君? −−いやしかし今回の更新は早かったなあ… と、いうわけでお題は【テレビ】でヨロシク。 油断している間にアップされているかも!? このコラムの筆者、永田氏に励ましのお便りを出そう! メールはFFF@mochiya.nuまで! VOL.27 テレビについて text:永田泰大  みなさん、僕を覚えていますか。ええ、ええ、覚えていなくて当然です。いえいえ、名乗るつもりもありません。もしもあなたがお暇なら、ちょっとだけ話につき合っていただければ結構です。ちょっとした世迷い言です。秋の日暮れに戯言の断片が散らばるのも風情じゃありませんか。    ところでこんなところへどうしてお出でになったのです。聞けばここは半年以上訪れる人もなく、廃墟同然だというじゃないですか。障子は破れ、鴨居は崩れ、畳だって毛羽立ち放題ですよ。季節はずれの肝試しといった類ですか? それとも厭世の念に突き動かされて解脱の心境? おやおや早まっちゃいけませんよ。せっかく空から授かった育みじゃないですか。捨てる神あらば拾う神ありです。押せば命の泉が湧くのです。一寸先は闇なのです。    もっとも、私に偉そうなことを言えた義理はありませんけどね。ご覧なさい、この向こうずねの傷を。これはあのあたりでしたたかに打ったのです。あのあたりのちょっと前からあのあたりへ向けて進んできたところ、あのあたりでしたたかに打ったのです。どこを打ったと思います? 向こうずねを打ったのですよ。したたかに打ったのです。あのあたりでしたたかに打ったのです。    ちょっとお待ちなさい、帰っちゃいけません。一寸先は闇なのですよ。闇の中へそんなに急いで駆け出しちゃいけません。そりゃ無謀ってもんです。そんなことをすればあなた、向こうずねのあたりをしたたかに打ちますよ。現に私は向こうずねを打ったのです。ほら、この傷はね、あのあたりでしたたかに……え? 向こうずねの話はもう聞いた? ああ、これはまたとんだご無礼を。そうそう、向こうずねの話は終わってました。そこんところはすっ飛ばしていきましょう。よござんす。つぎへ行っておくんなさい。    え? つぎへ行くのは私のほうなんですか? ああ、そうですか。そういえばそんな気もします。なにしろ、ずっと表へ出てなかったもんでね。ちと感覚が心許ないわけです。すいませんがお腰の水を一口いただけませんか。ああ、ああ、ありがとう。ようやく人心地が着いた。心の臓がさっぱりとした。ところでなんの話だったかな。ああ、そうそう。    ここが半年も荒れ放題になっていると、そういう話でしたな。それには3つの理由があります。いまからそのうちのふたつをお話ししましょう。残りのひとつは自分で考えてください。家に帰るまでが遠足ですから。さあ、よござんす。向こうずねの話でしたな。ああ、その先の話でした。失敬。    昔、ここにはね、某とかいう駄文書きが住んでおったのです。職の暇にちょいとした駄文を書いてましてな、それでもって人様の手持ち無沙汰を紛らわすような時間を作ろうとしておったわけです。なに、大した手間じゃありません。思うがままを書き散らかしていただけです。当初はその男も気張っていましてな、写真なども文章に添えていたようです。ぽっちゃりとした青年や、ヴィトンを好む娘などをモデルにしましてな、「腹が減って寒くて眠いということはあり得るのか?」などという箸にも棒にもかからん研究をしておったようです。いや、そりゃもう、いけません。意義など一片もありゃしません。甚だ無意味です。思い出したらだんだん腹が立ってきました。怒髪天を突いてきました。お鍋の底が抜けそうです。すいませんがお水をもう一口。ああ、ありがとう。生き返ります。五臓六腑が七転八倒します。九死に一生とはこのことです。    ともかく、男は駄文を書いておったわけです。そりゃもう、意味のないことをさんざっぱら書き連ねておったわけです。ところでこの部屋は貸家でしてな、貸家というからには大家がおるわけです。その大家というのがあなた、それはそれは見事なメガネくんでしてな。向こう三軒両隣に聞こえるデザイナーなわけです。メガネくんは気だてのよい男でしてな。店子の無意味な所作を咎めるということをしませんでした。駄文書きが働こうと休もうと、我関せずということで日がな一日ビデオを観たりマウスをクリックしたりしておったわけです。いや、そりゃもう、いけません。駄文書きが駄文を書くわけがありません。なんといってもまったくなしのつぶてなわけですから。駄文書きは駄文ならぬ惰眠を貪るようになりました。気に入ったのでもう一度くり返すことにしましょう。駄文書きは駄文ならぬ惰眠を貪っておったわけです。    それがひとつ目の理由です。おや、怪訝な顔をしておられますな。大家はただ寛容なだけで罪などないではないかと、そうおっしゃりたいような目つきですな。トカゲのしっぽを切るような処分がなんの改善になるのかと、そうおっしゃりたいような瓜実顔ですな。いやいやごもっともごもっとも。恐縮至極にございます。お鍋の底が抜ける思いです。まあしかしそれは駄文書きの言い逃れのようなものでございましてな。肝要なのはいまひとつの理由です。    それを話すまえに駄文書きの書く駄文の仕組みをご説明せねばなりますまい。駄文書きは、いたずらに駄文を連ねていたわけではないのです。そういった時期も一時あったにはあったのですが、最近は違っておりました。駄文書きは大家から注文を受けておったのです。つまりお題目ですな。それを主題にして、いわばモチーフにして、つまりテーマとして、駄文書きは駄文を書いておったわけです。題目は多岐に渡りました。アイドルから宇宙までなんでもござれ、という感じでした。宵越しの銭でも持ってきやがれ、という感じでした。    あるとき、駄文書きはひどく行き詰まってしまいました。それというのも、駄文の題目がとんでもなくやっかいなものだったからです。それがあなた、なんだと思いますか。社交界ですよ、社交界。どんなに逆立ちしたところで身に覚えのないモチーフです。駄文書きは焦りましてな。焦ったあげくにこう考えました。こりゃもうさっさと済ましてしまおう、と。考えれば考えるほど深みにハマりかねないぞ、と。それで駄文書きは書きました。考えずにすぐ書きました。言うならば咄嗟の反応です。ネット際のボレーです。必殺のクロスカウンターです。イカンガーと瀬古の一騎打ちです。    なんの話でしたかな?    ああ、そうそう。それでやっかいな題目は終わったわけです。つぎのテーマはテレビでした。駄文書きは喜びましたな。これはまた自由気ままな題目だ、と。なんでもかんでも書き放題じゃないか、と。世界は我が手の内にあり、と。愚民どもが蟻のようだ、と。国民年金など払うものか、と。かように駄文書きは広々とした心持ちでおったわけです。安堵の極みとはこのことですな。ゲーテの悩みとは肩こりでしたな。さて、ホッとした駄文書きがどうなったと思いますか。ええ、そうです。    駄文ならぬ惰眠を貪っちまったわけです。    しかも半年も。そうなるとどうなると思います。黙ってないでなんとか言ってくださいよ。そうなるとどうなると思うんですか。わからないじゃないでしょう。思ったことを言えばいいですから言ってくださいよ。間違ったって怒りゃしません。あなたが言うまであたしゃつぎへ進みませんよ。さあ、そうなるとどうなると思うんですか。なに? お皿が割れたんじゃないかって? 馬鹿言っちゃいけません。世間を甘く見ちゃいけません。無理にドライバーを回しちゃいけません。ネジがバカになります。つまり私の考えはこうです。    やっこさん、出るに出られなくなっちまったんですな。いたずらに過ぎた月日にただただ呆然としちまったんですな。悲しい話です。哀れな男です。申年の男です。左目の下にほくろのある男です。それで駄文書きは旅に出たわけです。逃避の果てに意図せず流浪をくり返したのです。それきり半年が経ちました。障子は破れ、鴨居は崩れ、畳は毛羽立ちました。    あるとき、駄文書きを呼び止める人がいました。まったくの偶然でその人は駄文書きを見かけたのです。駄文書きは即ち世捨て人でした。破れた障子や、崩れた鴨居や、毛羽だった畳を気にかけることはありましたが、それは駄文書きにはもはやどうしようもないことでした。お鍋の底からお鍋のフタを見上げるように、駄文書きは動かせぬ現実をぼうっと眺めるほかなかったのです。彼は無力の服を着て、虚脱の帽子を目深にかぶり、孤独の靴を履いて漂っていました。覆水が盆に返らぬように、こぼれたミルクを見て涙が止まらぬように、駄文書きは枕を噛みながらただただ俗世を遠ざけておったのです。そんな見窄らしい駄文書きをある人が偶然に呼び止めたのです。そしてその人は言いました。    コラムはどうなったのですか、と。    駄文書きの背中を稲妻が貫きました。かっと見開いた両の目は闇夜を千里も照らしました。関節からばちばちと火花が飛び出し、いろんなバネがびよんびよんと跳ね出しました。右手の煙突は赤い煙を吐き、左手の煙突は黄色い煙を吐きました。岩のようにこわばった皮膚に斜めの亀裂が入り、やがてがらがらとそれが剥がれていくのを彼は感じました。山の端に紫の朝が立ち上るように季節がはんなりと変わりつつありました。響く和音は暖かく、溶けた氷は早瀬となって野を駆けました。見上げると頭上を飛ぶ鳥の羽の色は青です。目の覚めるような青です。その青を映した彼の目から、やはり青色の涙がひとしずく膝に落ちました。  簡単なことだったのです。    駄文書きは、書きました。長い年月を経たせいで、思うようには書けませんでした。それでも駄文書きは書いたのです。この機を逃しては書けまいと、最後の理性で綴ったのです。それがいまここにあります。駄文書きはこう書いています。   「テレビは、よく観ますが、深夜に帰ることが多いので、平日は深夜番組を観ることが多いです。ドラマは観たくないので観ません。スポーツを観ることが多いです」  これだけです。たったこれだけです。たったこれだけではありますが、どうです、見事な駄文じゃありませんか。まったくもって無意味じゃないですか。一片の意義もないじゃないですか。駄文書きの真骨頂が駄文を書くことにあるとするなら、これ以上の駄文はないと思いますが、あなたはいかがですか。ああ、むろん、答えなくてかまいません。最初に言ったように、これは単なる世迷い言にすぎないのです。    さあ、私の話はこれで終わりです。どうも長々とおつき合いさせてしまって相済みません。すっかり雨も上がったようですな。どれ、歩くとしましょう。あなたはどちらまで? ああ、それじゃ反対方向ですね。道中、気をつけてどうぞ。いずれどこかで会うこともあるかもしれません。いえいえお礼なんて滅相もない。私も時間が潰せて愉快でした。それじゃあこのへんで。ああ、そうそう、その駄文書きですがね、どうやら戻ってくるようですよ、ここに。まあ、いつまで持つかわかりませんがね。とりあえずまた書き散らかすつもりみたいですから、ときどき訪れてやってみてくださいな。それじゃあ、私は行きます。さようなら……あいたたたっ、向こうずねをしたたかに打っちまった。 −−次回からはふたたびフリーテーマに戻っての新装開店 ばりばり更新しますよ!きっと(←圧力) このコラムの筆者、永田氏に励ましのお便りを出そう! メールはFFF@mochiya.nuまで! VOL.28 マンションオーナー名探偵 text:永田泰大  非常に伝えにくい話がある。    なんだか自分でもこれがなんだかよくわからんわいと思うよな話である。少なくとも意義は見受けられない。角砂糖ひとつほどの意味もない。けれど、このまま捨て置くのもなんだかつらい気がする。惜しいというほど内容のあるものでもないが、なんとなく引っかかりがある。かといって尋常には伝えがたい。どうしたもんかと胸の末端に転がしておいたのだけれど、考えてみればこれほどこの場所にふさわしい話もないような気もする。わけのわからん話をここに書かずしてなんのためのびっくりコラムかという気もする。試みに書いてみる。失うものなどないということが前提である。    題名をつけるなら、『マンションオーナー名探偵』ということになる。これはもう、出だしからして馬鹿馬鹿しい。いやはや見事に意味がなさそうだ。繰り返すが、読んで頭上にハテナマークが明滅する可能性は高い。困ってしまっても処理は請け負いませんからご了承ください。    さて、その話をそのまま記してもいいが、我ながらそれはあまりに突飛だと感じる。なので、まずは、その話が生まれる経緯などから入り、最終的にその話へ導こうかと思う。前提が長いが肩肘を張られるとなお困る。ひとつ、だらだらとお願いしたい。    秋のある日のことだ。馴染みの人と歩いていた。馴染みの人は後輩であり、外見はぽっちゃりとしている。馴染みのぽっちゃり青年はよくある愚痴など口にした。忙しいなあ、腹減ったなあ、欲しいものが山ほどあるなあ、と、そういった類の話だ。    つぎに馴染みのぽっちゃり青年は「マンションのオーナーにでもなれば毎日が楽かしら」などとつぶやいた。あまりに考えが甘いので、ここはひとつ、年長者らしくたしなめねばなるまいと感じた。「マンションのオーナーの生活が楽ちんだと思ったら大間違いだぞ」と僕は言った。「マンションのオーナーには、マンションのオーナーにしかわからぬ苦悩がたくさんあるのだ」と続けると、ぽっちゃり青年は「どんな苦悩があるんですか」と返した。僕は少し悩んだが、「マンションの住民からつぎつぎに苦情が来るのだ」と答えた。「どんな苦情ですか」と言うので「そりゃあれだ、住民が『排水溝が詰まった』とか言ってくるのだ」と言ってみた。するとぽっちゃり青年は意地悪そうな顔でこう言った。「それは管理人の仕事ですよ。僕が言ってるのは、管理人を雇ってるマンションオーナーのことですよ」。なるほど、こりゃしまった、と思ったが、ぽっちゃり青年があまりにも「してやったり」といった表情を浮かべているので僕は俄然ムキになった。僕は逆方向にキレながら言った。「それはますます考えが甘い。だって管理人は逃げたりするのだ。そうなると、住民から『管理人が逃げた』と苦情が来るのだ。つまり、『詰まったー』だの『逃げたー』だのいう苦情がマンションオーナーのもとに届くからたいへんなのだ」。    またこの人はおかしなことを言い出したぞ、とぽっちゃり青年が黙った。僕は僕で、またおかしなことを言い出してしまったぞ、と感じた。どだい、論理が無茶である。どうやら窮地かなと僕は考えた。考えながら、つぎに相手が口を開いたら自分はさらに追い込まれるぞ、と先を読んだ。こうなると、自衛のためには、話をどんどん続けるしかないのである。僕は、ヤツに突っ込まれることを避けるために話を続けた。   「おまえは、マンションオーナーが、毎日悠々と暮らしてると思うだろう。ソファに座ってテレビを見ながら葉巻を吸ってると考えるだろう。けれど、そうやってワインを飲んだりリッツを食べたりしていると、深夜に突然電話が鳴るのだ。電話に出ると、『逃げたー』とか『詰まったー』とか苦情を言われるのだ。しょうがないから、マンションオーナーは、グラスを置いて、ガウンを脱いで、深夜にマンションまで行かなくてはならないのだ」。どうだたいへんだろう、と破れかぶれでにらみつけてみたのだが、ぽっちゃり青年は微塵も心を動かした様子がなく、僕の立場はちっともよくなっていなかった。しかたがないので、僕は、まだまだ話は終わっていないぞ、という雰囲気で話を続けなければならなかった。   「深夜にその部屋に行くと、住民はたいへん怒っているのだ。『管理人は逃げるし、排水溝は詰まるし、どうにかしてくれ』と言うのだ」。考えながらしゃべっていると、なんだか違うことを考えついてしまった。ありゃ、こりゃいったいなんだろかと自分で自分に問いかけた。けれど、事態はちっともよくならないし、そもそもさっきから自己の姿勢が破れかぶれであるので、僕はそっちの方向へ話を続けて行くことにした。   「パジャマ姿の住民は非常に怒っているのだ。マンションオーナーは、まあまあ、と怒りを静めるように声をかけて、とりあえず排水溝が詰まっている浴室に案内してもらうだろう。するとそこは水浸しだ。マンションオーナーは覚悟を決めて排水溝を調べるわけだ。排水溝のフタをパカッと外してみる。そんでもって、その中をのぞいてみる。するとどうなっていたと思う?」。ぽっちゃり青年は、いったいこの人はどこまで進んでいくのだろう、という顔をしている。僕は畳みかけるように続けた。「マンションオーナーは排水溝の中にとんでもないものを見つけたのだ。そこに……」。ぽっちゃり青年が答えを待つ。僕は核心を告げる。   「排水溝の中に、管理人が詰まっていたのだ」  これを聞いて、ぽっちゃり青年はついに明らかな動揺を見せた。試合の流れが自分へ傾くのを僕は感じた。この機を逃してはならない。僕は炉に薪をくべ、歯車を回し、なんらかの速度を上げてスパートをかけた。「それを見た瞬間、マンションオーナーはひらめいた。まったく関係がないと思われたふたつの事件が、あるひとつの事実を示していたのだ。バラバラだったパズルのピースがぴったりと重なり……」   「……もういいです」とぽっちゃり青年が言った。それをある種のギブアップと捉えても文句は出ないと思う。僕はなんとかタイトルを防衛した落ち目のボクサーのような気分で話を切り上げた。我々はしばらく無言で歩いたが、僕はどうしてももうひと言だけ言いたくて付け足した。「それが、『マンションオーナー名探偵』というお話だ!」。「もういいです!」。  以上を踏まえたうえで、もしもあなたが気分を害していなければ、以下をお読みください。  男は深夜に腰掛けていた。革張りのソファは一人掛けで、どこへ負荷をかけようとも、男の体重をやさしく包み込んでいく。男は組んでいた足を崩した。  傍らのコーヒーテーブルにはクラッカーがある。クリームチーズをすくって食べるのが男の好みだ。飲む物はたいていビールなのだが、今日はワインを飲んでいる。ときどき葉巻をくゆらせる。男はスタイルとしてではなく、単純に味として葉巻を好んでいる。  男はマンションのオーナーである。  彼はついと立ち上がり、プラズマモニターの電源を入れてからキャビネットに向かって歩いた。木製の扉を開いて並んでいるDVDを眺めると、少し思案する。  選んだのは『ゴッドファーザー』。むろん一作目である。  フロントローディングのトレイにメタリックな円盤を置くと、男は再び革張りのソファに体を落とした。いったいこの映画を何度観ただろうかとふと考えた。  マンションのオーナーであるその男は、リモコンのプレイボタンを押し、しばしその世界へ潜った。美しい結婚式の場面から始まる。ただ真っ直ぐであった青年が、潜在的に秘める野心と身に流れる血から生き様を劇的に変えていく物語である。アル・パチーノ。マーロン・ブランド。ため息が出る。デ・ニーロはともかく、アンディ・ガルシアをこのファミリーに加える気は男にはない。  最後のクラッカーを手に取るころ、物語は男がもっとも好む場所に差し掛かっていた。アル・パチーノがレストランのトイレに向かう場面だ。トイレのタンクには、拳銃が隠してある。アル・パチーノは無言でそれを手に取り、すさまじい緊張感に包まれながらトイレを出る。  いよいよだ。何度観ても、マンションのオーナーはこの場面で小鳥のように鼓動を速めてしまう。男は若きアル・パチーノと鼓動をシンクロさせながら、最後のクラッカーをがりっと噛んだ。  そのとき、容赦なく電話が鳴った。  突然に引き戻された男は、はっきりと短い舌打ちをして、リモコンの一時停止ボタンを押した。至福の時間を台無しにするのはどこの馬鹿だ。 「もしもし、オーナーさんですか」と電話口の男は言った。いかにもそうですがあなたはどなたです、と男は苛つきながら問いかけた。 「ああ、これはすいません、四〇二号室の長谷部です」 「こんばんは、長谷部さん。夜分にどうしましたか」  プラズマモニターの中ではアル・パチーノが席に着く直前で固まっている。 「どうもこうもありゃしませんよ、風呂場の排水溝が詰まってしまってエラいことになってるんですよ。以前も言ったでしょう? どうにも調子が悪かったんだが、とうとう本格的に詰まってしまった」  あのね長谷部さん、とマンションのオーナーは低く諭すように言った。 「一般的な常識としてお話ししますけど、そういうことは管理人に言ってください」 「ところがですよ」  マンションオーナーの言葉を予期していたように長谷部は口を挿んだ。 「その管理人が見当たらないんだ。それで竹中さん──あの、管理組合の理事をやってる二階の竹中さんですよ──竹中さんに聞いたところ、あの管理人ときたら、今週一度も顔を見せてないらしい」  やれやれ、とマンションのオーナーは思った。  もともと信用のおけない男だったのだ。けれど、旧友からの頼みで自由が利かず、会えばとりあえずやる気はあるようだったから管理人に雇ったのだ。肌の浅黒い四十過ぎの男だ。  わかりました、これからうかがいます、と告げてマンションオーナーは電話を切った。何もかもが台無しだ。男はガウンを脱ぎ、スラックスとポロシャツに着替えた。迷ったがDVDの電源も落とした。早めにけりをつけて戻ったとしてもシチリアという気分ではないだろう。  階下の駐車場に降りて、愛車のムキューマに乗り込んだ。エンジンをかけると乱暴に車を出した。その夜に訪れた不条理に対するせめてもの反抗としてニーノ・ロータのメロディーを口笛で吹いた。 「ああ、よく来てくだすった」  ドアを開けながらパジャマ姿の長谷部が頭を下げた。電話口では威勢よく振る舞ったものの、いざこうしてマンションのオーナーが訪れると恐縮してしまっている。  こんな夜遅くにすいませんねえ、と長谷部の後ろで女が詫びる。長谷部の女房だろう。 「あたしは明日にすればいいと言ったんですけどね、この人が聞かないんですよ。本当にすいませんねえ、こんな夜遅くに」 「いえ、お気になさらず。仕事ですから」  マンションオーナーはまだまだ続きそうな女房の言葉を遮った。 「とりあえず、排水溝のほうをどうにかしましょう。逃げた管理人のほうは明日すぐに対応します」 「ああ、すいません、よろしくお願いします」 「電話するのは明日にしな、ってあたしは言ったんですけどね、この人ったら聞かないんですよ」 「失礼。ともかく現場を見せてください」  こっちです、と長谷部が廊下の奥へ案内した。趣味の悪いパジャマだ。 「この有様です」  見ると浴室は水浸しだった。タイルの上に数センチほど濁った水が溜まっている。原因が排水溝にあることは明らかだった。  もっとも、排水溝は完全に詰まっているというわけではなさそうだ。排水溝のある浴室の角のあたりを見ると、ときどきアブクがぼこりと浮いてくる。 「とりあえず調べます」  マンションオーナーはスラックスの裾をまくり、靴下を脱いでじゃぶじゃぶと浴室に踏み入れた。背後では長谷部と女房が心配そうに眺めている。  まずは水を掻き出さなくてはならない。マンションオーナーはそこにあったプラスティック製の洗面器を手に取り、ざぶざぶと水を汲み取った。汲み取った水は浴槽の中にあける。  ほどなく、水はなくなって古びたタイルが現れた。  マンションオーナーは洗面器を置き、すこしためらったが覚悟を決めて床に膝をついた。クリーニングに出したばかりのスラックスが濡れて斑になる。  マンションオーナーは、慎重に、排水溝のフタを外した。長谷部夫妻が遠巻きに緊張するのがわかる。パカッと音がしてフタが外れた。マンションオーナーははずしたフタをタイルの上に置いた。  のぞき込むと排水溝の奥に何かある。  だが暗くて見えづらい。マンションオーナーは体をずらし、浴室の照明の光がその奥へ届くようにした。そして彼はそこにあるものを見た。  肌の浅黒い四十過ぎの男が排水溝に詰まっていた。  それを認めた瞬間、マンションオーナーの脳裏をいくつもの考えが駆け抜けた。彼は空を睨み、激しく思考した。忘れかけていた何かがこの排水溝の風景とつながりがあるような気がした。何か大切なものを見落としている。それはなんだ? 血液を流れるヘモグロビンが平均を上回る量の酸素を運んだ。耳たぶが熱くなり、左手の薬指がぴくぴくと痙攣した。  前方に晴れやかな景色が見えた。 「長谷部さん」  マンションオーナーは振り向いて夫婦に言った。声は張りのあるバリトンだった。 「どうやら私はとんでもない思い違いをしていましたよ。危うくすべてを手遅れにしてしまうところでした」 「というと?」 「事件はすでに解決を見ました」 「なんですって?」  パジャマ姿の長谷部が素っ頓狂な声を上げた。おしゃべりな女房はぶるぶると震えている。マンションオーナーは両手を上げて「落ち着いて。いまから説明します」と告げた。 「状況を整理しましょう。まず排水溝が詰まりました。それで長谷部氏は管理人へ連絡しました。ところが管理人は失踪していた」 「おっしゃるとおりです」 「そこで私が呼ばれた。私はまず発端となった問題の排水溝を子細に調べてみた。そこである事実を発見したのです。するとどうでしょう。いままで、てんでにバラバラな方向の風景を表していたパズルのピースがぴったりと重なり始めたのです」 「どういうことですの?」 「状況を整理しましょう。『排水溝事件』、そして『管理人失踪事件』。このふたつの事件は無関係であると誰もが思っていた。ところがそうではなかったのです。両者のあいだには深淵なる因果関係があったのです」 「なんですって?」 「……いいですか?」  マンションオーナーは座の一同をじろりと見渡した。食堂の柱時計がボーンと二時を告げた。客間の鳩時計がクルックークルックーと二度鳴いた。 「排水溝に、管理人が詰まっていたのです!」  深夜の明治通りを飛ばしながら、マンションオーナーは満足げに葉巻をくゆらせていた。彼は至福のひとときを台無しにされてしまったが、いまとなっては難事件を解決した達成感だけが彼を包んでいた。もうすぐ夜が明ける。  マンションのオーナーも楽じゃない、と彼は思った。 −−イタリアン・マフィアばりの圧力(馬の頭を投げ込む、など)が効いたのか、今回は素早い更新でした。次回はどうかしらん? このコラムの筆者、永田氏に励ましのお便りを出そう! メールはFFF@mochiya.nuまで! VOL.29 100人 text:永田泰大  先日、人づてに面識のない方からメールをいただき、このコラムの存在を紹介をしたことがあった。さっそく読みましたと返事が来たので、なんとなく誘われるように自分もここを読み返してみたりした。そして激しく動揺した。自己が自己に猛省を促し、促された自己が猛省したのち促した自己へ向けてひたすら土下座した。冷静になれば、いつの間にやらけしからん事態へ陥っている。こりゃまたいったいどうしたことであろうか。    なぜというに、いきなりマンションオーナーがどうしたというような世迷い言が書き連ねてある。しかもわけのわからん物語が添えてあって唐突に終わっている。こんなコラムがありますよと教えられて正直に訪れた人が、正直にいきなり上記を読んだらどうであろうか。常軌を逸した上記を読んだらどうであろうか。言葉で遊んでいる場合ではない。率直に言って、呆然とするに違いない。唖然としながら座禅をくむに違いない。否、遊んでいる場合ではない。    百を譲って、この名探偵の話は何かの間違いであろうとすこぶる良心的に解釈していただいたとして、そのひとつまえを読んでみるかということになったとしたらどうであろうか。そこには突然に時代物めいた問いかけが延々と続いているのである。よござんす、とか書いてあるのである。これはもう致命的である。万事休すである。元祖天才バカボンである。    そんなわけで慌てて書くことにした。みなさん、僕は常識を持ち合わせておりますよ。常備薬を常備しておりますよ。だから、こういうことを思いつくまま書くからいかんのだ。とにかく慌てふためきながら書き殴っているいま現在である。いかがお過ごしですかという挨拶さえこのあたりで登場する狼狽ぶりである。    つまり今回のコラムはテーマ不在である。コラムらしきコラムをウインドーの先頭に持ってくるということ自体が意義である。そう綴るこの文章がコラムらしきコラムとして振る舞っているのかどうかはこの際どうでもよろしい。    ところで正直に述べるとそういうことは今回に限ることではない。このコラムに関して、我に返り慌てふためくことは度々にある。根拠を探るに、ときとして僕はこの場所が他者に接することをほとんど意識しないのである。いわば長電話をしながら傍らの紙に出の悪い黒ボールペンで描き広げていく不可思議な幾何学模様がこの文字列である。どうですかと胸を張るようなものでは毛頭ないし、よろしければいかがですかとショーケースの反対側からにっこり微笑みかけるようなものとも性質が異なる。ならばまったく他者の目を意識しないかというとそれもまた違っていて、だいたいそんな酔狂をやるほど僕は実験精神に満ちるわけではない。無人島でただひとり洞窟の壁におもしろコラムを書くかと問われれば答えは純度百のNOである。何が悲しゅうて孤島の石壁にマンションのオーナーの話を書かにゃあならんのだ。    ならばどこへ向かい僕は書くのであろうか。    この場所の地主であるメガネのデザイナーがある日僕へ興味深いデータを送ってくれた。そこには前回更新してから十日あまりのあいだにここを訪れた人の数が記してあった。つまり、お客さんの人数である。データを元に大雑把な推測をたてるなら、だいたい100人の方がここを訪れているという感じであった。100人。けっこうな人数である。適当なライブハウスならいっぱいになる人数である。小学校でいえば3クラスぶんくらいの人数である。十人前の寿司が10倍必要な人数である。もしも村であったなら、そのうち6人が普通免許を所持し、3人が車を持ち、車を持つ3人は全員アメリカ人であるというのは中途半端に時事を汲んだ出鱈目であるうえになんだか例えの構造が真逆である。    無人島の例えをつなげるならば、100人のちょっとした理解のある人が世界のどこかにいると信じて、わけのわからん文字を連ねた紙を瓶詰めにして海へ流すというのがこの場所の佇まいかもしれない。そのくらいの動機さえあるなら、僕は喜んで紙切れに「よござんす」と書き瓶に詰めてそれを水平線めがけ投げると思う。瓶を拾った人がその「よござんす」を読んでどんな顔をするかはこの際どうでもよろしい。    そんなわけで、いまここをご覧になる方はたぶん100のうちのひとりである。奇妙なご縁を記念して、1から100までのあいだに任意な番号を思い浮かべていただければ即座にそれをあなたのラッキーFFF番号として認定させていただく。ただし、11だけは僕のラッキーナンバーであるのであらかじめ排除する。それは、高校のとき11組に所属しつつ出席番号が11であったということと、姉が中学の部活でソフトボールを始めたときユニフォームを作る段になって背番号が選べることになり「何番がいいと思う?」と訊くから根拠なく「11はどうだ」と答えたところ不思議そうな顔をするので理由を尋ねてみたらなぜか父親も同じ質問に対して「11はどうだ」と答えていたという奇妙な出来事に起因する。むろんラッキーFFF番号は世の中に対して微塵も役に立たない。    ああ、そうだ、家主を気遣いオリタ君の番号もあらかじめ削除しておこう。キミのラッキーナンバーは何番だね、オリタ君? −−ええっと…何番にしようかなあ…いや、ホントは何番でもいいんだけど 気の利いた理由が思いつかないので…う〜ん…う〜ん このコラムの筆者、永田氏に励ましのお便りを出そう! メールはFFF@mochiya.nuまで! VOL.30 期待のルーキー、小磯良太郎選手に聞く!! text:永田泰大  あけましてっ(ここで拍子木の音、チョーンと鳴る。以下、大勢が声を合わせて)、おめでとぉうございますぅっ。否、二月である。一年の計は元旦にあり、などと思ううちに二月は逃げるのである。三月は去るのである。四月は花見で酒が呑めるのである。そうこうするうちに夏が秋へ過ぎて、気がつくと師走である。もういくつ寝るとお正月である。やあみなさん、あけましておめでとうございます。否、すでに二月も中旬である。  というわけで全国100名のFFFファンのみなさん、お待たせいたしました。びっくりコラム2003の幕開けです。一年の計は旧正月にありと孟子もおっしゃったようです。今年もよろしくお願いいたします。いえいえ、こちらこそよろしくお願いいたします。  新年に誓うことといえばやはり更新速度向上に尽きる。毎度毎度同じことをくり返すが、いつだって僕は本気である。どうにか今年は月イチ更新を心がけたいところであるが、なんとすでに二月であって、今年初回にしてすでにノルマはマイナス1である。どっかで帳尻を合わせるつもりだが、間違っても借金が膨らむことは避けていきたい。どうか今年もよろしくおつき合いください。いやホント。  新年の挨拶をつつがなく終えたところで本題へ移るが、新聞のインタビューというのは、どうしてあんなに聞き手の口調が紋切り型なのだろうか。なぜにあんなに高飛車な感じで質問の語尾を切り捨てるのであろうか。「──今後の予定はいかがですか?」という質問が、なぜに「──今後の予定は。」になってしまうのか。「──成功を疑問視する声もありますが?」という質問が、なにゆえ「──成功を疑問視する声がある。」となってしまうのか。    いや、だいたいの仕組みは理解する。権力などに毅然と相対するという姿勢の現れだ。報道の自由を有する立場として、大衆の代表者として、知る権利を施行するわけだから、かしこまったりすることはないのだ、ということだろう、たぶん。本当のところは知らんが。おのおの調べておいてほしいが。その際、二班に分かれておいてほしいが。    だから、たとえば政治家に対する質問がそのようになっていても違和感は覚えない。そういうものだという常識がこちら側にもできている。けど、まるで権力のなさそうな地方役所の広報だとか、ただいま絶好調のスポーツ選手にまでそんな感じで質問されると、おいおいそんな言い方ないだろうとついつい思ってしまう。    今日もスポーツ新聞のインタビューを読んでいてありゃりゃと感じた。今年の抱負を語る! みたいなにぎやかな見出しがついていたから余計に違和感を感じた。もしこれが本当のやり取りだったらすごいだろうなと感じた。そしたら、途中から、なんだかおかしくてたまらなくなってきた。しまいには余計な妄想が広がってきてまともに本文が読めなくなってしまった。なんだいこりゃ、と思ったが、せっかくなので覚えておくことしにした。というわけで、そういったことを踏まえ、心にさまざまな余裕がありましたら、以下をお読みください。 ──秋の社会人リーグでは大活躍だった。 「ありがとうございます。運にも恵まれました」 ──来季の即戦力と期待されている。 「期待に裏切らないよう、がんばりたいですね」 ──風邪気味と聞いたが体調は。 「3日ほど寝込んだので、いまちょっとウェイトオーバーですね。  もちろん、2月のキャンプには間に合わせますよ」 ──ウェイトオーバーと言ったが体重は。 「え、ええと、87キロくらいかな」 ──見えないが着やせするタイプか。 「ああ、そう、ですか?」 ──着やせするタイプか。 「いや、その、どうだろう?」 ──着やせするタイプだが。 「知りませんよ」 ──歯並びが悪い。 「大きなお世話ですよ」 ──故郷の近海ではカキの養殖が盛んだ。 「ああ、そうなんですよ! この時期はとくにたまらないですね。  僕は生で食べるよりも、どっちかというとフライとか」 ──俺の故郷の話だが。 「なんであんたの故郷の話が出てくるんですか」 ──鼻毛が出ている。 「大きなお世話ですよ」 ──来季の即戦力と期待されている。 「それさっき答えましたよ」 ──ヘンゼルとグレーテルが。 「……どうしたんですか」 ──ヘンゼルとグレーテルがお菓子の家に入ると魔女が。 「……魔女がどうしたんですか!」 ──ファンの期待が非常に大きい。 「ああ、がんばらないといけませんね」 ──と思ったがそうでもない。 「途中で切らないでくださいよ」 ──Aクラス目指してみんな張り切っている。 「……そうですね」 ──ベテランも燃えている。 「僕も、がんばらないといけないと思ってます」 ──風が吹いている。 「はい?」 ──空は晴れている。 「……ええ」 ──大きな鳥が紺碧の空を悠然と滑空している。 「………」 ──終わるが。 「かまいません」 ──ありがとうございました! −−前々回の反省をもとに書かれているのか。 妄想がふくらんでいる。 迅速な更新が期待されているが。(オリタ) このコラムの筆者、永田氏に励ましのお便りを出そう! メールはFFF@mochiya.nuまで! VOL.31 先日書いた例のパスタ屋 text:永田泰大  どうにも気になったので、先日書いた例のパスタ屋にもう一度行ってみた。意外にも店内は混雑していて、窓際の席はおろか、満席で断られかねないほどだった。幸い、テーブル席に座っていた4人組が食べ終わったところだったのでなんとか席につくことができた。前日の閑散とした雰囲気から一転、平日夕方にして突然の混雑ぶりであり、謎はいっそう深まるばかりである。メニューを開き、注文を選ぶふりをして店内を一望。あのウェイトレスはいるのか? いた! レジの横にあるイスに腰掛けて、なにやら伝票をチェックしている‥‥。  このように書き始めれば万全であろう。よもやこれが1年以上更新されていなかったびっくりコラムの唐突な再開であるとは誰も気づかないはずである。賢明な読者諸君ならすでに察せられたことと思うが、「先日書いた例のパスタ屋の話」などというものはどこにも存在しない。バックナンバーをいくら漁ろうと出てこないので、ウェブマスターたるメガネデザイナー、オリタくんに問い合わせのメールなどを送らないようにしてほしい。つまり、「先日書いた例のパスタ屋の話」というのは、常軌を逸するほど更新が滞ったことを一般に悟られないようにするための周到な隠れ蓑である。裏金着服の収支を合わせるためのペーパーカンパニーである。幽霊会社である。フック船長である。  述べたようにそのウェイトレスはインド系の美人で、褐色の肌といい、彫りの深い顔立ちといい、とても日本人とは思えないのだが、驚くことに胸元の名札を見ると「水谷」と書いてある。つまり、出生地やご両親の国籍がどうであれ、その長髪の美人は「水谷さん」であるということなのだ。水谷さんはレジの横で伝票をチェックしていたが、傍らの電話がせわしく鳴り出すと、作業を中断して受話器を取った。そして、流暢にこう告げる。「お待たせしました。はい、ラストオーダーは21時となっております。ええ、そうです。えっとですねぇ、そこからですと、ええと、国道43号線を代々木方面に向かいまして、ムキューマの看板が見えましたら左折して、3つ目の信号を右です。はい、はい、承知いたしました。お待ちしております。はい、失礼いたします」。めっちゃブロークンな日本語である。どうやら水谷さんは、そのオリエンタルかつエキゾチックな外見に反して内面は完全に日本人であるようだ。っていうか、水谷さんなんだから当然であろう。注文を決めた我々は彼女が電話を切るのを確認して右手を挙げた。水谷さんがペンと伝票を片手に近づいてくる。  むろん、以上のことはまったくもって出鱈目であって、「あ、なんだ? やっぱ続きの話なのかな?」などと思われると非常に困る。くり返すがこれは長きに渡る不在、およびそれを再開するに至って生じる七面倒くさい挨拶、ともなう照れくささなどを、いかに無視するかということのためだけに書かれた絵空事なのであって、今回に続く前回などというものは存在しないし、もととなる事実もないし、引用元も出典もない。当然、国道43号線沿いにムキューマの看板などは存在しないし、水谷さんという褐色の美人もいない。「あ、そのパスタ屋知ってる」などと言う人には、ミスター早とちりの称号を与える。万が一、そんなパスタ屋があって、水谷さんも存在するというのなら、天文学的な確率を引き当てる偶然なので、ぜひメールにてお知らせいただきたい。  水谷さんは僕らの席までくると「お決まりですか?」と言って微笑んだ。僕とコバヤシさんは飲み物と前菜とパスタと肉料理を注文した。水谷さんは淀みなくそれをくり返し、ボールペンを胸のポケットに挿すとメニューを回収して「ごゆっくりどうぞ」と微笑んで去った。去ったあとにはほんのりとヴァニラの香りがした。コバヤシさんは「やっぱり完全に日本人だね」と僕に言った。「でしょう?」と僕は返した。店内には薄くジャズが流れている。聞き覚えがあると思ったらドナルド・バードだった。タイトルが思い出せないけど、以前、何度も聴いた覚えがある。「ところで明徳義塾は強いね」とコバヤシさんは唐突に切り出した。それが高校野球の話だとわかるまで少し時間がかかった。「勝ちましたか?」と僕が訊くと、「11対1のところまで観た」と彼は返した。僕もコバヤシさんも野球が大好きである。「明徳義塾を観ると、その年の高校野球のレベルを確認できる」とコバヤシさんは言った。彼は西荻窪で古家具屋を営んでいるのだけれど、新旧のスポーツに恐ろしく造詣が深い。古家具屋を始めるまえに、マスコミ関係にでも勤めていたのではないかと僕はにらんでいる。「チームの実力は内野の守備を観ればわかる」と言ってコバヤシさんはタバコに火をつけた。「二遊間ですか」と僕が言うとコバヤシさんは「いや」と即座に打ち消した。「サードだよ」、「サード、ですか?」。コバヤシさんは宙へ細く高く煙を吐き出し、たゆたうそれを見つめながら言った。「チームでもっともうまいやつが二遊間を守る。甲子園に出てくるほどのレベルになれば、どの学校も二遊間はうまい。もっというと、キャッチャー、二遊間、センターはどこの学校もうまい。ところが‥‥」。コバヤシさんは意図してそこで少し間をおいた。僕にもようやく話の展開が理解できた。コバヤシさんはそれを確認したうえで念を押すように僕に言った。「明徳義塾はサードもうまい」。相変わらずの慧眼ぶりだと僕がにやにやしていると、コバヤシさんも楽しそうに先を続けた。「高校野球は金属バットだから打球が速い。サードには、プロ並みの打球が飛んでくる。それをさばくには人並み外れた動体視力と運動神経が要求される。サードというと守備範囲の広さを要求されないように思うかもしれないけれど、高校野球はランナーが出るとつねにバントされる可能性がある。前後の動き、ダッシュ力はプロ以上に重要になってくるんだ」。コバヤシさんはそこで水をひとくち飲む。からんと氷の転がる音がする。「そしてもちろん肩の強さ。サードゴロを確実に併殺に獲れればそのチームの防御率はずいぶん下がる」。考えたこともなかった、と僕が言うとコバヤシさんは少し照れくさそうに笑った。続きを聞きたいので僕は黙ってコバヤシさんを見る。「動体視力があって、機敏で、ダッシュ力もあって、肩も強いとなると、ふつうの高校ならそういう選手はピッチャーをやる。ピッチャーが足りてるなら、センターラインを守る。つまり、キャッチャーか、二遊間か、センターだ。ところが、明徳義塾にはいつも完璧なサードがいる。それだけ選手層が厚いっていうことだ」。飲み物が運ばれてくるが、運んできたのは水谷さんではなかった。コバヤシさんはビール。クルマで来ている僕はジンジャーエールだ。お疲れ、と言って僕らはささやかに乾杯する。コバヤシさんはビールを喉に流し込み、ビール好きの人が真夏に最初のビールを飲んだとき特有の表情をしてみせた。うまい、と小さくつぶやく。ジンジャーエールだって負けてないんだけどな、と僕は思うが、口には出さない。「もしも俺が甲子園に出たとして‥‥」とコバヤシさんは言った。素敵なフレーズだと思う。もしも俺が甲子園に出たとして。僕は続きを待つ。コバヤシさんはグラスをコースターの上に置きながら言った。「もしも俺が甲子園に出たとして‥‥負けるなら、明徳義塾に負けたい」。覚えておこう、と僕は思った。  いや、だから、くれぐれも念を押しておくけれども、以上の話はまったくもって出鱈目である。フィクション以下の、あることないこと書き殴り大会である。僕の周囲にコバヤシさんなどという人はいないし、そもそも僕の半生において「コバヤシ」という名字の人は、中学時代の同級生までさかのぼらないと出てこない。そういやコバヤシマサアキくんはいまどうしてるんだろうか。いつだったか、あいつは早稲田に行ったと誰かから聞いたことがあるように思うのだけれど、僕はそれを誰から聞いたのだろうか。いずれにせよ、はっきりさせておきたいのは、高校野球に詳しくて、西荻で古家具屋をやっているコバヤシさんなんていう人は存在しないということである。けど、明徳義塾がいつも強くて選手層が厚いというのはほんとうのことだ。今年の夏もいいところまで勝ち進むと思う。星陵時代の松井選手相手に5打席連続敬遠をしたときは嫌いな高校だったけれど、ここ数年で僕は認識をあらためている。勝ちに行く高校は、とことん勝ちに行ってほしいと思う。と、このあたりまで読んでもらえれば、久しぶりにこのサイトを訪れた読者の方も、長く滞った更新のことなど忘れてくださったのではないだろうか。こりゃどうもそういう問題じゃねえな、と、違った軸で頭を抱えていらっしゃるのではないだろうか。とにかく、読み手のみなさまを煙に巻くことのみが本稿の意義である。そうでもしないと18ヵ月にも及ぶ更新停止は埋め合わせができないのだ。いわばこれは、つもり積もった弁明と言いわけをチャラにするための徳政令である。雪だるま式の利子を吹き飛ばす自己破産である。無い袖は振れないのである。宵越しの銭は持たないのである。坊主憎けりゃ「華奢だな、おまえ」である。着やせするタイプである。  コバヤシさんはグラスを空けたあと、赤ワインを注文した。前菜はレバーペーストとオリーブで、見かけは平凡だったが美味かった。ワインを持ってきた水谷さんにコバヤシさんが「美味しいですね、これは」と言うと、水谷さんはとってもうれしそうな顔をして「ありがとうございます」と言った。もちろん、発音は完璧だった。というよりも、もはや僕らは水谷さんの内面と外見のギャップを感じなくなっていた。テーブルを去るときに、水谷さんの長くて黒い髪は照明を受けてきらきらと光った。続いて運ばれたきたのはパスタで、これもまた美味かった。先週に引き続いて僕がこのパスタ屋を訪れたのは、むろん例の謎をきちんと解明したいという思いからではあるが、それにしたって、料理が不味ければわざわざ二度も来たりしない。わけても今日はコバヤシさんを誘って来ているのだ。いつだったか、コバヤシさんとふたりで台湾料理屋に入ったことがあるが、コバヤシさんは二皿ほど食ったあとでゲラゲラと笑い出してしまった。コバヤシさんは、腹を立てると笑うのだ。なんだこの餃子は、と言いながら彼はゲラゲラ笑った。ピータン豆腐をつまむときは少し真面目な表情に戻ったけれども、青菜と豆腐の塩炒めを食うときは爆笑だった。上海風焼きそばを食べているときは、ひいひいよがりながら笑っていた。杏仁豆腐もくすくす笑いながら食べていたが、さすがに半分ほど残した。よせばいいのに、会計のときにはレジの店員に向かって「いやあ、おもしろかったです」とわざわざ言った。当然、店員はきょとんとしたまま「ありがとうございました」と頭を下げた。それを見てコバヤシさんはまたしてもゲラゲラ笑った。僕は、気が気ではなかった。幸い、コバヤシさんは今夜笑わない。もちろん、話の内容に応じて笑顔を見せたりはするけれども、ガーリックトーストをかじりながら「ぶひゃは」と吹き出したりはしない。主菜の肉料理も文句なく美味かった。ぼくらは満足してナプキンで口をぬぐい、コーヒーを待った。そこでコバヤシさんは、ささやくように僕に訊いた。「ところで、ほんとなんだろうな?」。目が悪戯っぽく光っている。なにがですか、と僕はとぼけてみせる。「この店の、例の謎のことだよ」。僕は答える。「それがほんとうかどうか、たしかめに来たんじゃないですか。今日もそうなら、たぶんほんとうだってことですよ」。水谷さんがコーヒーを持ってきたので僕らは黙る。僕がイタリア人なら、コバヤシさんに向かって目配せするところだ。  ええと、みなさん、いかがだろうか。もう十分じゃないだろうか。いや、ほんとうに、申しわけなかったと反省している。心からすんませんと述べたい。すんませんと述べたあとにもうしませんと続けたい。もうしませんと続けたあとは、熱いお茶を一杯いただきたい。茶菓子に羊羹は避けていただきたい。否、お茶などいただく身分ではない。悪いのは僕である。オイラである。拙者でござる。まろでおじゃる。思い起こせば18ヵ月前、僕ときたらよりによって最後の更新において「今年は月イチ更新を心がける所存である」などとぶち上げた。ところがそれから1年半ものあいだ、びっくりコラムはついぞ更新さるることがなかった。問答無用とはこのことである。身に受けてしかるべきは叱咤激励どころか罵詈雑言である。呉越同舟どころか四面楚歌につき五里霧中である。荒谷二中はシュプレヒコールである。墨谷二中はキャプテンであり、のちのプレイボールである。しかも、更新しないならしないで、「しばらくこのコラムはお休みします」くらいの処置をとっておけばいいものを、いかにも「明日にも更新する可能性がありますよ」みたいな感じでうっちゃっておいて、あげくに脈絡なく再開するわけであるから我ながらいかにも身勝手である。これこのとおり反省しておりますので、どうにかその天を突いている怒髪をワックスなどで撫でつけていただいて、振り上げた拳はパーかチョキにしていただいて、お腰の刀を番頭に預けていただいて、受付で名前を言って番号札を受け取っていただいて、呼ばれた方から診察室にお入りいただきたい。広い心と深い慈悲を持ち合わせておられるならば、診察室を出るときには「許す」とひと言いって微笑んでいただきたい。念を押しておくけれども、長々とつづってきた「先日書いた例のパスタ屋」の話なんてのは、まるで出所のない話であり、謝罪の言葉を先送りにするためにただ意味なく延々書き連ねた無意味な世迷い言にすぎない。コバヤシさんなんていう人を僕は知らないし、水谷さんなんていうインド系の美女もこの世に存在しない。あ、でも、水谷さんについて出鱈目に書き殴っているときに、頭に浮かんでいた人はいる。モデルというほどのことはないけれども、書きながら自然とイメージを借りてきてしまった人はいる。毒食わば皿までの精神で説明するとすると、その人の存在する地は京都である。僕は仕事で年に何度か京都に行くことがあり、ほぼ間違いなく日帰り出張となるため京都駅でよく時間を潰すことになる。駅ビルの1階に、小さな飲食店がいくつか軒を並べる一角がある。そこにいかにも喫茶店然とした喫茶店がある。入口にコーヒーサイフォンが置かれていて、ショーケースのなかにパフェの蝋細工が飾ってあり、ソファは『ザ・ベストテン』における『ルビーの指輪』の記念ソファを彷彿とさせる赤いベルベット風のものだ。そこの店員が、インド系の美女なのだ。その人の名前は知らない。そもそも、いまもそこで働いているのかどうかわからない。何度かそこで時間を潰して、何度かそこでその人を見た。キレイな人だなあ、場違いだなあ、と思いながら僕はコーヒーを飲み、時間が来たらお金を払って店を出た。そういう人がいた、というだけのことだ。これはほんとうの話だ。これまで苦し紛れに書いてきた「例のパスタ屋」の話になにかしらの真実が含まれるとしたら、たぶんそれくらいである。たぶん。  僕とコバヤシさんは、ゆっくりとコーヒーを飲み干した。そのときが近づくにしたがって、コバヤシさんが年甲斐もなくわくわくし始めているのを僕は感じ取った。もちろん、それは僕も同じことだ。僕らはその宙ぶらりんな気持ちを長く楽しむようにあえて無駄話をして、もうよかろうというあたりで「行きますか」と声をかけあった。見るとレジには水谷さんがいる。条件は整った。僕らはあくまでもさり気なく席を立ち、レジに向かって近づきながら水谷さんに向かって会釈した。支払いは僕がする段取りになっている。背後のコバヤシさんが神経を研ぎ澄ませているのがわかる。ついにレジの前に立って「お勘定を」と言ったとき、ちょっとしたアクシデントが起こった。水谷さんが僕らの手元を確認し、「伝票をお持ちではないですか?」というふうな表情を見せたのだ。しまった、テーブルに伝票が来ていたのか。振り返ろうとしたときに背後から声がした。「ジェイン、これ」。男の店員が伝票を片手に立っていた。水谷さんは「ありがとう」と言ってそれを受け取る。男の店員は伝票を渡すとすぐに業務に戻った。──ジェイン? 水谷さんはジェインというのか? 僕とコバヤシさんはその意外な事実に少し戸惑う。けれど、冷静に考えるならばそれは戸惑うようなことではない。彼女がハーフであるというのは至極納得のいく話であるし、本名ではないにしてもそういった愛称で周囲から呼ばれているというのはうなずける話だ。そして僕とコバヤシさんは呼び名に気をとられていて、肝心のことを忘れていた。気づくと、水谷さんだかジェインだかは、僕らに向かってこう言っていた。「22222円になります」。背後でコバヤシさんがひゅっと息を飲むのがわかった。‥‥やっぱり、またゾロ目だ。僕らはその奇妙な事実を深く胸に刻み、ごちそうさま、と言って店を出た。夜の街は静まり帰っていて、薄暗い裏通りに100円パーキングの看板だけがバカみたいにぴかぴか光っていた。信じらんないな、と、国道沿いを歩きながらコバヤシさんが言った。「ほんとに、そんなことがあるのか? 会計が必ずゾロ目になる店だなんて」。疑いを投げながらも、コバヤシさんは笑顔だ。横断歩道で僕らは立ち止まる。「だって、いま実際に見たでしょ? 先週僕がひとりで行ったときは5555円だったんですよ。あの店を僕に教えてくれた知り合いは、3回行って、3回ともそうだったって言ってました」。まいったなあ、と言ってコバヤシさんは背後を振り返る。古いビルの切れ目、店の緑色のネオンが控え目にともっている。ほどなく、信号が青になって僕らは歩き出す。渡りきったところで、僕は左へ、コバヤシさんは右へ向かう。「しゃあない、もいっぺん行ってみるよ」とコバヤシさんは別れ際に行った。「それがいいですよ。そもそもあそこは美味いですから、ふつうに食事に行くだけでも十分価値がある」。うん、とコバヤシさんはうなずき、最後にこうつけ加えた。「それに、ウェイトレスも美人だ」。  ともかく、びっくりコラムの再開第一回はこれにておしまいである。なにがなんだかわからんわいという方は、まったくもってそれで正常であると思う。何度も述べたように、これは煙に巻くためのケムマキコラムである。坊主頭をテーマにするならイガグリコラムである。さっぱり意味がわからなくて当然なのである。世にも出鱈目なテキストにおつき合いいただき、ありがとうございました。徹頭徹尾うそっぱちを書き連ねてきたけれども、最後の最後、「会計が必ずゾロ目になる店がある」ということについては、出鱈目であるかどうかを僕は明らかにしません。ひょっとしたらその店が存在するかもしれないという含みを残して終わりたいと思います。もしもあなたがどこかでパスタを食って、会計がゾロ目であったなら、どうぞ周囲を見渡してみてください。そこにインド系の美女がいれば、その店が「例のパスタ屋」かもしれません。 −−風(永)が語りかけます…。長い、長すぎる! (オリタ) このコラムの筆者、永田氏に励ましのお便りを出そう! メールはFFF@mochiya.nuまで! FFF番外編 オリタ君のプロフィール その1 text:永田泰大  ホームページを開設し、世界に向けてなんらかの情報を発信するからには、まず自分がどういった人物であるかを紹介するのが筋ではないか、と僕はオリタ君の胸ぐらをつかみながら主張したわけである。すると彼は、それもそうだな、だがそれはそれとして君、その手を離したまえと叫び、僕の横っ面を2,3発はたいたわけなのだ。血で血を洗う惨劇の幕開けである。骨肉の争いである。牛舌の塩焼きである。  ともあれ、オリタ君のプロフィールを紹介するのがよかろう、ということになった。夕焼けに染まる荒川土手での話だ。「ときに君、生まれはどこだね?」と僕は唇の端に流れる鮮血をぬぐいながら言った。すると彼は、「そうだな・・・」と重々しく口を開き、遠くを走る埼京線を目で追いながら続けた。「1969年2月18日、僕は千葉県市川市に生まれた」。そう言って彼は、そばにあるススキの葉をむしり取り、見事な草笛を吹いた。たしかこの曲は、『ボヘミアン・ラプソディー』。クイーンだ。  彼はそのまま荘厳な曲を草笛で見事に再現し、「ガリレオ〜ガリレオ〜」のリピートのあたりで馬鹿馬鹿しくなってやめた。僕もどうなることかと思っていたのでホッとした。  沈黙を破るように僕は訊いた。「それで?」。川はゆっくりと流れていた。するとオリタ君は突然、はじかれたように笑い出した。僕は呆気にとられて彼を見ていた。オリタ君はしばらく笑い転げ、どうにもたまらないようで足をジタバタさせた。しまいには、ゴロゴロと寝返りを打つように転げ回り、ついにその勢いで土手を転がり落ちてしまった。なんせ僕らは土手にいたもので。  ややあって、オリタ君は土手を上がってきながら「やあ失敬失敬」と照れたように笑った。そしてそのまま元いた位置に腰掛けると、思い出してもおかしい、というふうに、クックッと小さな声を上げながら言った。「そして僕は早園小学校に行ったんだ」。そこまで言うとオリタ君はまた笑い出した。僕は驚きのあまり呆然としてしまった。だって、まるでおもしろくないもの。オリタ君は、ひ〜ひ〜言いながらつぎの言葉を告げた。「そのあと、さ、僕は、し、し、城山中学校に行ったんだ」。衝撃だった。僕はにわかに落ち着かなくなった。だって全然おもしろくないじゃん。僕は引きつったような笑い顔をつくろいながら、「そいつはいいなあ」と相づちを打った。オリタ君はまだ笑い転げている。そして、どうにかこうにか笑いをこらえて、必死の形相で僕に言った。「そ、そして、そのあとどうしたと思う?」。僕はしばらく考えてから答えた。「さあ」。オリタ君はもんどり打ちながら叫ぶように言った。「海老名高校に行ったのさ!」。これはたまらない。さすがの僕も大笑いしてしまった。あんまりおかしいもので足をジタバタさせた。僕らはふたりしてゲラゲラ笑い、その勢いで土手を転げ落ちてしまった。なんせ僕らは土手にいたもので。  ふたりは川べりまで転げ落ちた。そしてしばらく笑ったあと、僕らの笑いはようやくおさまってきた。僕は、ぶり返す笑いをこらえながらオリタ君に言った。「そ、それで? それでどうなったのさ?」。刹那、オリタ君の表情がサッと曇った。完全に真顔だった。いくぶん青ざめてもいた。メガネが曲がっていた。加勢大周を意識していた。  「一浪したんだ」  返す言葉がなかった。僕らは押し黙ったまま、行く川の流れを見つめていた。体育座りだった。禅問答だった。隣町はお祭りだった。 続く >> その2 このコラムの筆者、永田氏に励ましのお便りを出そう! メールはFFF@mochiya.nuまで! FFF番外編 オリタ君のプロフィール その2 text:永田泰大  電車がホームに滑り込み、乗客がどっと降りてほっとしていると、それ以上の数の人が乗ってきてとんでもない混み具合になってしまった。しかも、僕の前の男はなんだって僕と正面から顔を合わせるように立っているのだろう。この混み具合じゃカバンからゲームボーイだって出せやしない。  とりあえず僕は身をよじるようにして、不作法な男の肩越しに中吊り広告を眺めることにしたのだが、こんなときに限ってそれは『たまごくらぶ』とかなのだ。離乳食なのだ。情操教育なのだ。なぜかインターネットなのだ。そしてどこかで携帯電話が鳴り出すが、またしてもそれは『キューピー3分クッキング』のテーマ曲だ。確かに3声和音を駆使したその着メロの完成度は高いが、僕の周りには『キューピー3分クッキング』を着メロにしているやつが多すぎやしないか。  それでもなんとか『たまごくらぶ』の中吊りを読み切って、本当にもうどうしようもないから隣の上越地方のスキー場の広告を読み潰し始めた。そこでまた誰かの携帯が鳴る。しかし、今度の着メロは僕を苛つかせはしなかった。それどころか僕を安らげつつあった。ひいてはどこかへいざないつつあった。むしろ悠久の海へ旅立ちつつあった。確か、この曲は『ボヘミアン・ラプソディー』、クイーンだ。  驚いて僕は携帯の鳴るほうへ目をやった。正面の不作法な男が邪魔でよく見えない。しかたなく僕は不作法な男を正面からにらみつけた。鬼の形相でにらみつけた。般若もかくや、と思われる表情でにらみつけた。さすがに男は気味悪かったらしく、視線を外して僕から遠ざかるように体をよじった。それで僕はその携帯の持ち主を見ることができた。  やはりそれはオリタ君だった。短く刈り込んだ髪。シルバーフレームのメガネ。20センチほど伸びた立派なあごヒゲ。いや、あごヒゲは見間違いだった。そう、そこに立っていたのは間違いなくオリタ君だった。  奇遇に僕が驚いていると、電話で誰かと話しているオリタ君とふと目があった。オリタ君は、ちょっと驚いた表情を見せ、やあ、と僕に目で挨拶した。そして電話口の相手に向かって「それじゃ和風で」と言ってから電話を切った。それはとても気になる決めゼリフだったが、他人の電話の詮索は野暮というものだろう。  にしてもオリタ君と僕はすぐ近くにいたわけではなかったので、ふつうに会話するわけにもいかなかった。オリタ君と僕の間には、少なくとも3人の乗客がいた。まあいいか、と僕が思っていると、オリタ君はまず自分の目の前に立っているサラリーマンの顔をにらみつけ始めた。もちろん鬼の形相だった。つぎのOLに向かっては阿修羅の表情で挑んだ。最後の紳士は、ブルース・リーが敵にトドメを刺したときの切ない表情で退けた。そんなふうにしてオリタ君は僕の隣にやってきた。やるときはやる男である。  そしてオリタ君は僕に向かって言った。「さ、こないだの続きをやろうか」。なんだって? 「プロフィールだよ。一浪したところからだったよね」。驚いたことに、彼はこの満員電車の中でプロフィールの続きを語ろうというのだ。河原で途切れた自己の歴史を再び紐解こうというのだ。  突然の提案にうろたえて、「ちょ、ちょっと待ってくれよ・・・」と言いかけた僕だったが、オリタ君は僕を阿修羅の形相でにらみつけた。有無を言わさぬつもりだ。仕方ない。意を決した僕は、彼に応えるべくアントニオ猪木の表情でにらみ返した。オリタ君はニヤリと笑い、「それでいい」と満足げに言った。  なんとか自分の吊革を確保しながら、僕は「それで浪人時代はどうだった?」と聞いた。オリタ君は、少し懐古するように遠い目をして『たまごくらぶ』の広告を眺め、ややあって「それはギターだったね」とつぶやいた。 「ギター? ギターって弦楽器のギターかい?」 僕は突然の展開に戸惑いながら尋ねた。 「もちろん弦楽器のギターさ」 「エレキかい?」 「エレキさ」 十代の最後にエレキギターに出会ったオリタ少年。悪くない。ドラマティックな展開だ。 「一浪してどうなった? 大学生になったのかい?」  オリタ君は僕に向かって深々と頭を下げた。 「おかげさまで大学生になりました」 「おめでとう!」 「ありがとう!」  心なしか満員電車の乗客も祝福しているような気がした。次の駅を告げる駅員のアナウンスさえゴスペルとして響いた。『たまごくらぶ』も悪くないじゃないか、と僕は思った。僕は口笛でも吹きかねない勢いで「ちゃんと卒業したのかい?」と聞いた。オリタ君は指をパチンと鳴らして「もちろんさ!」と答えた。 「きっちり4年で卒業したよ!」  僕は目の前が真っ暗になった。ショックだった。膝がガクガクした。お皿が割れそうだった。見かねたオリタ君が「どうしたの?」と心配そうに尋ねる。僕は絞り出すようにして、小さく答えた。 「僕は・・・1年留年したんだ」  心なしか満員電車の乗客が蔑んでいるような気がした。駅員のアナウンスがデスメタル調に響いた。『たまごくらぶ』なんて犬にでも食われろ、と思った。  そんな僕を励ますように、オリタ君は自分の大学生活のエピソードを聞かせてくれた。 「大学時代は音楽をやっててさ、コレクターズのスタッフなんかもやったんだ。ほら、バスドラにバンドのロゴを描いたりしてたんだぜ。そのころからデザインに興味があったからね」  僕は、くだらないことで落ち込んでオリタ君に気を遣わせてしまったことを反省した。そうさ、『たまごくらぶ』だってちょっとしたもんだ。ひよこの子はひよこだ。「ありがとう、オリタ君」と僕が照れながらお礼を言うと、「なんでもないさ」と彼は爽やかに笑った。  そのときだった。ホームに差し掛かった電車がガタンと強く揺れた。満員の乗客が波を打つ。僕は大きくバランスを崩し、体重の支えをなくして宙をつかんだ。倒れそうになりながら僕は吊革に向かって夢中で手を伸ばした。吊革に指がかかる。助かった、と思った瞬間、なんとオリタ君がその吊革を奪い取ってしまった。「ああ!」と声にならない叫びを上げて僕は何かつかむものがないか探した。そこに、『たまごくらぶ』の広告があった。まさに藁をもつかむ気持ちで、僕はその中吊り広告をつかむ。一瞬、中吊り広告は僕の体重を支え、僕を固定した。しかし、所詮それは紙である。いわゆるペーパーである。つるつるのペラペラである。僕のつかんだ紙は、僕を支えきれずにビリビリと破れた。そして僕は満員電車を埋める乗客の足下にどうっと倒れ込んだ。倒れ込んだ僕の顔に『たまごくらぶ』の広告がバサリと落ちてきた。 「また会おう」  倒れた僕にそう告げると、オリタ君は開いたドアからホームに向かって出ていった。僕はといえば、『たまごくらぶ』の広告にくるまれてジタバタしていた。滑稽だった。ゴキブリホイホイだった。隣町はお祭りだった。 続く << その1 このコラムの筆者、永田氏に励ましのお便りを出そう! メールはFFF@mochiya.nuまで!